2. 203号室
203号室のドアが開いた時、スケアリーは一瞬言葉を詰まらせた。それは自分よりも若々しく美しい女性に出会った時のスケアリーの決まった反応である。こういう女性を前にするとスケアリーはほとんど嫉妬心に近いライバル心を抱くのである。
しかし、いつもと違うことが一つある。この美しい女性がどうしてこんなくたびれたボロアパートの一室に住んでいるのか。スケアリーには理解できなかったが、人にはそれぞれの事情というものがある。この女性がここに住んでいるのも彼女なりの理由があるからに違いない。それよりも、スケアリーはそろそろ言うべきことを言わなければ怪しまれる。
「どうも、いきなりお騒がせして失礼いたしましたわ。あたくしはエフ・ビー・エルのスケアリー捜査官ですのよ。となりの部屋に住んでいらっしゃるデマダさんがちょっとした問題を起こしまして、御用になったんですの。まったくひどい話ですわね…」
そういいながら、スケアリーは女性の服装が容姿に似合わず地味であることが気になっていた。部屋着というのなら解るが、それにしても若い女性ならもう少し気を使うべきだと思っていた。
「ええ、それならだいたい解っていました」
女性が答えた。それから多少語気を強めて言った。
「でも、それと私の服装に何か関係があるんですか?」
スケアリーはうろたえていた。上の空で喋っていたせいで、知らずに思ったことが口に出てしまったのだろうか。しかし、そこはどうでもいいのだ。スケアリーが勝手にライバル視している女性が少し挑戦的であることが気に入らなくなってきた。
「あたくしが言ったことに何か問題がございましたか?でもいくら家だからといえあなたのような女性がもう少し服装に気を使わないと、もったいないですわよ」
スケアリーは言ってから多少後悔していた。どうしてこんなことでこの女性と張り合っているのか。しかし言ってしまったものは仕方がない。
「あの、エフ・ビー・エルというのはなんなんですか?警察と一緒に女の服装をチェックして回る機関なんですか?あんまり失礼なことを言ってると訴えますよ!」
やっぱりまずいことになってきた。しかしスケアリーはひるまなかった。訴えられたとしてもエフ・ビー・エルならきっとなんとかなる。しかも、このボロアパートに住んでいるような女がこれぐらいのことで裁判を起こせるほどの経済力があるとは思えない。そんな風に考えていたスケアリーだったが、ここでいきなりカウンターパンチを食らうことになろうとは思ってもいなかった。
少しの間女性は黙っていたが、こらえきれなくなったのかヒステリックな声で言った。
「どうせ私は貧乏よ!でもその何があなたにとって問題だと言うの?私だってこんなアパートに一人暮らしなんてまっぴらよ!ホントはちゃんとした仕事もできるし、結婚して幸せになったり…。ええ、そうよ。こんな風にヒステリーを起こすからダメなのよ!でもそれは、あなたが失礼なことばかり言うからでしょ!」
スケアリーはあっけにとられてただ聞いていたのだが、何かおかしな事が起こっていることにようやく気付いてきた。
「ちょっと、待ってくださらない?さっきから聞いていると、あなたはまるで人の考えを…」
ここまで言ってスケアリーは口を閉じてしまった。この女性がそのとおりだと答えるのを想像すると少し不気味に思ったのだ。
さっきまでヒステリックにわめいていた女性は、スケアリーが不思議そうに言っているのを見て、がっくりとうつむいた。「またやってしまった…」そうつぶやきながら女性は部屋の奥に行ってからメガネをかけて戻ってきた。
「あなたの思っているとおり、私は人の考えていることが解るんです。解ると言うよりも人の考えが、まるでその人が話していることのように聞こえてしまうんです。それだから、私はさっきみたいになってしまって、いろんな人間関係も上手くいかず、まともな仕事にも就けないで…。私がひどい近眼だということもいけないのです。でもメガネがあればなんとかなるんです。メガネがないとその人の口が動いているのかそうでないのか解らないんですけど、普通に見えていれば本当に言っていることと、思っているだけのことの区別ができますから」
スケアリーは「へえ、そうなんですの」と言うわけにもいかず、とりあえずこういうことを聞いた時の一般的な反応を示すことにした。
「まさかそんなことはあり得ませんわ!」
と、言ってから失敗したことに気付いた。女性はスケアリーの複雑な反応が解っているようでニヤニヤしていたのだ。
「いいですわ。それならあなたの言うことが本当かどうか試しますから、これからあたくしが考えたことをおっしゃってくださるかしら?言っておきますけど、あたくしはインドに伝わる瞑想法を使って心を無にすることだってできるんですから。適当なことを言うとすぐに解ってしまいますわよ」
スケアリーがいつそんな「瞑想法」を身につけたのか知らないが、ここでも多少のライバル心が働いているのかも知れない。スケアリーと女性は黙ってお互いを見ていたが、すぐに女性が答えた。
「レンブラントですね。絵のタイトルは知りませんが、教科書に載っている、あれ」
まさかイメージまで解ってしまうとは。スケアリーは驚いて言葉が出なかったが、わざわざ言葉で驚かなくても彼女にはもう解っているだろう。
「言葉で考えるのを聞くのと違って、絵の場合はあまり鮮明ではないんですけど。ハッキリ覚えていない景色を思い出すみたいな、そんな感じなんです」
どうやら、もうスケアリーの手には負えない話になって来たようだ。幸いなことに今日はこういう事態に陥った時にバトンタッチする人間も来ているのだ。
「ちょいとモオルダア!」
スケアリーはアパートの通路をうろうろしていたモオルダアを呼び寄せた。
モオルダアは先程201号室で事情の説明を終えた後に、203号室に美女の姿(もちろんスケアリーではない)を見つけてスケアリーと一緒に事情の説明をしようと近づいてきたのだが、その時ちょうど女性がわめきだしたのだ。モオルダアは不自然な感じでUターンするとそのまま通路をぶらぶらしていた。
モオルダアは先程の騒ぎが収まっていることを確認すると気取った感じでやって来た。
「モオルダア。ちょいとすごいことになりましたのよ。この方は人の考えが読めてしまうんですのよ!」
「テレパシーというやつだな。それにしてもキミがそんなことを本気で言ってるなんて思えないけどね」
モオルダアはそんなことを言いながら二人の方へ近づいてきたのだが、彼が近づくにつれて女性の顔には不安の色が濃くなってきた。そして、モオルダアの顔がハッキリ見えるくらいのところまで来ると女性の表情は怒りに変わった。
「ちょっと!初対面の女性のハダカを想像するって。いったいどういう神経してるの!」
そう言って女性は部屋に入るとものすごい勢いでドアを閉めた。そのすぐ後に鍵をかける音も聞こえてきた。
「せっかくあなたの待ち望んでいた超能力者に出会えたかも知れないのに。…やっぱりあなたはヘンタイだったのね」
そう言うスケアリーの表情には多少の同情が感じられなくもなかった。
モオルダアは何か言い返そうとしたが頭の中は真っ白だ。