「HANAKO」

6. 警察署、鑑識課の部屋

「おやおやこれは面白いものが出てきましたよ」

鑑識官の一人が何かの書類を見ながらもう一人の鑑識官に言った。もう一人の鑑識官は先ほどの遺体発見現場から届けられたランドセルを手に持って興味深そうに眺めている。

「面白いって、このランドセル以上に面白いのか?」

「まあ、それはどうかな。どちらが謎かという点ではそのランドセルに勝るものはないけどな」

「それで、何が面白いんだ?」

「そのランドセルから採取した指紋だけど、ほら見てみなよ」

こういうと鑑識官はもう一人に書類を見せた。

「おっと、これは問題だね。まったく、あんなヤツは病院に閉じこめておけばいいのになあ。病気は病気なんだから、完全に直るまで社会に出しちゃダメなんだよ」

「とうとう、少女誘拐殺人犯になっちまったなあ」

なんだかやる気のない鑑識官二人である。どうやらランドセルには前科のある男の指紋が付いていたらしい。

「そんなことより、このランドセルはどうやったら開くんだ?」

ランドセルを持っていた鑑識官は指紋のことよりランドセルが気になっている。それもそのはず。ランドセルは見た目こそ普通のランドセルだが、構造が普通とは全く異なっているのである。どうやっても開けることが出来ない。表面は合成皮革で覆われていて普通のランドセルのようだが、その内側は何か堅い金属のようなもので出来ていた。そして、ランドセルのふたは開閉するようには出来ていない。中と外とをつなぐのはランドセルが背中に当たる部分についている細い管だけしかなかった。中は空洞になっているようだったが、きっとこの管から何かを入れるか、或いはこの中のものを取り出すかしていたのであろう。

「なあ、その管はどうなんだ。なんだか自転車のタイヤに空気を入れるところに似てるけど」

「そう言われるとそうだな」

ランドセルを持った鑑識官が管の先端をつまんでみた。するとシューという音とともに何かの気体が吹き出したようだった。その気体には何とも言えない不快な臭いがついていた。

「何か臭くないか?」

「うん、この管からなんか出てきた」

「こんなことしてても埒があかないよ。こうなったら力ずくでやるしかないよ」

そう言うと鑑識官の一人が部屋の外へ出て何かを持ってきた。

「これで、ランドセルの中身が明らかになるよ」

鑑識官は円盤形の刃のついた電動ノコギリを持っていた。

「そんなので、このランドセルが切れるのか?これずいぶん硬そうだけど」

「大丈夫だよ。これは金属でも切れる特殊な電ノコなんだから」

こんな二人に鑑識を任せていいのだろうか?まあ私としては見守るしかないのですが・・・。

 鑑識官の一人が電ノコのスイッチを入れるとそれはキーンという耳を突く音をあげた。

「さあ、そこにランドセルを置けよ」

ランドセルを持っていた鑑識官は机の上にランドセルを置いた。もう一人の鑑識官がランドセルの上にゆっくりと電ノコを近づけていく。電ノコの刃がランドセルに触れると、がりがりという音とともに火花が飛び散った。火花は電ノコの刃の回転にあわせて勢いよく机の上に飛ばされていく。

「なあ、ここじゃあ危ないんじゃないか?」

「大丈夫、大丈夫。すぐに終わるから」

こう言って、電ノコを持った鑑識官は電ノコの刃をランドセルに当て続けた。ランドセルはそうとう硬いらしく、電ノコで切っていると言うよりは、電ノコの刃でランドセルを削っている言った方が正確だった。やがて、電ノコの刃はランドセルの表面から一センチぐらいの深さまで達した。

「ずいぶん厚い装甲なんだなあ」

「何だよ、装甲ってのは。戦車じゃないんだから」

こんなことを言いながらも、電ノコを持っている鑑識官はそうとうに苦労しているらしく、額にはもう汗が噴き出していた。

「もうすぐだ。もうすぐ中が見えるようになるぞ」

相変わらず激しく火花が飛び散っている。電ノコの刃が二センチの深さまでランドセルを削っていった時、それまでのガリガリいう音が少し小さくなった。

「やったぞ、これで中身が・・・」

電ノコの刃がランドセルの中の空洞部分まで達した次の瞬間、ランドセルは大爆発を起こした。

ボッカーン!

