4. 202号室
何かに熱中するあまり間違った方向へ進んでいってしまう人間がいる。すぐにそれに気付いて正しい道に戻れたら幸いだが、この202号室の住人のようにいつまでもそれに気付かず警察に御用となってしまっては、もう引き返すことは難しい。デマダという中年男はこの古びたアパートの一室で何を思いエフ・ビー・エルにイタズラの通報などをしていたのだろうか。それも一日に300回以上という件数である。
202号室に入った瞬間にデマダがまともな人間でないということはすぐに解るだろう。部屋中を這い回る電気の配線は、この部屋にあるいくつもの電子機器を繋いでいる。真ん中にあるパソコンを除いてそれらの機器が何をするものなのか、すぐに解る人は少ないだろう。
ここへイタズラ電話の証拠品を押収しに来た警察官もこの光景に戸惑っていた。その後ろには同様に戸惑っているスケアリーと、興味深そうに電子機器を眺めているモオルダアの姿がある。彼らはここにいる必要がないのだが、先程のテレパシー騒動の件で外にいる警官と気まずい雰囲気になってしまったので、なんとなく202号室に入ってきたのだ。
それよりもまず、イタズラ電話の犯人を捕まえるのは警察の仕事なのだからエフ・ビー・エルはこなくてもいいのだ。しかし、私がサボっていて新たな事件が起きないので、彼らはヒマをもてあましてやって来ているのだ。やって来たことによって一応面白いことにはなっているのだが。まあ、そんなことはどうでもいいのだ。
「これ、一体何なんでしょうかねえ?」
前にいた警察官は振り向いてエフ・ビー・エルの二人に聞いた。自分よりもこの二人の方がこういうものに詳しいとでも思ったのだろうか。少なくともモオルダアは自分の方が詳しいと思いこんでいる。
「動かしてみれば、何をするものかはすぐにわかるさ」
何を根拠にそんなことを言うのか知らないが、モオルダアはそこにある機器のなかでも一番使い方がわかりやすそうなパソコンの前に進み出た。きっとモオルダアはこれらの機械を触ってみたくて仕方がなかったに違いない。
モオルダアがパソコンのマウスを動かすとそれまで真っ暗だったモニタが点いた。てっきり電源が入っていないと思っていたモオルダアは少し驚いていたが、周りには悟られないように黙って画面を見ていた。画面には「OK」と「キャンセル」と書かれたボタンを表示するウィンドウが映っているだけだった。
スケアリーが何かやらかしそうなモオルダアの様子を見て心配そうにモオルダアのとなりにやって来た。「OK」と「キャンセル」のボタンがある場合、慎重な人間は「キャンセル」を選ぶ。そうでない人間とモオルダアは「OK」を選ぶ。スケアリーは何が起こるかをよく考えたうえでボタンをクリックするように言おうとしたのだが、もうすでにモオルダアは「OK」をクリックしていた。
「ちょいと、モオルダア!」
スケアリーが言えたのはそれだけだった。
もしかしてまずいことをしてしまったのか?とモオルダアがツバを飲み込んだすぐあとに、プッシュ回線で電話をかける時の音が聞こえてきた。
「なんだ、インターネットに接続しただけだよ」
モオルダアは気楽に言ったがスケアリーはそうは思っていないらしい。
「あなた、これだけの設備を揃える人が今時電話回線でインターネットなんか…」
スケアリーが最後まで言う前にどこかに電話がつながり呼び出し音が聞こえてきた。それが二回も聞こえてこないうちに相手は電話に出た。
「お電話ありがとうございます、エフ・ビー・エル電話相談室です」
どうやら、電話はエフ・ビー・エルにつながったらしい。モオルダアもスケアリーも知らなかったが、エフ・ビー・エルに何かの事件を通報するとこうやってピザ屋の出前を頼む時みたいに気楽な応対をされるのだろう。それよりも、この電話はどうやって会話をするのだろうか?このままでは電話に出たエフ・ビー・エルの職員にも失礼だ。そう思ってモオルダアとスケアリーがあちこちを見回していると、先程まで電話相談室にいるエフ・ビー・エル職員の声が聞こえていたスピーカーから彼らの知らない声が聞こえてきた。
「もしもし、大変です!UFOです。UFOを見たんです!」
どうやらその声はパソコンで再生されているらしい。それを聞くなり電話の向こうのエフ・ビー・エル職員はウンザリした感じで答えた。
「またあなたですか。もういい加減にしてくださいよ。もう警察にも通報してますからね。これは脅しじゃないですよ。もうすぐあなたのところに警察が行ってあなたは逮捕されますから!」
このエフ・ビー・エル職員の言葉にこのパソコンはどうやって答えるのだろうか。一同、少なからず期待していたようで黙って次の言葉を待った。ちょっとした間の悪い沈黙の後、スピーカーから言葉が発せられた。
「ハイ」
それだけ言うと電話が切れた。一同右肩をちょっとだけ下に傾けて軽くズッコケた。
どうやら、このパソコンは最初に電話をかけてこちらの用件を伝えると、その後に相手の返事を待ち、それが終わると「ハイ」と言って電話を切る、という動作を繰り返しているらしい。モニター画面には「次の通話まであと2分30秒」と表示されている。このプログラムを動かし続けていたら、一日に300件以上のイタズラ通報をすることも容易であろう。
