「アパートメント」

5. 101号室

「ちょいと、モオルダア!どういたしましたの?モオルダア!」

スケアリーは一瞬にして手品のように姿を消したモオルダアを探して大きな声でモオルダアを呼んでいた。

「ああ…、スケアリー。ボクはどうなってしまったんだ?もしかして異次元空間に迷い込んでしまったのか?キミの声は聞こえるのに姿は見えないし、ここがどこかも解らない」

モオルダアのくぐもった声がどこからともなく聞こえてきた。スケアリーはゾッとして押入の中を凝視した。しばらくスケアリーが押入の中の暗がりを見つめていると次第に目が慣れてきた。どうやら押入の中の暗い半分の床には穴が空いているようだった。モオルダアはその穴にはまったのだろう。スケアリーはそれを見て少しニンマリしてから言った。

「モオルダア。もしかすると大変なことになったかも知れませんわ!この押入の中には異次元への扉があるみたいですわよ!」

「なんだって?!するとこの地面が本だらけみたいな世界はやっぱり…」

良く注意して聞いてみるとモオルダアの声は下の階から聞こえてくる。

「そうかも知れませんわ。それよりもモオルダア。あなたもしかして体に痛いところとかはありませんの?あたくしはそれが心配ですわ」

「さあ、特にないけど。この世界の地面は雑誌をばらまいたような感じなんだけど、その下はすごくフワフワしてるんだよね。だからボクは異次元空間に放り込まれた時の衝撃でケガをすることもなかったようだ。それよりも、ボクはこの異次元空間からどうやって帰ったらいいんだ?まさかこのまま…」

「心配いりませんわ!あたくしが最新技術を駆使してあなたをそこから救い出してさしあげますわ!」

スケアリーはモオルダアがホントに異次元空間に入り込んでしまったと思っているのが面白くて仕方なかったが、そろそろ本当のことを教えるべきかとも思っていた。

 スケアリーが振り返るとそこには警察官が不思議な顔をして立っていた。

「何か問題がありましたか?」

スケアリーはニヤニヤしていたのを悟られないように真面目な表情を作ると警察官の質問に答えた。

「このアパートには少しおかしなところがありますわ。あなたちょっと一階にいる管理人に事情を聞いて来てくださるかしら?」

「はあ」

スケアリーの簡単な説明だけで理解できたのかどうかは解らないが警察官は言われたとおり一階の管理人のところへ行ったようだった。それよりもモオルダアを異次元空間から救わなくてはいけない。スケアリーは辺りを見回すと押入のすぐそばに懐中電灯が都合良く転がっていた。彼女はそれを拾い上げてスイッチを入れると押入の中に入っていった。

 懐中電灯に照らされて押入の中が明るくなると、床に空いた穴がよく見える。それは建物の老朽化によって空いた穴ではなく人によって作られたもののようで、綺麗な円形の穴になっている。スケアリーは慎重に穴に近づくと、懐中電灯の光を穴の中に向けた。穴の中に簡単なハシゴがあるのが解った。その先にモオルダアの眩しそうな顔が浮かび上がる。

「光だ!スケアリー、光が見えてきたぞ。まさかこれは死後の世界へ入る時に見る光なのか!?」

モオルダアはまだ自分の状況を理解していないようだった。光の向こうにいるスケアリーの姿は眩しくて見えていないようだ。

「モオルダア、心配いりませんわ。これは希望の光ですのよ!」

スケアリーは吹き出さずに言うのに苦労していた。モオルダアは怯えた感じで聞いてきた。

「どういうことだ?その光を辿ればボクは元の世界へ帰れるということか?」

「もう、いい加減に気付きなさい。あなたは最初から異次元空間になんて行ってなかったんですのよ」

そう言うとスケアリーは懐中電灯を反対に向けて下から自分の顔を照らした。

「キャー、出たあ!怪物だあ!」

下から光をあてられたスケアリーの顔が突然現れたことに驚いてモオルダアはまずいことを言ってしまった。それまで楽しそうだったスケアリーの表情が一気に曇っていきモオルダアを睨んでいた。

「どうでもいいですから早く上がってきなさい!」

そう言いながらスケアリーは穴の中に懐中電灯を放り投げた。スケアリーの手を放れた懐中電灯は危うくモオルダアの頭にぶつかるところだった。「ヒヤッ!」とモオルダアのヘンな悲鳴が聞こえたがスケアリーは気にも留めていなかった。

