「サマータイム(第三話)・セミ神様」

14. セミ神様

 先程、社の前で車を降ろされたアイは署長が銃をしまうのを見て、一目散に駆けだした。署長は登ってきた道路の方に立っていたので、彼女は社を通り越して道になっていない森の斜面を下りていった。署長は黙ってその様子を見ていた。それは予定どおりだったからである。これまで署長がここに連れてきた生け贄はみなそのようにして森の斜面を下りていったのである。

 アイはしばらく斜面を下りてから上の方を振り返った。署長が追いかけて来ないということが解ると彼女は安心して少し速度を落として斜面を下っていった。しばらく行くと彼女は上の方からガサガサと草をかき分けて誰かが下りてくる音を聞いた。それは、慌てて斜面を下りてくるモルダアが立てている音だったのだが、ここにモオルダアが来ているとは知らないアイは署長が追いかけてきたのだと思ってまた急いで先に進んだ。

 モオルダアは先程から何度も転びながら斜面を下りていた。走っていると言うより、転げ落ちてるといった感じだった。モオルダアは自分の下りている場所が果たして正解なのかどうか時々不安に感じた。社から中腹まで下りていくルートはいくつかあるということは彼も知っていたのだから。しかし、それを考えるよりも今は少女的第六感に頼るしかない。

 夢中になって斜面を下りているモオルダアは少し先でかすかな悲鳴を聞いたような気がした。道になっていない斜面を下りていたモオルダアは、今までずっと足下を見ながら進んでいたが、この悲鳴を聞いて顔を上げた。その瞬間、足を踏み外して彼は斜面を滑り落ちていった。

 モオルダアが滑り落ちて行った先には障害物もなく、彼はかなり長い距離を落ちた。体が止まったところは斜面が終わって平地になったところだった。モオルダアは軽い目眩を感じながら辺りを見回した。そこはモオルダアも良く知っている森の中の開けた場所だった。その場所の中心に彼は信じられない光景を見た。「もしかすると、自分は頭を打って気を失っているのかも知れない。これはきっと夢に違いない」モオルダアはこんなことを思っていたが、やっぱりこれは現実のようだ。

 暗闇の中にアイともう一つの影が見える。もう一つの影は身長が二メートル以上もある巨大なものだった。その影が動くとそれが人間ではないことが解った。何よりもまず、足が細すぎる。その細い足が何本もあって大きな体を支えているようだった。顔には二つの目があることが解ったが、鼻と口はなく、代わりに細長いくちばしがついていた。体全体のシルエットは巨大なカマキリのように見える。しかし、腕は鎌にはなっておらず、人間のような手があった。

 これがセミ神様なのだろうか。モオルダアはここに署長の共犯者の人間がいると思っていたので、予想に反して現れたこの化け物を唖然として見つめていた。「セミ神様のくせにカマキリみたいだ」モオルダアは驚きのあまり、意味のないことを考えていた。しかし、その怪物が腕をアイの方へ伸ばすのを見て我に返った。

「アイさん、逃げろ!」

モオルダアが叫んだが、アイはまったく反応しない。彼女は先程からこの怪物の前で催眠をかけられたように立っていた。目は開いていたが、それは遠くを見つめていたままである。

 モオルダアはモデルガンを取りだして化け物目がけて弾を発射した。最新型高級モデルガンの弾は見事に化け物に命中したが、それで化け物を倒せる訳はない。しかし、それで一時的に怪物の注意を逸らすことは出来た。モデルガンで撃たれた怪物はモオルダアの方を冷たい目で睨んだ。モオルダアはそのあまりの恐ろしさに腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった。

「逃げろ、逃げろ」

モオルダアが情けない声で叫んでいる。しかし、アイはまったく反応を示さない。怪物は再びアイの方へ手を伸ばして彼女の肩に手をかけた。「ああ、もうダメだ」モオルダアは怖くてほとんど泣きそうである。これから怪物の目からモオルダアが言っていたような「ミイラ化光線」が出てくるのだろうか。それとも何か別の方法でアイはミイラにされてしまうのであろうか。モオルダアは泣きながら見守るしかなかった。

