「503」

6. 大きな都心の明るい病院

 目を開けると窓から差し込む日差しが白っぽい部屋を眩しく照らしていた。白い天井に消毒液のどことなく冷たい臭いがしているこの場所はどう考えてもモオルダアのボロアパートではないことはハッキリしていたが、モオルダアは自分がどうしてここで目覚めたのかまだハッキリ思い出せないような感じだった。

 恐らくかなりの時間寝ていたに違いない。それでも、いつまでも横になっていたいような、どこか居心地の良い無力感のようなものを感じてモオルダアは再び目を閉じた。すると、自分の体がベッドの内側にある目に見えない無限の空間に吸い込まれていくような、深い眠りにつこうとしているときのあの感覚を覚えて、そのままモオルダアは夢の世界に入りかけていた。このままなら美女が出てくる幸せな夢も見られそうな、そんな居心地のいい眠りが待っていそうな感じだったのだが、突然聞き慣れた声が聞こえてきて、モオルダアはハッとして目を覚ました。

「ちょいとモオルダア!」

顔を上げて見るとそこにはスケアリーがいたのだが、どう考えても機嫌の悪そうな表情にモオルダアはさらにウワッとなってしまった。スケアリーはモオルダアが必要以上に驚いたのも気に入らない様子だった。

「何て言うか…その、目覚めたら美女がいるなんて、天国に来たかと思っちゃうよね…。へへ」

まだボーッとしているモオルダアだったが、スケアリーの機嫌をとろうと精一杯のことを言ってみた。上手くいったのかどうかは知らないが、少しはスケアリーの表情がゆるんだ気がした。

「そんなことよりも、いつまで寝ているつもりなんですの?」

「いつまで、と言われても。ここは病院でボクは怪我人って感じだし…」

そう言いながらモオルダアは自分がどうしてここにいるのか思い出してみた。そして、昨晩クライチ君と一緒に歩いているところを何者かに車で襲われたことを思い出した。

「そうだ!ボクは暗殺されそうになったんだよ」

「暗殺って?それにしては軽いケガで済んだものですわね。通行人があなたを見付けて救急車を呼んだらしいですけれど、さっき聞いたところによるとあなたは軽い脳しんとうで、そのついでにずっと寝ていただけみたいですわよ。多分疲れているからしばらく寝かせて置いてあげなさい、ってお医者様がおっしゃってたから目が覚めるまで待っていましたけれど。いい加減に起きたらどうなんですの?」

「え、そうなの?でもまだ頭が痛い感じがするんだよね」

「それは寝過ぎたからですわよ」

そう言われてモオルダアはだるそうに体を起こした。

「それでクライチ君は?彼もこの病院にいるとか?」

「何を言ってるんですの?クライチ君なんかいませんわよ」

「でも、昨日ボクは彼を捕まえて一緒にあのメモリーカードを取りに行くところだったんだけど」

「メモリーカードってまさか、あのメモリーカードですの?」

「あの機密情報満載のね。クライチ君はその情報を売ってたみたいなんだな」

「すると襲われたのはあなたではなくてクライチ君かも知れませんわね」

「まあ、そうとも言えるかな。そう言えば彼が二人組に連れて行かれるのを見たような気がするな。そのあと物影からピカーッ!ってなったけど、それ以上は覚えてないな」

スケアリーはどうしてモオルダアの話はいつも最後に怪しい感じになってくるのかしら?と思って少しウンザリしそうになっていたが、それよりも彼に話すことがあるのを思い出した。

「それから、あたくしがあなたが起きるまでわざわざ待っていたのは、あなたを心配していたからではないんですのよ」

モオルダアはそんなことは別に言わなくても良いと思ったのだが、まだ先がありそうなので黙って聞いていた。

「実はこの病院にスキヤナー副長官も入院しているんですの」

「え、なんで?」

「あたくしも、始めはどうしてそんなことになるのか解らなかったんですけれど、もしかするとあたくしの姉の事故に関連しているかも知れないんですのよ」

そう言われても、モオルダアにはなにが何だかサッパリだった。そうなることは予想していたようで、スケアリーはカバンから解りやすい資料を取り出した。

「こちらをご覧いただけるかしら?」

そう言いながらスケアリーは資料その1をモオルダアに渡した。

「それは昨日スキヤナー副長官を襲った犯人のものと思われるDNAの鑑定結果ですの。そしてこちらが、姉の事故の時に検出されたDNAの鑑定結果ですのよ」

そう言いながらこんどは資料その2を渡した。モオルダアは透明なフィルム状のものにプリントされたあのグラフみたいなDNAの鑑定結果を両手に持っていた。そういう物を渡された時にやるべきことはだいたい解っている。この二枚の鑑定結果を重ねあわせると、それが同一人物のDNAかどうかが解るという算段になっているのだ。