 モオルダアが懐中電灯を拾って自分の周りを照らしてみた。

「どうやらここも押入みたいだな」

「そうですわよ。どの部屋も同じ作りのアパートなんですから、そこは一階の押入に違いないですわ」

「そしてボクの下にはエロ本だらけ」

「あら、そうですの。それならずっとそこにいればいいんじゃないんですの?」

「そうは言ってもねえ。ここにあるのはボクの趣味にはちょっと合わないグロい感じのエロ本だからね。キミは知らないかも知れないけど、エロ本にも色々種類があって…」

「あたくしはそういう意味で言ったんじゃないんですのよ!どうでもいいから早く上がってきなさい!」

本来ならば押入に空けられている奇妙な穴に関して考えるところだが、二人の会話はあらぬ方向へと進んでいた。そこへ突然、先程の警察官が駆け込んできた。

「たっ、たっ、大変だー!」

「どっ、どっ、どういたしましたの?」

警察官につられてスケアリーも慌てた感じを出している。

「しっ、しっ、死体が!」

「なっ、なっ、なんだって!?」

穴から半分だけ体を出したところだったモオルダアも慌てた感じで反応している。

「かっ、かっ、管理人の部屋に、おっ、おっ、女の死体が!」

「そっ、そっ、それはいったい…」

さっ、さっ、最後の言葉は誰が言ったことにするか考えるのが面倒だから各自で想像してください!


 気の抜けた感じだったアパートは、今では死体発見によって張りつめた空気が流れている。一階には101号室しかない。元々は二階と同様に四つの部屋に別れていたのかも知れないが、入居者が少なくなったため各部屋をつなげて、さらに中の壁を取り払って101号室という大きな部屋になるように改築されたようだ。101号室の住人はこのアパートの管理人である。元は大屋が住んでいたということだが、大屋は別の場所に新しい家を建てて引っ越してしまったので代わりに管理人がこの広い101号室に棲んでいるということだ。管理人はこのアパート同様にくたびれた感じのする初老の男性だった。

 デマダを逮捕する時には鍵を持って202号室のドアを開けた管理人だったが、あの後いつの間にか姿をくらましたようで、警察官が101号室に死体を発見した時にはそこにいなかったということだ。


 モオルダアとスケアリーが101号室に入るとまず目に入ったのは先にこの部屋に入ってきていた数人の警官の姿だった。愕然と立ちつくす彼らを見てモオルダアは少し尻込みした。彼らの状態から察するにそこにはひどい状態の死体が横たわっているに違いないのだ。一方スケアリーは死体と聞いたらなにがなんでも解剖してみたいという人間なので警官達を掻き分けて前に出ていった。

「まあ、なんですのこれは?」

スケアリーはこういうのを聞いてモオルダアはその死体が異常な状態であることが解った。となると異常すぎてモオルダアにもあまり恐くない死体の可能性があるということだ。モオルダアは勇気を出してスケアリーと同様に警官を掻き分けて彼らの前に出た。しかし、死体を目にするとモオルダアは先にそこにいたスケアリーと、さらには他の警官達と同じように愕然とするしかなかった。

 その死体はあまりにも美しかった。人間離れした美しさという表現が正しいかどうかは解らない。死体ならばそれはもうすでに人間ではないのだから。しかし、その死体の肌は生きている人間よりもみずみずしく、透き通っていた。それでいてその色は青白く、そして体中に蛆が這い回っているのだ。

「こっ、こっ、これはどういうことなんですか?」

こう聞いたのは先程死体の発見をエフ・ビー・エルの二人に報告しにきた警官である。二人は、もっ、もっ、もうそろそろそんな喋り方はやめてくれと思っていた。エフ・ビー・エルの二人はなんとなくそこに横たわっている物が何なのかの検討はついていたのである。

