「リトル・ムスタファマン」

6. 小料理屋

 モオルダアは謎の男に連れられて小さな商店街にある小さな小料理屋に入った。カウンターだけの店内にはサラリーマンふうのスーツを着た中年が一人いた。多分これが区議会議員。彼の前には徳利が三つと食べかけのモツ煮込み。徳利は一つがだらしない感じで倒れたままになっている。中年の男はモオルダアが入ってきたことに気付くと、必要以上に大きな声を上げた。

「ああ、モオルダア君。遅いじゃないか。早くここにかけたまえ」

こんな酔っぱらいの隣に座るのは嫌だったが、来てしまったものは仕方がない。よく見れば区議会議員のかけている眼鏡は、斜めにずれて鼻の上に乗っかっている。酔っ払ってそうなったのか、或いはいつもそうなっているのかは解らないが、そうとう飲んでいるということは誰にでも解る。モオルダアが区議の隣に腰掛けると、小料理屋の女将、と言うよりおばちゃんがモオルダアの前に小さな器を差し出した。中身は里芋の煮付け。そんなことはどうでもいい。

 突き出しから目を上げて、区議会議員を見たモオルダアがまず聞くべきことを聞いた。

「あなた、誰なんですか?」

これを聞いていたのかどうかは解らないが、議員はガハハと笑った。

「まあまあ、飲みたまえモオルダア君」

議員が目の前の徳利を持ち上げて注ごうとしたが、中は空っぽだった。

「あれあれ、もうなくなっちゃったじゃないの。マダム。これもう一本」

議員が空の徳利を掲げて女将に声をかけた。モオルダアは女将のことをマダムと呼ぶこの男に少しだけ共感がもてたが、どうにも声がでかい。なんだかすごく嫌な感じがしていた。

「モオルダア君。捜査の方はどうだね?」

議員は唐突に聞いた。

「捜査って、今は何も…」

「ところでモオルダア君!」

この男は会話をする気がないらしい。或いはこれでも会話になっていると思えるぐらいに酔っているのかも知れない。さすがのモオルダアもイライラしてきた。

「モオルダア君。キミは知ってるかね」

「何をですか?」

「この曲をだよ」

そういわれてモオルダアが耳を澄ますと店内に小さな音で音楽が流れていることに気付いた。そこで流れていたのは日本の歌謡曲だった。

「さあ、何だろう?モウムスかなあ?」

「ガハハハ。何を言ってるんだ、モオルダア君。これはバッハだよ」

「違いますよ!」

モオルダアも議員につられて大きな声を出してしまった。自分の大声に気付いて何とか冷静になろうと努力していると、議員はカウンターの上を滑らせるようにして一枚の紙切れをモオルダアの前に差し出した。そこには「盗み聞きの可能性アリ」と書かれている。こんな会話は盗み聞きされてもいっこうにかまわないのだが、どうにも気になるのでモオルダアは店内を見回してみた。するとカウンターの奥にいる女将と目があった。女将はすぐにモオルダアから視線をそらした。

 あらゆることが怪しい感じなのだが、あらゆることが腑に落ちない。ここはとりあえず議員の話を聞いてみるしかないのだろうか。それにしても追加の徳利はいつ出てくるんだ?

「ところでモオルダア君。ボイジャーにモウムスのレコードが搭載されてたら面白いよねえ。ガハハハ」

モオルダアも呆れて返す言葉がなかった。地球外生命体へ向けたメッセージを録音したディスクを搭載したボイジャーはモオルダアも大好きだ。ロマンがあって、ある種のユーモアのセンスさえ感じられる。しかし、この議員が何を言いたいのかモオルダアにはまったく理解できない。モオルダアが「いい加減にしてくれ」と言わんばかりに眉間にしわを寄せていると、議員はおでこの上に垂れ下がってきたギトギトの前髪を元の位置になでつけから、急に声をひそめて話し出した。

「ボイジャーのレコードは今のところ何の成果もあげていないけど、ボインジャーはそうでもないんだよ。モオルダア君」

「ボインジャー!?」

急に真面目になった議員の口から発せられた間抜けな単語にモオルダアが興味を示している。モオルダアの様子を見た議員が詳細を語ってくれるようだ。

7. ボインジャー

 宇宙は新たなる戦略の拠点であり資源の宝庫であり、その他あらゆる可能性を秘めている。宇宙を手にしたものが世界を征するといった感じで大国は巨額の資金を投じてきた。そんな中で我々には何が出来るのだろうか。こびへつらうのは得意でもどうしても大国の仲間入りは出来ない。やっぱり付いていくしかないのね、と誰もが思っているはずである。しかし、そんなことはない。世界中が空に目を向けている隙に我々はしっかりと地面を見据えていたのである。地面というよりもそのずっと下を。