 そして、そのとおりにモオルダアが鑑定結果を重ね合わせると二つは見事に一致した。

「つまり犯人は同じ人ってことだ」

スケアリーはこの資料だけでモオルダアが理解してくれたので、余計な説明をしなくて済むと思って安心しながら頷いていた。

「だけど、それだとどういうことになるんだ?」

そこに気付いて欲しくはなかったが、これは誰でも気にすることなのかも知れない。スケアリーもちょっとしぶい表情になってから、何がどうなっているのかまとめないといけないと思い始めていた。


 まず、この話の前編である前回の話から考えていかないといけない。

 最初、モオルダアの買った怪しいDVDのことを調べていると、そのDVDを売っていた男が殺されていて現場にはカタコトの日本語を話すサクライという人物がいた。どう考えても怪しいサクライだったのだが、彼はアメリカの外交官ということが判明して釈放となってしまった。

 しかし、サクライの持っていたカバンの中身を元にして二人が捜査を進めると、モオルダアはパイパイ丸という怪しい船に辿り着き、スケアリーはUFOサークルのメンバー達から自分の首の付け根に埋まっていた金属片に関する話を聞いて不安な思いをすることになった。

 スケアリーの金属片についてはこれから進展があると思うが、その前にパイパイ丸のことを思い出すとしよう。

 ローンガマンの推測によるとパイパイ丸は海底で何かを探していたということだった。それは海に沈んだ昔のお宝を探すような事だと思われていたのだが、実はそうではなさそうである。パイパイ丸の乗組員は一人を除いて大量の放射能を浴びて瀕死の状態だった。そして、その症状はこの話の冒頭に登場した男や、ウィスキー男のいる暗い病室に運び込まれた二人ともそっくりである。

 それからフランス政府、あるいは政府ではなく何らかの組織かも知れないが、そこに情報を売ったと思われるロリタを追うとクライチ君に辿り着いた。それはパイパイ丸が探していた物の情報がクライチ君の持っていたメモリーカードから得たものだったことを示しているのかも知れない。

 だから何なのか?というところはいまいち解らないのだが、アメリカの外交官であるサクライがパイパイ丸のことを探っていたのなら、クライチ君の持っているメモリーカードにはアメリカ政府も何らかの関わりがありそうである。それに、この事件の発端は怪しいDVDよりも先に、カタコト日系人の不法入国事件でもあった。


「コレハ、チョット・フクザツナー・ハナシデスネ」

今回の事件のことを考えていたモオルダアはまた変な発音で話した。スケアリーはいちいち反応するのが面倒なので普通に返事をした。

「それに、不法入国事件の捜査をあなたにまかせたのはスキヤナー副長官でしたわね。もしかして、そのことも昨日の襲撃事件と関わっているのかしら?」

「なんで?」

「なんで、って。わかりませんの?スキヤナー副長官がもし何かに気付いていたとして、それを直接あたくし達に伝えられないような状況にあったとしたら、なにか遠回しな方法で問題の事柄にあたくし達が気づけるように仕向けるかも知れませんでしょ?」

「そうだとすると興味深いけどね」

「とにかく、あたくしはこれから行くところがありますから、あなたは早く起きて捜査を続けるんですのよ!それから、スキヤナー副長官の警護をしている人達も、なんとなく頼りないですから、あなたがちゃんと注意しているんですのよ」

「え、何でボクが?」

モオルダアが言うのもほとんど聞こえない感じでスケアリーは部屋を出ていってしまった。モオルダアはスケアリーの後を追いかけようとも思ったのだが、靴とかスリッパとかどこにあるんだ?と思ってベットの回りを見渡していた時にはもう遅いな、と気付いたのであきらめた。

 どうやらスケアリーは例の金属片のことが気になって仕方がないようである。残されたモオルダアはのっそりとした感じで起き上がると、一度大きくあくびをしてから病院を出る支度を始めた。