 モオルダアとスケアリーがお互いを見てどちらが説明をするのかを無言のうちに打ち合わせていると101号室の玄関から怒鳴る声が聞こえてきた。

「これはどういうことだ!勝手に人の家に入り込みやがって!いくら警察だからってそんなところまで許されないことはわしだって知っておるぞ!」

そこにいた全員が驚いて振り返ると、そこにはコンビニの袋を持った管理人が顔を真っ赤にして立っていた。それを見た警官の一人が言った。

「そう言われても、部屋に死体があるのを知って私達が黙っているワケにもいかないでしょう」

管理人は何を言われたのか理解できないような感じで少しの間首をかしげて考えていたが、その間にまた勝手に自分の家に無断で入ってきた警官達に腹が立ってきたようで、何かを怒鳴ろうという感じで息を大きく吸い込んだ。それを見たスケアリーがそれを静止するように言った。

「どうやら、これはあたくし達の早合点ということらしいですわね。ここにあるこのグロテスクな人形はあなたが作ったものですの?」

人形と聞いて警官達はさらに驚いている。もしかするとスケアリーが管理人を刺激しないためについた嘘なのではないかと思うものもいた。管理人はその言葉に満足げな表情を浮かべている。

「人形という表現は少し違うんだけどねえ。それはまだ未完成なんだ。本当はその死体のかたわらに哀れな兄妹の人形も作らないといけないんだ」

管理人が言うのを聞いて、警官の一人が驚いている。

「すると、それは本物の遺体じゃなくて人形なんですか?」

「だから、人形じゃないと言っているだろ。これは、すぐそこの病院のある坂道で昔実際に起きたおぞましい事件を再現するものなんだよ」

管理人は少しあきれたように警官に説明した。

「つまりジオラマってことだね」

モオルダアは管理人がこの人形ではない何かを説明するための言葉を知らないようなのでジオラマという言葉を出してみた。

「そう、それだよ」

管理人とモオルダアだけはすごくスッキリした表情になったのに他の人たちはあまり納得できていないようだった。とにかく、ここに横たわっているのが人間の死体ではなくて人形だということが解ったので、全員とりあえずは安心したという感じではある。

「それにしても、あなたはこんなリアルな人間の死体を作れるのに、どうしてアパートの管理人なんてしていらっしゃるの?これだけの技術があればもっといい仕事が…」

スケアリーが思ったことを率直に管理人に聞いてみた。

「まあ、その辺は運命というやつだよ。私だって五十を過ぎてからこんな才能に目覚めるとは思わなかったからね。グフッ、グフッ」

そう言いながら管理人はシャックリのような笑い声を上げてスケアリーに顔を向けた。スケアリーはちょっと気味が悪いと思った。スケアリーのそんな反応も気にせずに管理人は死体人形のところへ近づくと、人形についている蛆虫をつまんでスケアリーの目の前に持ってきた。もちろんそれも模型の蛆虫であるのだが、その精巧な作りにスケアリーは眉をひそめた。

「この蛆がミソなんだよねえ。これはデンプンを固めて作ったものだから食べても平気なんだよ。つまりこれを食べたら実際の事件がそのまま再現できるというわけだ!」

そう言いながら、管理人は模型の蛆虫を口に入れるとスケアリーに見えるようにわざと口を開けたままその蛆虫をかみ潰した。

「アンタも食べてみる?」

口からこぼれた蛆虫の模型のカスを唇の端に付けたまま管理人はスケアリーに聞いた。スケアリーは鳥肌をたてながらクビを横に振っただけだった。それと同時に、そろそろモオルダアに何とかしてもらいたいと思って彼の姿を探していた。モオルダアは死体の人形にはもうすでに興味がないらしく、奥の部屋で何かを調べていた。

「ちょいと、モオルダア!」

スケアリーに呼ばれと、そろそろ出番かな、という感じでモオルダアが振り返った。

 ここでは謎めいた事件も起きていないし、異常な遺体が転がっていることもないと解ったので、モオルダアが興味を示すようなところはあと一つしか残されていない。モオルダアはとなりの部屋の押入の前に立っていた。その中は先程モオルダアが二階から落ちた場所に違いないところである。

「管理人さん。そんな食べられる蛆虫よりも、ボクはこれについての説明が聞きたいんだが」

そう言って、モオルダアは目の前の押入を勢いよく開けた。先程モオルダアがそこに落ちた衝撃で押入の中の布団の上に積んであったエロ本は不安定になっていたのだろう。モオルダアが押入の戸を開けるとエロ本の山が崩れ落ちてきた。