7. さっきの小学校

 モルダアは校門のすぐ脇の壁に背中をもたせかけて校舎を眺めていた。タニマダ先生の巨乳のせいで彼の頭はかなり混乱しているらしい。おかしい、どう考えてもあの顔に、あの体型にあの胸は釣り合っていない。モルダアは先ほどから遺体のことなど全く考えていないようだ。モルダアはぼんやりとしながら視線を空に移した。昨晩とはうってかわって良く晴れている。青空に浮かぶ雲がタニマダ先生の胸に見えてくる。まったく、モルダアは何をやっているのだか。彼の魂はタニマダ先生に抜かれてしまったようである。そんなモルダアの上着の裾を誰かの手が引っ張っている。上の空のモルダアはしばらくそれに気付かなかったが、彼が気付かないでいるとその手はモルダアの体が傾くぐらいの力で上着を引っ張った。モルダアは驚いて横を向くと、そこには一人の少年が立っていた。

「おじさん、トイレの花子さんが死んだんでしょう?みんなは殺人事件だなんて言ってるけど、そうじゃないよね。花子さんは最初から生きてないから、死んでも殺人にはならないんだ」

モルダアにはこの少年の言っていることが良く解らなかった。というのも、彼の頭の中からは少女の遺体のことなど完全に消えてしまっていたのだから。

 少年は黒いサングラスをかけて、モルダアに話しかけている時もモルダアの方を見ていなかった。どうやらこの少年は視力に障害があるらしい。この少年の言う「トイレの花子さん」というのはモルダアもよく知っている。しかし、いくらモルダアといえどもトイレの花子さんを信じている訳ではなかった。こういった都市伝説や迷信のたぐいは文明社会で存在することが難しくなってきているのである。良識のある大人なら誰でもこんな話は一笑に付してしまう。ただし、モルダアはこの少年の考えには少なからず面白味を感じたらしい。

「キミはこの学校の生徒か?」

「違うよおじさん。この学校は健康な人間しか入れないんだ。ボクはわざわざ遠くの盲学校まで通ってるんだ。家はすぐ近くにあるんだけどね」

おじさんと呼ばれてモルダアは少し気にくわなかったが、気にしないことにした。この子は目が見えていないんだから。

「キミ一人でここまで来たのか?危ないだろう。付き添いの人とかいないの?」

「それなら大丈夫だよ。家はすぐ目の前なんだ。それに少しはものも見えるんだよ」

「へえ、そうなの。ところでどうして死んだのが花子さんだと思うの?」

「そんなの当たり前じゃないか。トイレで死んでたんでしょ。この学校には昔から花子さんがいたんだ。日曜も学校にいるなんて花子さんぐらいしかいないよ」

「キミも日曜だっていうのに学校に来てるじゃないか」

「ここはボクの学校じゃないし。それに・・・」

ここまでいうと少年は何かに気付いたのか校舎の方に顔を向けた。モルダアがその方向を見ると、向こうからタニマダ先生が巨大な胸を揺らしながらこちらに小走りにやってくるのが見えた。ゆさゆさ揺れているタニマダ先生の胸を見ていると、荒波にもまれる一艘の釣り船が頭に浮かんだ。きっとあの胸の上に小さな船が浮かんでいたらそんな感じだろう。モルダアは船酔いをしそうになってきたので努めて胸を見ないようにした。

 タニマダ先生は二人に近づくとニコニコしながら少年に声をかけた。

「あら、久しぶりじゃない」

「あっ、タニマダ先生だ」

少年も嬉しそうだ。

「あれ、お二人は知り合いなんですか?」

モルダアが意外な表情で二人を見比べている。

「そうなんです」タニマダ先生が答える。

「この子は、この学校の生徒じゃないんですけど、よくこの学校に遊びに来てたんですよ。盲学校にはあまりたくさんの生徒さんがいないでしょ。それで近くのこの学校で遊んでたんです。明るくて人なつっこい子ですから、この学校に友達もたくさんいるんですよ。それに私もこの近くに住んでいるものですから、私のところにも時々遊びに来てくれるんです」

タニマダ先生がこの少年のことを話す様子は凄く楽しそうだ。タニマダ先生はきっと子供が好きな理想的な教師なのだろう。モルダアはそんなことを思っていた。

「先生。ボク、先生の顔が見たいんだけど」

タニマダ先生はにこりと笑うと「どうぞ」といって顔を少年の方につきだした。少年は両手でタニマダ先生の顔をなで回している。「へえ、そんなことでものを見ることが出来るのかあ」モルダアは感心しながら少年の様子を見ていた。

「先生は相変わらず綺麗だなあ」

綺麗だと?モルダアはこの少年がお世辞を言っているのかと思ったが、まあ気にしないことにしよう。きっと心は綺麗なのだろう。

 少年の手はタニマダ先生の顔を一通り触ると首の方へ降りていった。そしてそこから手はさらに下へ降りていってとうとうタニマダ先生の巨大な胸に触れた。

「あっ、ずるい!」

モルダアが思わず口走ってしまった。モルダアのこの声を聞いてタニマダ先生は少し恥ずかしそうにして腰を引いた。もっと恥ずかしいのはモルダアの方である。「ずるい」ってどういうことだ。モルダアもタニマダ先生も顔を真っ赤にしている。

「あの、私これで失礼します。私の連絡先は警察の方にお伝えしましたから」

こう言うとタニマダ先生はそそくさと校門を出ていった。

8.

