「リトル・ムスタファマン」

18. 早朝

 観測所のエレベーターが一度地上に昇ってまた地底まで降りてきた。扉が開くとそこにはスケアリーの姿があった。エレベーターを降りたスケアリーは観測所の中に入るとその混乱した部屋をみて一瞬たじろいだ。

「まあ、何なんですの?この散らかりようは」

棚が倒れたり、紙が散らかっていたり、いかがわしい雑誌が散乱している中をスケアリーが中へと進んでいく。

「ちょいと、モオルダア!ここにいるのは解っているんですから。隠れてないで出てきたらどうなんですの?」

スケアリーのこの苛立った口調にもモオルダアは反応しない。この散らかりように、ここで何か異常な事態が起こったのかも知れないと思ったスケアリーは一度立ち止まった。

「ちょいとモオルダア。いるのなら返事をなさい!」

そう言いながら見回すと、ひっくり返った机の下から二本の足が出ているのを見つけた。この安っぽい革靴には見覚えがある。スケアリーは慌ててその机をどかした。

 その下には片手にモデルガン、そしてもう片方になぜかグラビア雑誌を抱えて倒れているモオルダアの姿があった。彼女はモオルダアを探して聞き込みをしている時に聞いたバスの運転手の話を思い出した。「山の中で降ろした男がそれかなあ。オレはあの男が自殺でもするんじゃないかと思って心配だったんだが…」

 まさか自分がバイトだったと知ったショックで自殺を?スケアリーは慌ててモオルダアの頬をビシビシと三度ほど平手打ちした。

「ちょいとモオルダア!まさか死んでいないでしょうねえ」

スケアリーが平手打ちの後に胸ぐらを掴んでモオルダアの上半身を揺り動かすとやっとモオルダアが目を覚ました。

「ちょいとモオルダア!どういう事ですの?」

眉間にしわを寄せて聞くスケアリーほどモオルダアにとって怖いものはないのだが、今回はそうでもなかった。モオルダアはむっくりと起きあがると頭の中を整理する間もなく話し始めた。

「スケアリー。やっぱりいたんだよ。彼らは地底にいたんだよ!」

「何のことですの?」

スケアリーの疑問とは関係なくモオルダアが続ける。

「早くここにある証拠を持ち帰らないと。カッパ処理班が来たら全ては水の泡だ」

「カッパ処理班!?そう言えばここに来る途中に迷彩服を着た人たちを乗せたトラックを追い抜きましたけど、もしかしてそれがカッパ処理班って言うんですの?」

モオルダアはそれを聞いて顔色を変えた。もしカッパ処理班が来たら証拠が持ち帰れないだけでなく、モオルダア達も捕まって痛い目に遭うに決まってる。

「大変だ!今すぐここから逃げないと。捕まったらペケファイルどころじゃなくなるよ!」

それを聞いてスケアリーも大慌てである。彼女の目下の目的はペケファイルを再開させて月給を元どおりにすることなのだから。

「それじゃあこんなところでモタモタしてないで早く逃げるんですのよ」

スケアリーはエレベーターの方へ向かっていたがモオルダアは何かを探してぐずぐずしている。見ると彼はガタガタに散らかった机や機材の下から堀辺の死体を見つけてそれを引っ張り出そうとしている。

「ちょいとモオルダア。何なんですのその死体は!?」

「重要な証拠だよ。これを調べれば…」

「そんなものはあたしの車に乗せることは出来ませんわよ。今日は二人乗りのスポーツカーなんですから。もしあなたを乗せなくていいというのなら話は別ですけれども」

そう言われても困る。どうして今日に限って二人乗りなのか?モオルダアは納得がいかなかったが、堀辺の遺体から手を放した。それでもまだ持ち帰れるものはある。

 辺りを見回したモオルダアは液晶モニターを掴むとそれを持ち上げた。それは何かの機材に接続されていて一度コードがひっかかったのだがモオルダアは力ずくでそれを引きちぎって取り外した。それから近くにあったグラビア雑誌を掴んだ。

「これで大丈夫だ」

モオルダアがそう言うのを聞いてスケアリーは急いでエレベーターに乗り込んだ。モオルダアもその後に続く。

 地上にエレベーターが着くと二人は急いで外までやってきた。カッパ処理班を乗せたトラックはもうすぐ近くまで迫っていた。二人はスケアリーの乗ってきたスポーツカーまで走って乗り込んだ。しかし運悪くモオルダアが運転席側から乗り込んでしまったために運転は彼がしないといけないようだ。