 アメリカがボイジャーを打ち上げた翌年、日本政府は密かに地底に向けて探査機ボインジャーを発進させた。地底に何があるのか、すでに我々は知っているつもりでいるが、実はそうでもない。地底に向かってずっと進んでいくとそのうちマグマが出てきてそのあとは、灼熱でドロドロで最終的には核があるというのはあくまでも仮説である。地底に向かって進んでいけばいつしかカッパの国へとたどり着くはずである。

 カッパと聞いてガッカリしてはいけない。カッパとは未知のものを解りやすく説明するための仮の名前にすぎない。大昔からカッパの目撃談は後を絶たない。そして、目撃者の描写するカッパの姿はどれもみな似かよっている。

 一方で、空からやって来た生命体に関する目撃談も数え切れないほどある。そして、そちらもみな同じような姿で描かれている。その姿とカッパの姿の共通点がどれだけあるか。少し考えれば、どちらも同じものを指していることは明らかである。

 昔、カッパの世界を克明に描いた小説があった。その作家はその後しばらくすると自ら命を絶ったということになっているのだが、果たしてそうだろうか?国家という巨大な組織の力を使えば一つの殺人を自殺に仕立て上げるのは簡単だ。

 それだけカッパの世界は政府にとって重要なのだ。日本政府は宇宙に手が出せなかったのではない。地底にはもっとすごいものがあると知っていたのだ。多くのカッパが日本にしか現れないことが幸いし、この情報は国外ではほとんど知られていない。それに政府はこの計画を極秘に進めていたのである。

 ボインジャーにはカッパへのメッセージが搭載されていた。そのメッセージに対する返答を受け取るため、国内のいたるところに観測所が設営されている。そのほとんどが鉱山の跡地にあるのは、少しでも地底に近づくためである。極秘計画のために大がかりな工事は出来ない。そこで元から穴の空いた場所を選んだと言うことである。

 我々は地底からの返答を待った。今日はなくても明日はあると信じて待った。今年はなくても来年は…。いつの間にかボインジャーは忘れられた。そして、たまたまボインジャーを思い出したある議員によって観測所は閉鎖された。とっくの昔に。


 本当のことのように話す議員にすっかり夢中になっているモオルダアであったが、あることに気付いて議員の話を遮った。

「それはすごい話なんですけど、さっきからマダムが思いっきり盗み聞きしてますよ」

議員が目を上げると、二人の目の前に女将が立って話を聞いていた。それでも議員は特に慌てることもなかった。

「ああ、それなら大丈夫だよ。実はねえ、彼女は私の愛人なんだよ。ガハハハ」

「はあ。そうなんですか」

議員の答えを聞いてモオルダアの胸の中はすごくモヤモヤしてきたが、そこを気にしても意味がない。

「それで、あなたは何が言いたいんですか?そんなことはボクもなんとなく知ってましたよ」

ホントに?モオルダアも知っていたなんて。さすがはモオルダア。それでも議員はまだ自信たっぷりである。

「ところがだねえ、昨日カッパ処理班へ出動命令が出たんだよ。キミが彼らより先に行動しなければ全ては闇に葬り去られてしまうんだ」

「カッパ処理班!?」

「そう。彼らとの間に何かが起こった時に出動するカッパ処理班。私がなんとかして出動を遅らせるように手を打ってはいるんだが、なにせ区議会議員の影響力なんて無いに等しいからね」

「まあ、そうでしょうねえ。それでボクにどうしろと言うんですか?」

自分好みの話に盛り上がってきたモオルダアが指示をあおいでいる。

「証拠を持ち帰るんだよ」

「証拠って何の?」

「返答のだよ」

議員はカウンターの下でモオルダアへ紙切れを手渡した。モオルダアは辺りを気にしながら受け取った。女将はそれをジロジロ見ていたがモオルダアはあまり気にしなかった。渡された紙切れを見るとそこにはアルファベットやら数字やらがずらずらと書かれていてモオルダアには何のことだか解らなかったが、なんだか謎めいているのがいい感じだったのでそこで紙切れからは目を離すことにした。