 化け物はアイの前でそのくちばしをゆっくりと持ち上げた。

「ああ、そうかあのくちばしで内蔵と血液を吸い取るんだな」

パニック状態のモオルダアは妙に感心している。早く助けないとアイはミイラにされてしまうのですが、モオルダアではもう無理なようだ。

 化け物のくちばしがアイの目の前まで迫っていた。その時、森の中から一人の女が飛び出してきた。彼女はアイのところまで走って行き、アイを突き飛ばした。そして怪物のくちばしをつかむとそれを自分の口の中に入れた。

 モオルダアが驚いてその女をよく見るとそれは女アレルギーの団員だった。彼は女装をしているのでモオルダアには女性に見えたのである。怪物は女アレルギーの口の中に入ったくちばしをさらに中に押し込んだ。すると、そこからグルグルと水洗トイレがつまった時のような音が聞こえてきた。女アレルギーの団員はしばらく痙攣していたがそのうち動きが止まった。彼の顔は見る見るうちに青ざめていき、よく見ると体中の水分が抜き取られて次第に彼の体が骨と皮だけになっていく様子がわかった。そして一分もしないうちに女アレルギーの団員はミイラになってしまった。これを見たモオルダアはたまらず悲鳴をあげた。

 怪物が女アレルギーの団員から手を放すと、カラカラにひからびた団員の遺体が音もなく草むらに倒れた。怪物は向きを変えてモオルダアの方へ向かってきた。団員だけでは物足りないというのであろうか。怪物は何本もの細長い足をグニャグニャ動かしながら、モオルダアの前までやって来た。

「うわあ、ごめんなさい。ごめんなさい」

モオルダアはピンチになるとどうしても謝ってしまうようだ。

15.

 遅れて山の上の社へ到着したスケアリーとセラビは、例の警官から話を聞いて山の斜面を捜索していた。途中でモオルダアの悲鳴を聞いた二人は慌てて悲鳴のした方へやって来た。見るとそこではモオルダアが巨大な影に向かって必死に謝っていた。二人は始めモオルダアが何をしているのか解らなかったが、やがてその大きな影が得体の知れない怪物だと言うことが解った。

「あれまあ、モオルダアが大変ですわ」

モオルダアはスケアリーとセラビがやって来たことに気付いた。

「スケアリー。早くこいつを撃ってくれ。ミイラにされちゃうよ」

スケアリーは言われるまま銃を取り出して怪物に狙いを定めた。それとほぼ同時に怪物の動きが一瞬止まったかと思うと、今度は苦しそうにもがき始めた。それを見たモオルダアは立ち上がって二三歩後ろに下がって何が起こるのか見ていた。

 もがき苦しむ怪物の腹の辺りからドロドロの液体が流れている。怪物はギイギイと苦しそうな悲鳴をあげていた。腹部から流れ出た液体は足の方に流れていった。それと同時に怪物の背が低くなっていくように見えた。液体が怪物の足を溶かしているのだった。足が全部溶けて怪物の体は地面にたまった液体に浮かんでいた。体の半分が液体によって溶かされてしまっても怪物はまだそこから逃げ出そうと、腕を足のように使って体を持ち上げた。しかし地面についた手が液体に触れて溶け始め、やがて胴体の上の方と顔だけになってしまった。怪物はしばらく苦しそうな声をあげていたが、その声も顔が泥沼に沈んでいくかのようにして溶かされてしまうと同時に聞こえなくなった。

