5. (まだ)キモイ絵の部屋
スケアリーに呼ばれてこの部屋に入ってきたモオルダアは先程のスケアリーのようにこの家の薄暗い不気味さを怖がっている様子はなかった。スケアリーよりも早く到着したモオルダアは周囲の警官達の会話からこの家に住人が一人しかいないことは知っていたし、何よりも「女ニートってなんだ?」ということで頭がいっぱいだったので、この部屋にやって来るまでの幽霊屋敷的な廊下を通る時にも何も感じていなかったのだ。
それでも、この部屋に入ってきたモオルダアが最初に目にした赤い悪魔のような何かの絵には、ちょっとギョッとしてしまった。スケアリーの他にキモエという若い女性がいるので、そんなところは見られたくはなかったのだが、ギョッとしてしまったものは仕方がない。そういう時に、モオルダアはそんなことを「なかったこと」にしてしまうので余計に気取った感じになる。
「キモエさん。こちらはエフ・ビー・エルの男捜査官のモオルダアですわ。モオルダア。こちらは女キモエさんですのよ」
女キモエさん、というのは間違っているがスケアリーがヘンに気を使って紹介した。モオルダアは奥にある例の絵が気になってチラチラそちらを見ていたので、ヘンな紹介をされてもあまり気にしてない。どうやらこの部屋にやって来て初めてこの絵を見るものは、それまで考えていたことも忘れてこの絵に圧倒されるのかも知れない。
「これはスゴイ絵だなあ」
モオルダアの分かり易い感想である。
「キモエさんはその絵がマサシタからキモエさんを守ったと言っていますわよ」
「というと?」
モオルダアの疑問にキモエが答えた。
「昨日、マサシタがこの家の敷地に侵入してきたのですが、その絵に描かれた守り神が絵から飛び出して私を助けてくれたんです」
スケアリーはモオルダアがどんな反応をするのか興味津々であった。
「キモエさんは、その現場を見たの?」
モオルダアの反応はスケアリーの期待どおりでもなく、それを裏切るものでもないビミョーなものだった。
「いいえ、私は物置に隠れていましたから。でも確信はしているんです。父があれだけ気持ちをこめて描いた絵ですから、私の身に何かが起きるという時にはそういうことが起こって当然です」
「それじゃあ、外の血溜まりはマサシタの流した血だということになるねえ。ただし、問題はあれが本当に人間の血液か?ということだけど。それに、あの量は一人の人間の体内にある血液の量を超えているよねえ。マサシタという男がどんなに大きくてもあれだけの血液はあり得ないよ」
さすがのモオルダアも絵から飛び出した怪物がマサシタを襲ったとは思っていないようだ。或いは朝早くから呼び出されて眠いので、そこまで想像力が働かないのかも知れない。しかしモオルダアの「少女的第六感」はこの事件にマサシタとキモエの他にもう一人、或いは数人の人物が関わっていると彼に伝えていた。それからついでにモオルダアは恐ろしいことを思いついてしまった。
「もしも、庭の血液がマサシタの流したものでなかったら、マサシタはどこにいるんだろう?もしかして、警察が来る前にこの家に侵入するのに成功して、このいくつもある部屋のどこかに隠れていいるとか…」
それは、それで恐ろしい話であるし、あり得ないこともない。キモエは急に怯えて顔を青くしている。庭に出来た血溜まりのせいで、警察も屋敷の中までは調べていない。スケアリーもその可能性は否定できませんわね、と半分口裂け女のまま深刻な表情をしていた。
「これは、この家の捜索と警備を警察にお願いするべきですわ!」
そう言って、スケアリーは慌てて部屋を出ていった。これから警官達は半分口裂け女の彼女を見てギョッとするのだろう。
キモエはまだ青白い顔をして怯えていたが、それを見てモオルダアは「大丈夫ですよ」とも言えず、どうしていいのか困っていた。予定になく怯えている女性にかけるセリフは用意してないようだ。気まずい感じでそわそわしていたモオルダアは何となく壁の絵の方へと近づいていった。