 話はだんだん解ってきたのだが、モオルダアにはまだモヤモヤしていることがある。ここはボインジャーについてもう少し聞いておかなくてはいけない。

「あれはただの噂だと思ってたけど、ボインジャーって本当だったんですか?搭載されていたメッセージって、何なんですか?音楽とか世界中の言語で録音されたあいさつですか?」

「まあ、似たようなもんかな。ボイジャーと違うのは一つだけ。世界各国の美女のセクシーポーズ満載の写真集が含まれていることだよ。まああれは言ってみればエロ本ってとこかな」

詳しく聞いたらまた更にモヤモヤしてきた。

「何でエロ本?」

「だって、カッパはエロガッパだから?」

議員までハテナを付けて話し始めてしまった。果たしてモオルダアはすごい情報を手に入れたのだろうか。

「とにかく、早くしないと証拠は全て片づけられてしまうからね。ぐずぐずしているヒマはないぞ。なあ、マダム。ガハハハ」

「ハイ、アナタ」

女将は片言の日本語で答えた。外国の人?もう何がなんだか意味が解らないのでモオルダアは色々なモヤモヤをモヤモヤさせながら自分の部屋へと戻った。

8. 翌日、エフ・ビー・エル

 このところ仕事のつまらなさにほとんど職場放棄に近い状態のスケアリー。午前中の実習を早々に終わらせて自分のデスクで昼食用のベーグルを食べていた。そこへ困った顔をしたスキヤナー副長官がやって来た。

「モオルダアが無断欠勤みたいなんだ。せっかくやることが出来たっていうのに。そんな日に限って無断欠勤なんて。もしかしてキミは何か知っているんじゃないか?」

スケアリーは口に入れたベーグルを飲み込むまでしばらく黙っていた。それでも、早く返事をしようと言う気はあったのか、まだ噛み足りないものを無理に喉の奥に押し込むと傍らにあった紅茶をすすってから答えた。

「どうしてあたくしにそんなことをお聞きになるの?あたくしが知っている訳ないじゃありませんか」

「でも、短い間ではあったけど一緒にペケファイルやってただろ。だから最近も連絡とか取ってるんじゃないの?」

なぜかは知らないがスキヤナーはモオルダアがいなくて都合が悪いようだ。何とかモオルダアの居所を聞こうとしている。

「あのかたがまともならともかく、あたくしがあんな変態モオルダアと仕事以外でつきあうことはありませんわ!」

スケアリーは昼食を邪魔されて多少機嫌が悪くなってきた。しかし、こう言った後でふと昨日モオルダアの言っていた「優秀な捜査官のベンチャー企業」というのを思い出して、少しイヤな予感がした。不安でスケアリーの表情が曇っていく。

 モオルダアは時々とんでもないことを成し遂げてしまう。それは本人の才能ではなくて、全てが運であることに疑問の余地はないのだが、もしモオルダアがそのベンチャー企業で成功して大金持ちになってしまったら…。スケアリーはスキヤナーにその話をしようかと思ったが、昨日彼女がモオルダアを笑ったようにスキヤナーも彼女のことを笑うかも知れないと思って、そのことについては何も言わなかった。

「とにかく、あたくしは何も知りませんから。他をあたってくださるかしら?」

スキヤナーには彼女の不安の表情がモオルダアの身を案じてのことだと思ったようだ。

「そうか。それなら仕方ないな」

スキヤナーは立ち去ったが、スケアリーの心には不安がいつまでも残った。

 まさか本気なんですの?モオルダア。あなたの好きなようにはさせませんわよ!