 これはスポーツカー。もちろんマニュアルである。ペーパードライバーのモオルダアにこんな車を運転できるのだろうか。スケアリーはこの失敗に頭を抱えて後悔した。考えてみればこれは英国産のスポーツカー。いつも乗っているのは左ハンドルだがこれは右ハンドル。慌てていた二人はいつもの癖でいつもの側から車に乗り込んでしまったのである。

 振り向けば後方にはトラックが到着して中から迷彩服の男達が二人の方へ銃を構えて走ってくる。今更席を替わってなどいられない。スケアリーは祈るような気持ちでモオルダアにキーを渡した。

 モオルダアがキーを回してエンジンをかけアクセルを踏み込んだ。エンジンだけはブンブンと音を立てたが車は進まない。

「モオルダア!クラッチですのよ!」

スケアリーも慌てて意味のない説明をしたが、お互いに慌てているためにモオルダアにもその意味が解った。モオルダアがクラッチペダルから足を離すと車はガクンと二度ほどつんのめった。エンストするギリギリのところでなんとか車は急発進した。その直後、カッパ処理班達が二人を乗せた車へ向かって発砲を始めた。

 カッパ処理班の撃った弾が何発か車に当たり、そのうちの一発はリアガラスに当たりガラスは粉々に砕けた。こうなったらモオルダアはパニック状態。道があろうとなかろうととにかく前へ前へと全速力で走って行く。

 高地特有の背の低い植物の中を疾走するとやがて車は舗装された道路にたどり着いた。モオルダアはここでやっと自分がハンドルを握っていることに気付いて方向を転換すると道路に沿って猛スピードで山を下っていった。このモオルダアの運転にスケアリーは顔を真っ青にしていた。しかし、彼女に出来るのは目を見開いて目の前の道路を見ることだけ。ほとんど生きた心地がしなかった。上の方からトラックが追ってくるのが解ったが、この高級スポーツカーには追いつけないようだった。スケアリーはこの車がモオルダアの無謀な運転にも耐えられるほど頑丈だったことに感謝した。

19. 翌日、スキヤナーのオフィス

 スキヤナーは明らかに苛立った表情で目の前のモオルダアを見ていた。

「いったいキミは何をしていたんだ?」

モオルダアはスキヤナーに言われてもふてくされた感じで黙っている。横ではウィスキー男がボトルを口に運びながら二人の様子を冷たく見つめていた。

「せっかくキミの仕事が出来たというのに、キミがサボっていたから他の職員達は大変だったんだぞ」

モオルダアはこう言われると少し息を荒げて答えた。

「そんなことを言われても困りますよ。ボクはエフ・ビー・エルに入ってから一年間無断欠勤していたにもかかわらずクビにならずにいたんですよ。今更一日の無断欠勤をどうこう言わないでくださいよ」

「それとこれとは話が別だ」

スキヤナーはモオルダアのなぜか開き直った態度が上司として気に入らなかったのか、良く解らない理屈で言い返す。そんな理屈ならモオルダアも得意とするところ。

「だいたいボクがちゃんと出勤してくると思っているところがおかしいんですよ。あなたは知ってましたか?ボクはバイトなんですよ。バイトがちゃんと毎日出勤してくるワケないじゃありませんか。いつでも休めるお気楽なバイト君なんだから」

スキヤナーは少し驚いたようにして、一瞬言葉を詰まらせた。彼もモオルダアがバイトだったとは知らなかったようだ。スキヤナーはウィスキー男の方へ「本当なのか?」といった感じの視線を投げかけた。これまでモオルダアは一応命に関わるような危険な捜査もしてきたのだ。それがバイト君では気の毒だ。

 スキヤナーがモオルダアに同情してしまいそうな様子を見ていたウィスキー男がおもむろに立ち上がるとモオルダアの方へ近寄ってきた。

「いつでも休めるバイト君だけど、いつでもクビに出来るのもバイト君だ。キミはクビだ!モオルダア君」

ウィスキー臭い息をモオルダアに浴びせながらウィスキー男が言い捨てた。モオルダアは多少のショックを受けていた。一番良く解らない理屈をこねるのはこのウィスキー男だったようだ。気まずい沈黙が三人の間を流れていった。