近くに来ると、この怪物の表面を覆っている血のような脂肪のようなものの質感が、まるで実際にそこに存在しているもののように現実的なのでモオルダアは思わずそれに触ってみたくなって手をのばした。
「触らないでください!」
モオルダアがもう少しで絵に触れるというところで、キモエが慌てて制止した。モオルダアは驚いて手を引っ込めると、すまなそうにキモエの方を見た。キモエがそれに気付いていたのか解らなかったが、黙って絵の前までやって来た。
「この絵は私を守ってくれてるんです」
涙ぐんだ目で絵を見ながら、ほとんど泣きそうな声でキモエが言った。こんな様子を見てさらにかける言葉を失ってしまったモオルダアは仕方なくキモエの見ている絵の方へ視線を移した。そこで、絵に描かれた怪物と目が合うとモオルダアはまたギョッとしてしまった。そして、そこへ部屋の窓を叩く音がしてモオルダアはさらに驚いて小さな悲鳴をあげながら振り返った。
窓の外にいたのはスケアリーだった。モオルダアが窓を開けると半分口裂け女のスケアリーは少し納得できない感じでモオルダアに伝えた。
「どうやら、家の捜索はしなくて良さそうですわよ。警察がマサシタを捕まえたんですって」
奥の絵の前でそれを聞いたキモエはホッとした表情で二人の方を見ていた。モオルダアの思いつきの推理ははずれたのだが、彼はこの屋敷の中でどこから飛び出してくるかわからないマサシタを捜索するのは恐かったので、キモエと同様にホッとしていた。
「ところでキミ。そのメイクはやっぱり最新の…」
ホッとしたモオルダアが、ホッとしたついでにスケアリーのメイクのことを聞こうとしたが、最後まで言う前にスケアリーは慌てて口元を隠して再び屋敷の入り口へと向かった。去り際にモオルダアを睨みつけることだけは忘れなかった。
6. FBl、ペケファイルの部屋
モオルダアは回転椅子の上で足を前に投げ出した恰好で椅子を左右にユラユラさせながらダラダラしていた。彼の前の机の上には先程の事件現場で彼が使っていたデジカメとその説明書が投げ出されていた。
撮影したデジカメの写真をパソコンで表示しようとしたモオルダアだったが、やり方が良く解らない。先程までしばらく説明書をペラペラめくっていたのだが、朝早くに起こされたため眠気でまったく集中できなかった。今はデジカメはあきらめてダラダラすることにしたのだ。
ダラダラしながらモオルダアはキモエの屋敷にあったキモイ絵を思い出してみた。「そういえば、達人の描いた絵の中の動物が絵から抜け出すという昔話があったっけ?」と考えてみたが、そんな昔話を調べたところで意味があるとは思えない。
しかし、あの絵はまさしく達人の絵だ。地獄からこの世へやって来た魔物のような、言い知れぬ恐ろしさと、今にも動き出しそうな迫力がある。あの絵から怪物が抜け出して人を襲ったと言ったら、きっと何人かは信じるかも知れない。
そんなことを考えているうちにモオルダアの座っている回転椅子のユラユラがおさまってきた。どうやらモオルダアは眠気に耐えきれずにウトウトし始めたようだ。椅子の動きが止まってモオルダアは浅い眠りに入ろうとしていた。現実と夢の境目にいたモオルダアの目の前にあの怪物が突然姿を現した。モオルダアがその存在に気付くよりも前にそれは牙を剥きだしてモオルダアに襲いかかってきた。
モオルダアが悲鳴をあげながらビクッとして目を覚ましたので、その勢いで彼の座っていた椅子がひっくり返った。何とか後頭部を強打せずに済んだのだが、椅子が倒れる途中にモオルダアのヒジが前の机にぶつかったようで、ヒジから先がビリビリしている。
ヒジをさすりながら起きあがったモオルダアは辺りを見回して誰もいないことを確かめた。夢に驚いて椅子ごと倒れたところを誰にも見られていないと確認して少し安心している。
とにかく、これで目が覚めたので何かを始めることにした。モオルダアは一度机の上の説明書に目をやったが、その説明書を読めばまた眠くなりそうな気がしていた。しばらく考えた後、彼はペケファイルの部屋から出ていった。