「うわぁ、何をするんだ!勝手に人の家の押入を空けるとは!」

管理人は慌ててモオルダアの空けた押入の方へ走って行ったが、今さらこのエロ本の山を隠すことも出来ないので、走って行ったは良いが何も出来ないまま不自然な感じでモオルダアを睨んでいた。

「こっ、こっ、これがなんだというんだ!売っているものを買って何が悪い。中には今の法律では問題があるものもあるかも知れないが、それだって昔は許されていたんだ!」

モオルダアは必死になる管理人のいうことを聞きながら「問題があるもの」というのがどれなのか気になってしまったが、ホントに彼が聞きたかったのはエロ本の山のことではなくて、押入の天井に空いた穴のことだった。

「それはどうでも良いんですよ。それよりも管理人さん。この天井の穴はなんなんですか?」

エロ本が問題ではないと解った管理人は少し間が悪そうだったが、なんとか気を取り直して話し始めた。

「ああ、その穴か。私も良くわからんのだがねえ、なんでも非常階段の代わりとかいうことだが。このアパートが建てられた時からずっとあるって話だよ」

それを聞いていたスケアリーがすかさず割り込んだ。

「それはおかしな話じゃございませんこと?どうして非常階段が押入の中にあるんですの?それにこの穴は全ての部屋にあるんでございましょう?二階には若くて綺麗な女性も住んでいらっしゃるのよ。そんな女性の部屋とあなたみたいなエロ本管理人の部屋がつながっているなんて異常ですわ!」

管理人はエロ本管理人ってどういうことだ?と思っていたが、この状況では反論のしようがないのでそこは気にしないことにした。

「それは大丈夫ですよ。ここに来る入居者にはそのことは全部伝えてあるから。それに203号室のお嬢さんは私が説明する前から押入の穴に板を打ち付けて塞いでしまっていたからねえ。あの女はどうにも気味が悪いな」

「それは管理人さんが人の裸を想像したりするからいけないんですよ」

モオルダアがにやけながら言ったが管理人にはその意味が良く解っていないようだった。自分同様にうろたえると思っていたのに、この反応にモオルダアは少しガッカリしていた。

「でも、先程逮捕されたデマダはこの非常階段を積極的に利用していたみたいですわよ」

ガッカリしたモオルダアに代わってスケアリーが言った。

「というと?」

「デマダはこの非常階段の先にあなたのエロ本コレクションがあることを知って密かにあなたの部屋の押入にやって来てた可能性があるんですのよ」

スケアリーのこの考えにモオルダアも同じ意見だった。秘密基地のように本棚の後ろに隠された秘密の入り口。そこにはさらなる秘密があるに違いないのだ。このマニアックなエロ本のような。

「ああ、なんだ。そのことか」

管理人が驚くと思っていたモオルダアとスケアリーは彼の意外な反応に驚いた。

「ヤツとは趣味が合ってねえ。始めはお互いに警戒しあっていたけど、ある日ヤツが私の部屋にあるエロ本を見つけたということを私に話してきたんだ。その時はもちろん腹が立ったが、話しているうちにお互いの共通点に気付いてねえ。それで、私らはそこの押入を共有することにしたんだよ。私のコレクションとヤツのコレクション。まるで夢のようじゃないか。しかもヤツがバカなことをして捕まってしまったから、これからは私が全てを独り占めだよ。グフフフフッ」

話を聞いていたモオルダアとスケアリーの間を妙な空気が流れていった。


 結局何も起きなかったのか。多分モオルダアとスケアリーにとっては何も起きていないも同然なのだ。しかし、彼らの知らないところでは何かが起きている。101号室での遺体騒動の最中に204号室にいたウィスキー男とクライチ君は押入の非常階段を通じて密かに脱出していたのだ。もちろん特殊部隊の活躍で204号室にあったモニタや通路の監視カメラなども全て取り払われているのだ。そのために、この後モオルダアとスケアリーが「念のため」ということで行った各部屋の押入にある非常階段の点検をした時に204号室はもぬけのから、ということだったのである。誰にも気付かれずに闇の組織の隠れ家となっていたこのアパートは誰にも気付かれずにその役目を終えたのである。


