「リトル・ムスタファマン」

1.

 人は妄想する。そして人は幻滅する。しかし、妄想が現実のものになった時、人はどう対処するのだろうか。妄想はあり得ないからこそ妄想なのであり、だからこそ人は妄想の中に安らぎを見いだすことも出来るのである。

 地球の内側は空洞になっていて、そこに地上とは別の人間が生活をしている。それは夢のある話でありながら、ある種の人間にとっては危険きわまりない作り話である。

 地底に住んでいるのは人間ではない。人間よりも遥か昔にこの地球上に降り立ったエイリアンが快適な居住地として選んだのが地底だったのである。果たしてそれは本当か。

 宇宙線研究のために地下深くに建設された研究施設がある。そこにある装置は宇宙から届く宇宙線をとらえるために全ての目を空に向けているはずでった。しかし、ある施設で装置は地底に向けられているらしい。地底人の存在を確かめるために。

 妄想は妄想でしかない。しかし妄想が現実のものになった時、人はどう対処するのだろうか。

2. エフ・ビー・エル・ビルディングのとあるフロア

 今日もエフ・ビー・エルの職員達は何をしているのか解らないが、机が並べられたこのフロアを忙しそうに行ったり来たりしている。その中の目立たない机にモオルダアは一人ボンヤリと何を見つめるわけでもなく一点を注視したまま座っている。「…あー。…あー」モオルダアは退屈だということすら忘れるほどに退屈していた。ペケファイルが閉鎖されてからの数日間、彼はここへ毎日出勤してきているのだが、まだ何もしていない。初めのうちはこの机について一日中美女と優秀な捜査官の大冒険について妄想していたのだが、今では彼の頭の中には「…あー」しかない。

「おいモオルダア!何をやってるんだ!」

突然声をかけられたモオルダアは驚いて振り返ると、彼に声をかけた人物をしばらく見つめていた。見つめていても急に声をかけられた驚きでそれが誰だかしばらく思い出せなかったのだが。

「…あー。副長官じゃないですか。何をしてるんですか、こんなところで」

「何をしてるんですか、じゃないよ。キミがちゃんと仕事をしてるか見に来たんだよ」

モオルダアを驚かすことに成功したスキヤナー副長官は嬉しそうにしている。モオルダアは納得がいかないまま、スキヤナーに向けていた視線を机に移した。

「ボクだって仕事があればちゃんと仕事してますよ。いったいボクは何をすればいいんですか?」

「さあ、それは知らないよ」

この答えを聞いてモオルダアはまた驚いてスキヤナーの方へ振り返った。しまった。短い間に二度も驚かされてしまった。そう思ったが、スキヤナーの表情から察すると今の答えは彼を驚かせるために言ったものではいようだった。

「私だって、一人で13階にいるのが退屈でここに遊びに来たんだから。おまけに隣の部屋に秘書がいたり、たまにエフ・ビー・エルの偉い人たちがやって来たりして、落ち着かなくてねえ。まったくシーズン2になって厄介なことだらけだよ」

酷い話である。モオルダアはここで一日中何もせずに過ごすことに何の意味があるのかまったく解らなくなってしまった。自分の直属の上司ですら何もすることがなくて、こうして部下のところへ遊びにやって来る。エフ・ビー・エルっていったい何なんだ?モオルダアは気分が重く沈んでいくのを感じていた。

「キミもここにいる人たちみたいになんかをしているフリをしてみたらどうだ?」

モオルダアの様子を見てスキヤナーが何かを感じたのか、彼に提案してみた。

「しているフリ?」

「そうだよ、ああして動き回って忙しいフリをしていれば、退屈な中にも何かの意味が見いだせるかも知れないぞ」

モオルダアはまた更に嫌な気分になった。

「もしかして彼らって…」

「エキストラだよ」

嫌な予感は半分以上的中する。モオルダアの生まれ持った才能のひとつだ。

「彼らがエキストラならボクはいったい…」

ここまで言ってモオルダアは言葉を詰まらせた。エフ・ビー・エルに居て自分には何の意味があるのか。もしかするとエキストラほどの価値もないのか。考えていたら、彼と美人スパイの大冒険という妄想が、本当にバカげた妄想であったと思えてきた。今更気付くということすらバカげているのだが、モオルダアとはそういう人。

 モオルダアはペケファイルがなくなって予想以上に落ち込んでいるようだ。スキヤナーは少し心配になった。

「一応キミは主役の一人なんだからパソコンでもいじってれば良いじゃないか」

「ダメですよ。このパソコン、普段使ってるのと違って難しいんですよ」

「そんなことないだろう。インターネットのスイッチ入れて、パソコンのボタンを押せば良いんだよ」

モオルダアにはスキヤナーが何を言っているのか理解できなかったので、両目にハテナマークを一つずつ書いてスキヤナーを見ていた。するとスキヤナーが説明した。彼は机の上のモニターを指さした。

「これがインターネットだろ」そして指をキーボードに向けて「これがパソコンだよ」

モオルダアは間違っていると解っていたが試しに聞いてみた。

「それじゃあ、その『インターネット』と『パソコン』がつながっているこの大きな箱は何ですか?」

スキヤナーは少し考えてから答えた。

「それはコンセントとつながってるから、多分あれだよ。電源アダプターってやつじゃないか?」

「副長官!ホントですか!?」

そうモオルダアが言った時、スキヤナーはすでに彼に背を向けてドアの方へと歩いていた。

3.

