「SWINDLE」

1.

 目を開けると辺り一面が真っ白。どこにも影など見付からない眩しい世界が広がっている。驚いて目を閉じた。こんな光景は時に頭の中に浮かぶことがあったが、実際にそんな所があるとは夢にも思っていなかった。ここには物質が一切存在しない。だから影が出来ないのだ。光を発しているのは実体のない霊的なエネルギー。かつて生きていた者達の魂が地上での生活のために使っていた肉体を抜け出してここへやって来る。ここへやって来たばかりの新米の魂は、自らも発しているその光を感じると眩しさのあまり思わず目を閉じてしまうのだろう。新米の魂達はこれから行き先を告げられるのだ。ある者はここに残り、ある者はもう一度地上におりて難儀な人生を繰り返す。そしてある者は地の底へ落とされて苦しめられるのだ。

2. 東京湾岸、埋め立て地の倉庫街

 スケアリーの車が静かに止まった。その車の隣にはドドメキの乗る車が止まっている。隣り合った車は互いに近い方の窓をほぼ同じタイミングで開けた。

「用意はいいかね?」

ドドメキがスケアリーに聞いた。スケアリーはどうでもいいような感じで、聞かれたことと関係ないことを言った。

「あたくし、思うんですけど。どうして重要な取引をこんな昼間にするんですの?なんだか雰囲気が出ませんわ。どうせなら深夜にするべきですわ。どうせモオルダアは生きているんでしょ?」

ドドメキは彼女のモオルダアみたいな緊張感のなさに少し驚いていた。きっとスケアリーは昨日もあまり寝ていないのかも知れない。疲労のせいでこんなことになっているに違いない。ドドメキはそう思って納得することにした。

「生きているといっても、あんな危険な連中のところにいたんじゃ何をされるか解らない。一刻も早くモオルダアを助けなくてはいけないんだよ」

「危険って、どう危険なんですの?」

「考えられるどんな手段よりも残酷な方法でモオルダアは拷問されているかも知れない」

これを聞いてスケアリーの頭には拷問を受けるモオルダアの姿が浮かび上がった。拘束されて動けないモオルダアに悪人達が木の棒の先に付けたウ○コを近づけていく。恐怖におののくモオルダア。スケアリーは背筋にイヤな緊張感を感じてビクッと肩をすぼめた。

「それは大変ですわ。それじゃあ雰囲気は出なくても真昼の闇取引にいこうじゃありませんか」

スケアリーは車を降りてドドメキの車へ移った。この車で取引場所まで行くようだ。しかし車の中で多少の緊張感を取り戻したスケアリーはあることに気付いてしまった。

「ちょいと、モオルダアを拷問していったい何を聞き出そうっていうの?」

確かにそのとおり。モオルダアはいつだって何も知らない。だからこそ難解な事件でも運で解決してしまうんです。

 聞かれたドドメキは口元だけをかすかに横に動かして、笑顔のような表情を作って見せてから答えた。

「どうやら、やっとキミらしくなってきたようだね。キミの科学的な視点からするとモオルダアを拷問したってなんにも出てくるはずがない。そんなことはヤツらだって解っているんだよ。問題なのはモオルダアが自分でも気付いていない天才的な直感なんだよ。もしかすると彼は意識のずっと深いところで何かを知っているかも知れないんだ。彼らが知りたいのはその辺だよ。きっとモオルダアは神経に作用する薬品を投与されて彼自身も知らない深層意識の情報を彼らに話しているかも知れない。そんなことが長く続けばモオルダアの命も危険になってくる。たとえ命が助かったとしても、薬品の副作用で元のように捜査官としての活動は出来ない体になってしまうだろうねえ」

 スケアリーはドドメキのいうことを聞いて驚いていた。それからスケアリーは何かの薬品の副作用でゾンビのようになったモオルダアの姿を思い浮かべた。モオルダアは生気のない瞳をぼんやりと光らせて、彼女の家の外からバスルームを覗いている。そこまで考えると、スケアリーは急に目の色を変えて銃を取り出すとドドメキに向けた。