 ここにいた三人はしばらく呆然として黙っていたが、やがてスケアリーが口を開いた。

「モオルダア。いったい何が起きたと言うんですの?」

「セミ神様。セミ女。食あたり・・・」

モオルダアは冷静に喋ろうとしているが、まだパニック状態のようだ。セラビはいまだに自分の見たものが信じられないといった感じだ。

「モオルダア。はっきりとものを言いなさい」

上手く喋れないモオルダアにスケアリーがいらついたのか、少しきつい調子で言った。それで、モオルダアはやっと我に返った。

「あっ、そうだ。アイさんが」

アイは女アレルギーの団員に突き飛ばされた時に気を失っていたようだったが、怪物が溶けてしばらくすると意識を取り戻した。アイは起きあがると、この森の中の空き地に三人の見慣れた人間の姿を発見した。アイはわあっと泣きながら三人の方へ走り寄ってきた。モオルダアは彼女が彼の胸に顔を埋めて泣くのだと思い両手を広げて彼女が走ってくるのを待っていたが、彼女はモオルダアの横を通り過ぎてセラビの元へと走っていった。そこでモオルダアが想像したように、セラビの胸に顔を埋めてわんわん鳴いている。モオルダアは「どうしてだろう?」といった表情をスケアリーに見せた。

「あっ、そうそう、モオルダア。アイさんはねえ、エロ本読む人は嫌いなんですって」

モオルダアは何を言われているか解らなかったが、しばらく考えてから苦い表情になった。モオルダアは宿屋の自分の部屋に「お宝ビキニ」の雑誌をおきっぱなしにしていたのだ。しかも「お宝ビキニ」のページを開いたままで。それにちり紙も散乱していたっけ。アイはモオルダアの部屋に忍び込んだ時にそれを見つけたに違いなかった。しかし、ちり紙は誤解である。

「ねえ、スケアリー。ちり紙についた液体が唾液であることを証明するのって、簡単だろ。帰ったらちょっとやってくれないかなあ」

「そんなことは無駄ですわ。ちり紙に何がついていようと。あなたが変態であるという事実には変わりありませんから。アイさんも早くそれに気付いて幸せでしたわ」

始めはいい感じだったのに、今のアイはモオルダアに少しも興味を持っていないようだ。それもほとんどは誤解なのだが、彼が「お宝ビキニ」に夢中になっていたことはゆるぎない事実。モオルダアは何とも言えない後悔を味わっていた。

 そこへ山の上の方からがやがや喋りながらこちらへ向かってくる集団があった。下田歌劇団の残りのメンバーがやって来たようだ。モオルダアは女アレルギーの団員がここでミイラになっているのを彼らに見られてはまずいと思った。

「みなさん。ここは事件現場です。関係者以外は立ち入り禁止です」

モオルダアが団員達に言った。

「何言ってるのよ。ここにあのコがいるんでしょ。道の途中でバイクを見たんだから。あのコがいるんならあたし達も関係者よ」

そういうとモオルダアの制止を簡単に振り切って団員達がこの空き地の中に入ってきた

彼らの一人が空き地の真ん中にミイラになった女アレルギーの団員を発見した。モオルダアはまずいと思った。きっと彼らはそれを見てぎゃーぎゃー騒ぎ出すに違いない。しかし、モオルダアの予想に反して団員達は静かだった。彼らはミイラになった死体を見つめながら静かに涙を流している。

「美しい話じゃないの。やっと愛する人に男らしいところを見せられたのね」

団員の一人がそう言った。モオルダアとスケアリーは女アレルギーの団員の切ない想いを知らなかったので、彼らが何を言っているのか良く解らなかった。

「ところで、モオルダア。ここで何があったのかまだ聞いていなかったわ」

スケアリーが聞いた。モオルダアはここへやって来てから起きたことを細かく説明した。もちろん足を滑らせて斜面を滑り落ちたことや、怪物を前にして腰を抜かしたことなどは内緒である。

「それで、どうしてあの怪物は急に溶けだしたんですの?」

「さあ、そこはボクにも良く解らないけどね。でも今まであの怪物は若い女性ばかりを食べていたんだ。中年のおじさんじゃ食あたりを起こすのも当たり前かも知れないよ。もしかすると、あの怪物は男アレルギーだったのかも知れないぜ。それなのに、あの団員は女装をしていたから気付かずに食べてしまったんだよ」