 唖然としているモオルダアの所へ一人の若い男が近づいてきた。

「モオルダア捜査官。困ってるみたいですね」

モオルダアが声に反応して顔を上げると、中途半端に男前な若い男が軽く微笑んで机の上のモニターを指さした。

「おい、キミが誰だか知らないが、エキストラが喋ったらダメじゃないか」

モオルダアは小声で注意したが、男はあまり気にしていないようだ。

「ボクはエキストラじゃありませんよ。本当は次回のエピソードで登場する予定だったんですけど、副長官が予想外にボケてしまったから予定を変更して登場したんですよ。だからまだ名を名乗ったりはしませんけどね」

なんだか理解できるような、出来ないような。それでもこの男は何かを知っていそうだからそのまま続けさせた。

「そのパソコンは少しも難しいことはありませんよ」

「そういっても、こんなの見たことないぞ。ウィンドウとかフォルダとかはどこにあるんだ?」

「それは、カモフラージュ用の画像なんですよ」

「カモフラージュ?」

「そうですよ。エフ・ビー・エルみたいな特別な組織で普通の会社みたいなパソコンを使うのって、ちょっとガッカリでしょう?だから本当に使う時以外は難しそうな画面を表示させておくんですよ。こうすれば大丈夫です」

男がキーボードを操作すると画面にはよく知っているパソコンの画面が表示された。

「何だ、そういうことだったのか!」

モオルダアは納得できないままではあったが、見慣れた画面の登場に意味もなくすっきりした気持ちになった。

「これでやっと話が前に進みますね。ボクのことが気になる人は次回のエピソードを見逃さないようにね!」

男はこう言うとどこかへ行ってしまった。モオルダアは男が何を言っていたのかも聞かずに、パソコンをいじるのに夢中になっている。これでしばらくは退屈から解放されそうである。モオルダアはとりあえずメールをチェックしてみることにした。モオルダア宛のメールが大量に届いている。

「おっと、これは事件ですよ」

モオルダアはぶつぶつ言いながらメールを読み始めた。「美人捜査官のマル秘写真集。あなたのために特別にご用意いたしました。地下駐車場にて特別販売!」

これはなんでもないようだ。モオルダアは次のメールを読んだ。「美人スパイをスパイする。隠しカメラの前で美人スパイがあんなことやこんなこと。購入は地下駐車場…」

何だろう?モオルダアは意味が解らないまま次のメールを開いた。「いい加減に気付きなさい!変体モオルダア向けマル秘DVD、地下駐車場ですのよ!」

なんだか嫌な予感がしてきた。更にもう一通のメールを開く。「もう、いい加減にしないと怒りますわよ!あなた向けに謎めいたメールを書くのももうこれが最後ですわ。地下駐車場で美人捜査官があなたを待っているということですのよ!おわかり!」

 なんかこれスケアリーみたいな感じだなあ。モオルダアが最後のメールを開こうとすると同時に、彼のいるフロアにスケアリーがやって来た。彼女はモオルダアを見付けると真っ直ぐに彼の方へ向かってくる。モオルダアは彼女の表情を見て、真っ先に謝る準備をした。しかし、一体何を謝ればいいのだ?そう思うと今度はいつでも逃げられるように腰を少し浮かせた。しかし、そうするよりも先にスケアリーがモオルダアの胸ぐらを掴んだ。

「ちょいと、いい加減にしたらどうなんですの!あたくしは毎日あの薄暗い駐車場であなたを待っていたんですからね!」

やっぱり怒っている。しかしどうしてだろう?

「ボクに話があるんだったら、始めからここに来ればよかったじゃないか」

モオルダアがおそるおそる言うと、スケアリーは掴んでいたモオルダアの胸ぐらを更に引いた。

「あなたは何にも解っていないのねえ。こんな所で二人が話していたら、あたくし達の捜査を邪魔をしている方達に怪しまれてしまうでしょ。ですからあたくしは、謎のメールであなたに連絡を取っていたんですのよ。いいこと?今度こそ地下駐車場に来るんですのよ。来ない時にはあなたがどうなるか知りませんわよ!」

スケアリーは突き飛ばすようにモオルダアを放すとそのまま出ていった。

「はっ、はい…」

スケアリーの後ろ姿に向かってモオルダアが力無く返事をした。エキストラ達は何事もなかったように机の間を縫って忙しそうに歩いている。