 モオルダアに続いてスケアリーまでなんだか盛り上がってきてしまった。

9. そのすぐ後、13階スキヤナーのオフィス

「というわけでスケアリーは何も知らないみたいですよ」

スキヤナーが誰かに向かって話している。その視線の先からはウィスキーのニオイが漂ってくる。

「どうしてそう思うんだね?」

ウィスキー男は何か気に入らないことが起こっていると解っている。どうしてもモオルダアの行き先を知りたいようだ。

「どうしてといわれてもねえ。スケアリーは柄にもなくモオルダアを心配してたしねえ。あれは明らかに何も知らないよ」

ウィスキー男は聞きながら手に持っていたウィスキーの瓶を口のところまで持っていったが、その瓶がもうすでにカラになっていることに気付いた。瓶とスキヤナーの顔を交互に見ているとスキヤナーが言った。

「ここにウィスキーがあるワケないでしょ」

あるとは思っていなかったがウィスキー男にはちょっとガッカリだった。

「スケアリーに尾行をつけるんだ。それから、この近くに安い酒屋はないか?」

スキヤナーは首を軽く傾けて「さあ?」といったゼスチャーを見せただけだった。

10. 上高地のあたり

 山間を走る列車を降りたモオルダアはバスに乗り換えた。バスには運転手以外の人間は彼しか乗っていなかった。曲がりくねった山道を走るバスの中から外の景色を眺めるモオルダアはこの小旅行に胸を躍らせながらも、時々彼の胸に去来する言い知れぬ不安を意識せずにはいられなかった。何かがおかしい。彼の少女的第六感は彼に漠然とした警告を発していた。

 バスは次第に標高の高い場所にさしかかっていた。開けた場所を通ると遠くまで景色を見渡すことが出来た。「わあ、きれいだなあ。やっぱり日本は山の国だな」完全な旅行者になってしまったモオルダアだが、ふとイヤなことに気付いてしまった。少女的第六感が彼に何を言わんとしていたのか。

 議員は言っていた。「地底に近づくために元から深い穴の空いた場所に観測所を作った」と。しかし、それはおかしくないか?山の上から穴を掘っても山の高度があるから穴は深くても地底に近づくためには理想的ではない。どうせなら高度の低い平地に穴を掘った方が地底により近くなるはずだ。ここまで来てそんなことに気付くとは。久々に盛り上がっていたモオルダアの気持ちがどんどん沈んでいく。

 そうしている間にモオルダアを乗せたバスは目的地に近い停留所へ到着した。モオルダアは深刻な顔でバスを降りようとした。そんなモオルダアの様子を見て、たまらず運転手が声をかけた。

「お客さん。これは今日最後のバスですよ。この山の中には泊まるところもありませんが、本当にここでいいのかね?」

長年この山道を往復してきた運転手はこんな客が何をしようとしているのか、なんとなく解ってしまうのだ。ただし、客がモオルダアである場合はその限りではないのであるが。

「大丈夫ですよ、ムッシュー。ボクには行くところがあるんですから」

モオルダアはうつむき加減で答えた。

「ホントに大丈夫なのか?バッグ一つでこんな所に来て。山に寝泊まりするような装備は持ってないみたいじゃないか。悪いことは言わないから、このまま終点まで行ってそこで泊まっていったらいい。辛いこと悲しいこと、何があったか知らないが私でよければ話を聞くから」

モオルダアはどうして運転手がこんなことを言うのか良く解らなかった。しかし、モオルダアがこれから向かうのは秘密の地下観測所。それを知らなければこんな所でバスを降りるのは人生に絶望してしまった人しかいないのかも知れない。

「ムッシュー。もしかしてボクが死のうとしてるとか思ってませんか?」

「それ以外考えられんだろう。そんな深刻な顔をして。ここだって一応観光地として成り立っている場所なんだから妙な死体が出てきたら困るんだよねえ」

「ムッシュー、それは失礼ですよ。ボクがそんなセンスのないことをすると思いますか?どうせそんなことをするんだったら、他のセンスのない人たちと一緒に富士山の麓にでも行きますよ」

運転手はモオルダアに「その気」がないことは解った。しかし、この山の中で一晩を過ごすというのは危険すぎる。モオルダアの持ち物を見れば寝袋すら持っていないようだ。

「でも、どうしても心配だ。名前と目的地ぐらいは教えてもらえないかね?」

「それを言ったら私はキミのことを殺さなきゃいけなくなる」

モオルダアは優秀なエージェントの台詞を言えたのでニヤニヤ笑っている。運転手はビックリして目を丸くしていた。

「まあ、鉱山跡地が好きな優秀な捜査官ということにしといてくださいよ」

そう言って立ち去るモオルダアを見ながら運転手はバスの扉を閉めた。「どうでもいいけどあんな変なやつが自殺なんかするわけはないな」そうつぶやいて、バスは乗客を一人も乗せずに終点を目指して走り出した。