「ちょいとあなた!車を止めなさい!」

ドドメキは慌ててブレーキをかけた。急停止した車の中でスケアリーの体も大きく傾いたが銃の先はドドメキから離さなかった。

「いったい、どうしたんだね?」

ドドメキは両手を顔の横に上げてゆっくりとスケアリーの方を向いた。

「あたくし、負け犬女の開き直りでなんとなくあなたの話を信じてきましたけど、変態モオルダアのおかげで思い出しましたわ!昨日の夜、バスルームを覗いていた犯人はあなたなんでしょう?それにさっきもあたくしのことを馴れ馴れしく『キミ』っておっしゃいましたわね。はじめて会ったのはおとといの夜だっていうのに。やっぱりあなたはただのストーカーじゃございません?あたくしを上手く誘拐したつもりでしょうけど、そうはいきませんわ!」

しまった!スケアリーが変なところを意識し始めてしまった。しかし、ドドメキは落ち着いている。

「確かにキミがそう思うのも無理はないがね」

ドドメキは父親が子供をさとす時のような口調で話し始めた。瞳の奥には自信に満ちた輝きがある。(ここで、作者のミスによって書かれなかった情報を。ドドメキは結構年輩なのです。五十から六十歳ぐらい。それ以上かも。それからウィスキー男もそれぐらい)

「私もモオルダアを誘拐した犯人も、ずっと前からキミ達のことは知っているんだよ。彼らの計画に気付いてそれを阻止しようとする者はペケ・ファイルの捜査官以外考えられないからね。昨日の夜は、たまたま中の様子をうかがおうと思って覗いたのがバスルームだったというだけだったんだが…。キミがこのまま私を覗きの犯人として警察に連れて行ってもかまわないのだが、それから先キミは暗闇の中でモオルダアを手探りで探すことになるぞ。私はこの状況の中で唯一の光だ。モオルダアを助けたいのならその銃をしまって取引場所に向かうのが賢明だと思うがね」

ドドメキのこの落ち着いた口調にスケアリーも次第に冷静に状況を把握することが出来るようになっていた。レイコがネコ科の女になってしまった今、スケアリーの協力者はこの怪しい男だけ。信頼は出来ないが、この男は何かを知っている。スケアリーが銃をしまうと、ドドメキは再び取引場所へ向けて車を発進させた。

3. 取引場所近くのウィスキー臭いワンボックスの中

 ウィスキー男はイライラしながら持っていたボトルを口元まで運びいつもより多めに瓶の中身を口の中に流し込むと、ノドを大きく動かしてそれを胃の中に収めた。それから近くにいた若い男に聞いた。

「おい、どうなった?」

聞かれた男は持っていた携帯電話のボタンを押してどこかにかけていた電話を切った。

「まったく反応がありません。自宅も携帯も。いったいどうしちゃったんでしょうねえ?」

ウィスキー男はこの男の気楽な感じが気に入らなかったが、そこを気にしている場合ではなかった。取引の時間は刻一刻と迫っている。

「もしかして、逃げる途中に車に轢かれたりして死んでるんじゃないですか?あんなにふらふらじゃあ、普通ならまともに歩けませんよ」

若い男は先程切った携帯のリダイヤルのボタンを押しながら言っている。ウィスキー男にはさらに気に入らない感じだった。

「あの男が死ぬはずはない。キミは黙って彼の居場所をつきとめればいいんだ!」

そういうとウィスキー男は車の中にいたもう一人の男の方に振り返った。その男は顔に布袋を被せられ、両手を背中の後ろで縛られている。

「やっぱり、キミの出番らしいな」

ウィスキー男が布を被せられた男に言った。

「いいかね。何度も言ったとおり、これは一発勝負なんだよ。NGは絶対にあり得ない。100%リアルなものを頼むぞ!」

ウィスキー男にこう言われると目隠しをされた男が答えた。

「舞台では常に一発勝負ですよ」

ウィスキー男は男のこの一言を聞くと冷たい笑顔を浮かべた。