「もう出ていってくれ」

スキヤナーが言うとウィスキー男は得意げにモオルダアの方を見つめた。モオルダアは呆然として動かなかった。まさかクビになるなんて。

「キミのことだよ。ここは私のオフィスだ」

今度は良く解るようにウィスキー男の方をしっかりと見てスキヤナーが言った。ウィスキー男は意外な感じで眉をつり上げながら黙ってスキヤナーを見ていたが、やがてボトルからウィスキーを一口飲むと静かに部屋から出ていった。

 それでボクはどうなるんだ?といった感じでモオルダアは黙って立っていた。

「まだやることは残っているんだ。早く仕事に戻りたまえ」

スキヤナーがモオルダアに言うと、モオルダアは「なんかワケがワガラネ」と小さくつぶやいて部屋から出ていった。

20. エフ・ビー・エル・ビルディングの一室

 モオルダアがつまらなそうに資料の山を整理している。仕事ってこんなことだったのね。さすがはバイト君。彼の使っている机の上には観測所から持ち帰った液晶モニターが置かれていた。それは持ち出す時にちぎれたコードを取り替えて彼の使っているパソコンにつながれている。そこには難しそうな画面が表示されているが、もちろんこれはカモフラージュ用の画像。その下には普通のパソコン画面が表示されているのだ。

 モオルダアは書類を整理しながら時々その画面を見つめてため息をついていた。

「あーあ。ボクはダメだなあ。なんでこういつもこんなことになってしまうんだろう?」

モオルダアがしょんぼりとして考えていると突然部屋の扉が開いた。ネガティブに考え込んでいたモオルダアは少し驚いて小さく肩をすぼめてドアの方を見た。そこにはスケアリーが立っていた。

 スケアリーはモオルダアの前にやって来ると手に持った紙切れを彼の机の上に差し出した。

「これはあたくしの車のリアガラスの修理代と、あなたが無茶苦茶に運転したために調子が悪くなったエンジンの整備代ですわ」

モオルダアがそれを見るとそこには法外な値段が書かれていた。まさかこれをモオルダアに払えと言っているのだろうか。

「これをボクが払うの?そんなの無理に決まってるだろ。ボクはバイトなんだぜ」

スケアリーには彼がそんなお金を持っていないのは解っていた。

「それだったらなんとかしてペケファイルを再開させなさい。そうすればこの件に関しては目をつむりますわ」

そうしてくれると助かるのだが、モオルダアにはなぜか自信がなさそうだ。

「ボクにはバイト君としての仕事があるんだ。そんな暇はなさそうだよ。お金は少しずつ払うからそれで良いでしょ」

こんなネガティブ・モオルダアは初めて見るスケアリー。うつむき加減で書類を整理するモオルダアの顔を驚いて覗き込んだ。やっぱり本気で落ち込んでいるのか?

「だってあなたは見たんでしょ?例の『彼ら』を。それにあそこの観測所から逃げる時に色々持ち出してたじゃありませんこと?それを証拠にすればいいんですのよ」

モオルダアは彼女に言われると目の前のパソコンをいじって液晶に普通のパソコン画面を表示させた。

「どうやらボクは間違っていたんだよ。こんなものを持ち帰っても意味はなかったんだ」

スケアリーは画面に何かが表示されているのかと思って覗き込んでみたが、そこには普通のパソコン画面しか表示されていない。しかし、しばらくするとモオルダアが何を言おうとしているのかが解ってきた。彼はそれが映し出しているものではなく、それを映しているものを見せたかったようだ。

「あなたはもしかしてこの液晶モニターに『彼ら』との交信データが保存されていると思っていたの?こんなものを持ち帰っても意味がありませんわ。このモニターがつながれていた機械の方を持ち帰らないと…」

「解っているよ。でもねえ、人間というのは目から得た情報に騙されやすいんだよ。これにデータが表示されていれば、これにデータが記録されていると思ってしまうこともあるんだ。本当はボクも知っていたのに、あの状況ではこの大失敗に気付かなかったんだよ」

スケアリーはこれを聞いて大笑いしそうになってしまったが、モオルダアがあまりにもしゅんとした感じなので気を遣って笑いをこらえた。しかし、こらえようとすればするほどおかしくなってくる。仕事を続けるモオルダアを見ながら彼女は笑いが吹き出す前に黙って部屋を出ることにした。

 モオルダアはスケアリーが出ていったのを確認すると机の引き出しを開けた。そこには液晶モニターと一緒に持ち帰ってきた雑誌がある。モオルダアは引き出しからそれを取り出すと机の下でこっそりとお気に入りの「八十年代のグラビア」を眺めていた。穴が空くほど。

2006-04-10
the Peke Files #013
「リトル・ムスタファマン」