「SCREWED」

11. 夜道

 モオルダアは「旅の宿」の前の私道を抜けて舗装された道路を走っていた。下り坂でそれほどきつくはなかったのだが、旅館から見て想像していたより集落までは遠かった。せめて自転車でもあれば、と思いながらいくら足を動かしても進んでいるように感じられない夜の山道をウンザリしながら走っていた。こういう道は車でしか通らないから、自分の足で走ると進んでいないと思えるぐらいゆっくりになる。

 モオルダアは、もう面倒だから少年が言っていたように念じて何とかならないかと思い始めていた。せめてここに車が通りかかったら、格好良くエフ・ビー・エルの身分証を見せて乗せてもらえるのに。

 そんなことを考えていると、都合良く前から車のヘッドライトが近づいてくるのが解った。方向は逆だが、まあ何とかなるに違いないと思いモオルダアは道の中心に近いところでエフ・ビー・エルの身分証を掲げながら車を停止させようとした。

 車は相当飛ばしているようで、アッという間にモオルダアの方に近づいてきた。ヤバイ!と思ったのだが、こんなことになるとは思っていなかったモオルダアは上手く体が動かせずに身分証を掲げた体勢のまま固まってしまった。車の前に飛び出した猫は車に気付いて驚くと一瞬体の動きを止めてしまうから轢かれてしまう、というマメ知識も思い出していたが、そんなことを思い出しても意味がない。

 急ブレーキをかけて車体をガタガタと揺らしながら車はモオルダアの方へ近づいてくると、あと数センチというところで停止した。モオルダアはホッとしてそのまま倒れそうになっていたが、何とかこらえてこの車の運転手に捜査の協力を依頼することにした。

 モオルダアがフロントドアのところまで行くと車の窓が開いて、中から驚いているのか怒っているのか良く解らない表情のスケアリーが顔を出した。

「あれ?なんだキミか。もう帰ってきたの?」

「なんだじゃありませんわよ!一体あなたはこんなところで何をしているんですの?」

「なにって、キミを追いかけていたんだけどね。あの少年が下の集落に行ってはいけないって、なんか泣きそうだったから。でももう帰ってきたのなら止めることも出来ないか」

「何を言っているんですの?あたくしはこれからあの集落に行くんですのよ」

「それじゃあ、道が反対じゃないか?ボクはあの「旅の宿」からずっと下ってきたんだけど」

「あたくしだってずっと下ってきましたわよ。とにかくこんな所で時間を無駄にしている場合ではないですから、一緒に来るのなら早く乗ってくださるかしら?」

何だか意味が解らなかったが、モオルダアはもう走るのが面倒になっていたのでとりあえず車に乗ることにした。

「それで、どっちに進むんだ?この先をちょっと進むとまた『旅の宿』だぜ」

スケアリーは機嫌悪そうに黙って考えていた。おそらくモオルダアの「だぜ」が気に入らなかったのだろう。しかし、スケアリーは先程から車を飛ばして走り続けていたのだから、モオルダアの足で追いつけるようなことはない。ということは、どこかで道を間違えてまた元の道に戻ってきたということなのだろう。スケアリーは気に入らなかったがその場で何度か切り返して車をUターンさせると、逆の方向へ進んだ。

「ここはあなたの言うことを信じますけど、どこかに脇道がないか見ていてくださるかしら?」

「そういうことなら得意だぜ」

またスケアリーは「だぜ」に腹が立ったが何も言わずに車を走らせた。

 今度は道を間違えないようにあまり飛ばさずに曲がりくねった山道を進んでいった。カーブにさしかかるたびにヘッドライトに照らされる木々はどれも同じようで、何度も同じところを走っているような気分になっていった。モオルダアも道路の両端を見つめていたが、目に入ってくるのは側溝とそれに覆い被さるように生えている背の低い草ばかりだった。