「なんだか、あたくし今日一日を無駄に過ごした気がしますわ」

アパートから引き上げるために車のところにきたスケアリーは機嫌が悪かった。モオルダアも同じような心境だったが、特に何も言わずに車に乗ろうとしていた。しかし、車に乗る前に何かの異変に気付いたようだ。ポケットの中に財布が入っていない。いつでも小銭だらけで重たい財布を持ち歩いているモオルダアなので、財布がなくなると妙に体が軽くてそこに気付くのである。

「あれ、財布がない」

間の抜けた感じで言うモオルダアを見てスケアリーはさらに機嫌が悪くなったようだ。

「きっと、さっきの押入で落としたんだな。ちょっと探してくるから待ってて」

そう言ってモオルダアはアパートの方へ戻っていった。

 管理人は迷惑そうにモオルダアを部屋の中に入れた。どうやら財布は押入の中のエロ本の奥に見つかったらしく、しばらくするとモオルダアは安心した表情で外に出てきた。モオルダアは振り返って管理人に挨拶しようと思ったがそれよりも先に管理人は大きな音を立てて扉を閉めた。そこまで嫌われる理由もないのになあ、と思いながらモオルダアが天を仰いだその時だった。

 モオルダアはアパートの上空に驚くべきものを発見したのだ。アパートの屋根のすぐ上にその建物の二倍以上もありそうな大きな円盤が音もなく浮かんでいたのである。円盤の周囲には点滅するライトが配置してあり、それが一つずつ順番に点滅を繰り返して、光が円盤の外側を回っているように見えていた。

 モオルダアは腰を抜かして、ついでにアゴもはずれた。しばらく何も出来ぬまま上空の巨大な円盤をただ見つめていたモオルダアだが、全ての意識を集中させてやっとのことで声を出すことが出来た。

「スッ、スッ、スケアリー!たっ、たっ、大変だ!」

驚きのあまりほとんど声にならないぐらいの大きさの声しか出なかったのだが、それはもうどうでもいいことかも知れない。不機嫌なスケアリーはもうすでに車を発進させて一人で帰っていたのだ。

 モオルダアは自分の声がスケアリーに聞こえたかどうかなどは考えることも出来ずに、まだ上空の円盤を凝視していた。するとさらに驚くべきことが起こったのである。

「最後の日にキミみたいな人に会えて本当に良かった。キミに会えなかったら私の地球での滞在は本当につまらないものだった。地球にもキミのような人間がいると知って、私は一瞬だけでも孤独を忘れることが出来たんだ。本当にありがとう。さようなら!」

誰かがモオルダアに話しかけている。モオルダアにはその声がどこから聞こえているのかすぐにわかった。それは彼の頭の中で発せられている声なのだ。ものを考える時に聞く頭の中の自分の声であるが、それは自分の意志とは全く関係のないことを喋っている。つまりテレパシーで誰かが考えをモオルダアの頭の中に送っているのだ。おそらくは上空の円盤の中の何かが。そして、それはきっと故郷に帰ることを決意した201号室の住人である。

 円盤の中の異星人である201号室の元住人は下にいるモオルダアから何かの返事があるかと思いしばらく待っていた。しかし、彼の元へモオルダアから送られてきたものは「アワワワワッ。アワワワワッ…」という意味不明の言葉だった。

 故郷の星に帰った元201号室の住人は最後に地球で受け取った「アワワワワッ。アワワワワッ…」というメッセージが何かの暗号に違いないと思い、その後の人生をその暗号の解読のためだけに費やしたというウワサである。パニックに陥った地球人が意味不明の言葉を発するということが彼の故郷で解明されたのは、彼の時代よりもずっと後になってからだということだ。

 それはともかく、モオルダアは自分の目の前から巨大な円盤が一瞬にして空の彼方へ消えていったあともしばらく、いくつかの星が寂しく瞬く夜空を眺めていた。それからふと我に返ると「今日体験した全ての不可思議なことは全て自分の思いこみに違いない」と自分に言い聞かせた。超能力にUFOにエロ本に、こんなに都合良く一つの場所で遭遇できるわけなどないのだ。(モオルダアは気付いていないが、ついでに闇の組織の隠れ家も。)「もっとしっかりしないと」とモオルダアは小さくつぶやいてスケアリーの車のところへ歩き出した。そこにはもうスケアリーの車はないのだが。

2008-02-27 (Wed)
the Peke Files #016
「アパートメント」