「なんだか良く解らない話ですわ。あの液体を調べてみれば何か解るかも知れませんわね」

しかし、それは無理なことだった。事件から一時間も経つとその液体は完全に蒸発してしまい、警察がやって来る頃にはそこには何も残っていなかったのである。

「それにしても、あの女アレルギーの団員はどうしてここが解ったんでしょうか?」

とスケアリーが続けた。モオルダアも気になっていた。彼は怪物に襲われたのではなくて、自らあのくちばしを彼の口に入れたのである。

「やっぱり、彼は以前にミイラ事件の現場を目撃したのかも知れないなあ。それで、どうすれば生け贄を助けられるのかも無意識の中でちゃんと知っていたんだ。あっ。ということは今回はボクが目撃したんだから、今度はボクが女アレルギーってことになるのか?」

モオルダアの安易な考えにスケアリーはあきれている。

「あなたは大丈夫ですわ。ああいった病気は繊細な心の持ち主がなるものですから。あなたのような鈍感な人は安心していて平気ですわよ」

モオルダアは納得したのかしていないのか良く解らないような感じで頷いていた。

16. 翌日

 エフ・ビー・エルの二人は車に乗って帰途についた。来る時と同様、渋滞に巻き込まれて、下田を離れるとすぐに車はほとんど動かなくなった。運転しているスケアリーはイライラしながら握ったハンドルを指先でこつこつ叩いている。

「ちょいとモオルダア。あたくし達はもう少し現場に残って捜査のお手伝いをした方がいいんじゃございません?そうしないとまたあの事件は事故として片づけられることになりますわよ」

「その必要はないよ。キミがもう少し温泉に浸かっていたいのは解るけど。署長はもう捕まったから裏工作をすることも出来ないしねえ。それにあのセミ神様かなんか知らない怪物ももういなくなったことだし。ボクらの活躍で山には平和が訪れたってわけだよ。でもまあ、あの怪物については公表されることはないかも知れないねえ。なにしろ何も証拠が残っていないのだし」

モオルダアがこう言うとしばらく二人は黙ったままだった。日差しが照りつける中、二人を乗せた車はノロノロと動いたり止まったりを繰り返していた。

 モオルダアは遠くの方を眺めて何かを考えているようだったが、ふと何かを思いだしたようにポケットからあのボイスレコーダを取り出した。スケアリーは彼がボイスレコーダを取り出すのを気配で察知していた。モオルダアがボイスレコーダの録音ボタンを押すか押さないかという時、彼女はモルダアの方にさっと手を伸ばして彼の手からボイスレコーダを奪い取った。そして素早く窓を開けるとそれを車の外に放り投げた。投げられたボイスレコーダは比較的すいている反対車線に落ちた。そして、落ちてすぐにそこを走ってきたトラックがボイスレコーダを踏みつけていった。モオルダアの大事なボイスレコーダはバラバラに壊れてしまった。

「ああ、なんてことをするんだ」

モオルダアは車の中から壊れてしまったボイスレコーダを悲しそうに見つめていた。

「バラバラになったのがあのボイスレコーダで良かったんじゃありませんの?あたくし一歩間違えたらあなたをあんな風にしてしまうところでしたわ」

スケアリーがせいせいしたという感じで言っているのを見て、モオルダアは何も言えなくなった。

「だいたい、あなたはあのボイスレコーダの使い方を解っていましたの?あなたがあれを使って話の内容をまとめてくれて、作者様は助かったかも知れませんがねえ、でもそれは所詮パクリですわ。あたくしはそういうのは好きではありませんから。これからは作者様も気をつけてくださいませ」

はい、すいませんでした。私もスケアリーにバラバラにされてしまうところでした。

 モオルダアはその後、なるべくスケアリーの機嫌を損ねないように静かに助手席に座っていた。モオルダアはいつか自分の車を手に入れて、その車の中で好きなだけボイスレコーダに録音しようと心に決めていた。

17. 二人の報告書に書かれたそれ以後のこと

 署長が捕まった後、新しい署長にはセラビが適任だという声が警察署内であがったが、セラビはミイラ事件が一応解決するともう警察の仕事にはまったく興味を示さなかった。セラビはミイラ事件に費やした時間を取り戻すつもりらしく、南の島に家を立てて、残りの人生を楽しむつもりだそうだ。セラビはこれまで事件の捜査に明け暮れていて、贅沢など一つもしてこなかったのでそれだけのことをする金銭的な余裕は十分にあるということだ。なんだか羨ましい。