「キミはいつもあんな風に人の胸を触っているのか?」

モルダアは羨ましそうに少年に話しかける。

「当たり前だよ。目が見える人は見ればそれがどうなってるのか解るけど、僕等には何も解らないんだよ。ボクにだってあの胸がどんな風になっているのか知る権利はあるんだよ」

権利とか言われるとモルダアは何とも言えなくなってしまう。モルダアにはあの巨大な胸の見た目は解るが感触は解らない。この少年はあの巨大な胸を見ることは出来ないが感触は解る。平等と言えば平等なのかも知れない。それでもやっぱりずるいなあ。

「おじさん。おじさんにいいこと教えてあげようか」

少年が何かイタズラを考えているような表情でモルダアに話しかけた。

「いいことって、何のことだ?」

「タニマダ先生のことだよ」

この少年が何を知っているのかは知らないが、モルダアはタニマダ先生と聞くとなぜだか気になって仕方がない。とりあえず聞いてみることにしよう。

「前はタニマダ先生の胸はあんなに大きくなかったんだよ。ボクは昔から良く触ってるから解るんだ。ボクが初めてタニマダ先生に会った時には、あの胸には何にもなかったんだよ」

「それっていつのことだ?」

モルダアは興味津々である。

「ボクがまだ幼稚園にいた頃だよ」

「キミは今何年生なんだ?」

「今は四年生」

「すると五年ぐらい前ってことだね」

「そうだね。その後すぐにタニマダ先生はこの学校を辞めちゃったんだけど。何で辞めたかはボクはちゃんと知ってるよ。それはねえ、タニマダ先生の胸が大きくなったからなんだ」

「なんで胸が大きくなると辞めなきゃならないんだ?」

「おじさん、それでも捜査官なの?おじさんの仕事仲間で禿げた人がいたとして、その人がある日突然フサフサの髪の毛を生やしてやってきたら、話しづらくなるでしょ?それと同じことだよ」

「つまり、タニマダ先生は整形手術であの胸を作ったってことか?」

「シリコンじゃあんな風にはならないよ。あれは確かに本物の感触だよ。タニマダ先生の胸には何かが起こったんだ」

「キミはホントに四年生なのか?なんだかきみの話は・・・」

「いいから聞きなよダンナ。先生が辞めた理由はそれだけじゃないんだぜ。何しろあの胸だから、世の男どもは黙っちゃいねえんだ。この学校の男子教員の中にもあの胸の虜になったヤツがいてねえ。それがよせばいいのにタニマダ先生に手を出そうとしやがったんだ。でも悪いことは出来ないもんでね。その男子教員がタニマダ先生を何とかしてやろうとしているところを他の教師に見つかっちまったんだ。それがどういう巡り合わせか知れねえが、その現場こそが今日ダンナ達が調べていたあの女子トイレってわけなのよ」

少年の語り口にモルダアが驚嘆している。

「キミは本当の歳をいわないと逮捕するぞ」

「えへへ。これはテレビのまねだよ。でも話は本当だよ」

なんだか訳が解らなくなってきた。

「つまり、タニマダ先生は本当は巨乳じゃなかったんだけど、五年前に急に巨乳になってそれが原因で学校を移ることになったってことだね。それと今日の遺体発見現場はそのことと大いに関係がある場所だということか」

モルダアは一応話をまとめてみたがやっぱり訳が解らない。そこへスケアリーの乗った車が到着した。

「キミ、この話はまた後でゆっくり聞かせてもらうよ。ボクはちょっと行かなきゃならないみたいだ」

モルダアはこう言ってスケアリーの方へ歩いていった。

「何か解ったのか?スケアリー」

車を降りたスケアリーは眩しそうに空を見ている。

「こんなところでは日に焼けてしまいますから、中に入りませんこと?」

「ああ、そうなの。それじゃあ、そうしようか」

校舎の中に入っていく二人を少年が不適な笑みを浮かべて見送った。