それはそうと、モオルダアは次の通話まであと少しになっているのにプログラムを終了できないので焦っていた。それを見ていたスケアリーはパソコンから伸びている電話線を見つけるとそれを壁の端子から抜いた。
「これで、デマダがイタズラ電話の犯人だという証拠はそろいましたわ。早くこれを押収してくださるかしら?」
エフ・ビー・エル主導の捜査でもないのにスケアリーが警官達に指示している。警官達は気に入らない様子だったが、これまでの経過からこの二人は一筋縄ではいかない人間だということが解ってきていたので、なにも言わずにパソコンやその他の機器の押収にとりかかった。
こんな風に多少威圧的な態度で人に指示をするスケアリーは大抵の場合イライラしている。
「あたくし、こういう陰険な人間って一番嫌いですわ!」
ここはことを荒立てないためにもモオルダアは「そうだね」と同意するべきなのだがモオルダアには違う意見があるようだ。スケアリーの苛立ち加減も気にせずに別の意見を言う時のモオルダアは大抵の場合、自信たっぷりなのである。
「まあ、そんなに忌み嫌うことはないじゃないか。このデマダという人はただ狼少年になりたかっただけだよ」
また始まりましたわ、とスケアリーは内心で思っていた。モオルダアがこういう意味不明の例えをする時には必ず怪しい話が始まるのだ。
モオルダアはこの部屋の中の電子機器を眺めるのに飽きたのか、今では壁の一面を上から下まで覆い隠している本棚の前にいて、そこにある本を眺めていた。UFO、超能力、オカルト、心霊現象などモオルダアの興味を惹くのに十分な内容の本ばかりである。
「ちょいと、モオルダア。その狼少年というのはどういうことですの?あれは嘘ばかりついていると、そのうち誰からも信じてもらえなくなってしまう、という話なんですのよ!」
モオルダアがもったいぶった感じなのでスケアリーがたまりかねて聞いた。
「それは、あの話の教訓の一部だよね」
「一部って、どういうことですの?」
「あの話には別の教訓もあるんだぜ」
「だぜ、ってなんですの。なんかムカつきますわ!」
スケアリーに睨みつけられてキザな喋り方をしたことを少し後悔したモオルダアだったか、気を取り直して話し始めた。
「あの話のもう一つの教訓は、嘘と解っていても何度も言っているうちにその嘘が現実のものになってしまう、ということなんだよ」
「そんなこと誰が考えたんですの?全然説得力がありませんわ!」
誰、といわれても考えたのはモオルダアであるのだが、説得力がないといわれてモオルダアはちょっと傷ついていた。でもここでさらに気を取り直してモオルダアは先を続ける。
「でも、デマダがどういった動機でイタズラ電話をかけてきたかを説明するには、これは説得力のある例えだと思うけどね。あんな装置まで使って一日に何度も嘘の通報をしてきたんだ。普通そういうイタズラ電話をする人というのは孤独感とかそういう寂しさみたいなものから逃れるためにイタズラ電話で人の声を聞いて安心したりするもんだよね。でもデマダはそうではなかった。全ての電話は自動的に発信されていたんだから」
「エフ・ビー・エルに何か恨みを抱いての犯行かも知れませんわよ」
「これだけの装置を作れる人間がイタズラ電話で復讐するとは思えないけどねえ。ここにある本を見るとデマダはどうしてもUFOが見たかったんじゃないかなあ?」
「そうですの。それじゃあ、捕まってしまったからデマダはUFOを見ることが出来ませんわね。でも、それが正しいのならあなたはそろそろUFOを見てもいい頃ですわね。オホホホ…」
これ以上議論をしても無駄だと思ってきたスケアリーは嘘笑いで話を終わらせてしまった。モオルダアはいまいち納得いかなかったのだがそれよりも面白そうなものを見つけてしまったので、そこを気にしている場合ではなくなっていた。
モオルダアの目の前の壁一面を覆っている本棚の下から怪しげなコードが一本、部屋の中の方へ伸びているのである。そのコードを辿っていくとそれは先程のパソコンが置かれていた机の下に続いていた。
モオルダアが屈んで机の下を覗き込むと天板の裏側に押しボタンを見つけた。こんな謎めいたボタンは何かの非常時に押すボタンに違いない。まともな人間ならよく調べもせずに押したりしないのだが、そうでない人間とモオルダアは見たらすぐに押してしまう。
「ちょいとモオルダア、何を…」
スケアリーが最後まで言う前に彼女の背後でガタンという大きな音がした。振り向くと壁一面を覆っていた本棚の右半分が自動的に移動して左半分と重なった状態になった。その後ろには謎めいた隠し部屋が。
モオルダアはこの思わぬ展開に胸を躍らせて、その隠し部屋に向かった。しかし、その隠し部屋に入った瞬間にモオルダアの期待は一気にしぼんでしまった。そこは隠し部屋というより、真ん中の仕切りを取り払った押入だったのである。
「なんだ、秘密基地ごっこか…」
そういいながらモオルダアは押入の右半分から明かりの届かない左半分の方へ入っていった。モオルダアの姿が本棚の後ろに消えると同時にモオルダアの「ヒャッ!」という情けない悲鳴が聞こえてきた。
「ちょいとモオルダア、どういたしましたの?」
スケアリーが押入の中を覗くと、そこにモオルダアの姿はなかった。