 捕まった警察署長は警察で取り調べをうけているうちに心臓を患ってすっかり弱ってしまったそうだ。始めのうちは自分は潔白だと言い張っていたのだが、自分も先は長くないと解ると次第に事件の真相を語り始めた。これまでのミイラ事件の被害者は全員みな彼によってあの社のところまでつれてこられたようだ。一番始めにセミ神様への生け贄を捧げる時には彼も半信半疑だったのだが、翌朝彼が山の中でミイラになった遺体を見つけると彼はセミ神様の存在を確信したようである。

 今では心の病院に入院しているヒトオ少年の件についても、署長は真相を語った。ヒトオ少年はグタグタ遺体事件の実行犯であった。しかし、それは署長が彼を脅迫してやらせたことであった。ヒトオ少年がタバコを吸っているところを偶然見つけた署長は

「これが見つかったら、キミの大学の推薦入学は取り消されてしまいますよ。うん、うん」

と例の感じで脅して、ヒトオ少年を自分の言いなりにさせたということだ。それにしてもたかが推薦入学のために人殺しとは。モテモテの優等生も意外と軟弱な精神だったようだ。

 それから、コビテ刑事のひき逃げ事件も署長の仕業だった。トラックを運転していたのは元警察の人間だったらしい。この犯人はいま海外に逃亡しているということだがそのうち捕まるだろう。

 これだけの悪事を働いた署長にはそうとうの刑罰が下されるであろう。しかし、その前に病気のためにかれの人生は終わってしまうかも知れない。噂によると署長は、グタグタ遺体事件後のヒトオ少年のようにおかしな行動をするようになったということだ。これはもしかするとセミ神様の祟りというやつなのだろうか。しかしそんなことは誰にも解らない。あの夜、森に現れた怪物が果たしてセミ神様なのか、或いはこれまで誰にも見つからずにあの近辺で生きてきた新種の生き物なのか。それともあれは妖怪?宇宙人?もしかして、そんな怪物なんて始めっから存在しなかった?

 あの怪物が何も残さずに溶けてしまった今ではどんな説も正しそうであり、間違っていそうでもある。

 エフ・ビー・エルの二人が下田を離れてから数日後、スケアリーの元へ宿屋の若女将アイから手紙が届いた。アイは事件の夜の怖い体験で女スパイの夢は諦めたということだった。高校を卒業したら電話会社のようなところ勤めて、いろいろな人の会話が勝手に聞こえてきてしまうような仕事をしたい思っているらしい。それから手紙には、モオルダアにエロ本を読むのをやめるように伝えてくれとも書かれてあった。

 モオルダアの元へは下田歌劇団の団員から手紙が届いた。あの「セミ女」の話を大幅に改良したらしい。話の中にセミ女を捕まえるためにやって来た捜査官というのが登場して地元の劇団員の少年と恋に落ちることになるらしい。モオルダアは楽屋で団員達に迫られた時のことを思い出して、ぞーっとしながら手紙を読んでいた。手紙には次の埼玉公演のチケットが一枚入っていた。あのスケアリーは連れてこないで必ず一人で見に来るように、と書かれていた。モオルダアはそれを読んで恐怖に震え上がった。

18.

 事件から数日後、警察の検分が終わった現場に下田歌劇団の団員達と宿屋のヒトミとアイ、そしてセラビの姿があった。彼らは身よりのない女アレルギーの団員のためにここに墓を作ったのだ。誰もがあまり口をきかずに墓参りをしている。

「彼は女アレルギーのまま生きているより、愛するもののために自ら犠牲になったんだから、この方が幸せだったんだろうなあ」

セラビがつぶやいた。その前ではヒトミとアイが並んで墓に向かって手を合わせていた。

 墓標には女アレルギーの団員がヒトミへの思いを込めて作った詩が刻まれている。


触りたい

死んでもいいから

触りたい


なにもこんな詩でなくてもいいような気がしますが、きっと彼の思いはヒトミの心の奥深くまで届いたことでしょう。

2004-08-17
the Peke Files #008
「サマータイム(第三話)・セミ神様」