「おかしいですわ。これだけ走ったらもう着いても良さそうなんですけれど」

同じところばかりを走っているような感覚に不安を覚えたスケアリーが耐えきれずにつぶやいた時、モオルダアが「アッ!」と驚きの声をあげると、スケアリーもそれにつられて思わずブレーキを踏んだ。

「ちょいと!何なんですの?いきなり大きな声をあげたら驚いてしまうじゃありませんか!」

「そんなことを言ってもね。これが驚かずにはいられますか」

モオルダアがそう言いながら指さしている方を見ると、そこには「旅の宿入り口」という看板が見えた。

「これはもうあきらめて朝まで待つしかないんじゃないか?もうそろそろ真夜中だぜ」

モオルダアの三度目の「だぜ」にスケアリーはガマンがならなくなったのか、どうしても集落に辿り着かなくては気が済まなくなってきたようだ。

「それはあなたのせいですのよ!あなたがちゃんと脇道を見付けないから道を間違えるに違いないですわ!」

スケアリーが車を急発進させたので、降りるつもりだったモオルダアは不自然な感じで体を揺さぶられて座席のヘッドレストに後頭部を埋めた。

「せめて地図を調べるぐらいはした方が…」

「そんなことは関係ありませんのよ!これはプライドの問題ですわ!」

それって、どんなプライドだろう?とモオルダアは思っていたが、目の色を変えて運転しているスケアリーを刺激するようなことはあまり言うべきではないと解っていた。さっきとは比べものにならない速さで山道を飛ばすスケアリーにモオルダアは恐怖さえ感じていたが、こんなに飛ばしていたらまた結果は同じになるに違いない。

「これじゃあまた脇道に気付かないよ。もうちょっとゆっくり…」

モオルダアは座席横の窓の上についている手すりを握りしめて目の前を過ぎていく山道を凝視していた。このスピードでは脇道を探すどころではない。スケアリーはモオルダアの言うことなどほとんど聞かずに曲がりくねった道を猛スピードで進んでいった。そして、いくつめかのカーブを曲がった後、彼らの乗った車の前に自転車が現れた。

「危ない!」

そんなことは誰にでも解る、という感じのことをモオルダアが言ったのだが、目の前を走っている自転車を見て言わずにはいられないその一言をモオルダアが言う前にスケアリーは両足でブレーキを渾身の力を込めて踏みつけていた。車は急激に速度を落としたが、それでも前方を走る自転車との距離は見る見るうちに縮まっていく。「これはヤバいよ」という言葉がモオルダアの脳内にあふれかえっていたのだが、その時ふと気付くことがあった。前の自転車に乗っているのは「旅の宿」の少年に違いないのだ。

「あれ?」と思ったモオルダアだったが、その時すでに車と自転車との距離はほとんどなく、車はそのまま自転車のうしろのタイヤに接触した。だいぶスピードが落ちてはいたのだが、車と自転車の重さの違いを考えれば、ちょっとした接触でも自転車にとっては大きな衝撃になる。

 バンパーに物がぶつかる嫌な音が車内に響くと少年は自転車ごと突き飛ばされていった。数メートル先に飛ばされた少年と自転車の手前でスケアリーの車はようやく停止した。


 スケアリーはハンドルを握ったまま一体何が起きたのか解らないといった感じで一瞬ダッシュボードのあたりを見つめたまま固まっていたのだが、すぐに状況を理解すると車から飛び出して少年の方へと走り寄っていった。

「大丈夫ですの?怪我はありませんこと?あなたは一体どうして自転車で道の真ん中を走っていたりしたんですの?」

自転車を跳ねて多少頭の中が混乱しているのか、スケアリーはうつ伏せに倒れている少年にいくつもの質問をしていた。近くには車とぶつかった時の衝撃でタイヤのホイールがグニャッとなった自転車が倒れていた。

 スケアリーが少年の背中に手をかけると少年はゆっくりと動き出した。少年に意識があることを確認したスケアリーは少し安心したが、振り向いた少年の顔を見ると彼女は心の中にどこか不安のような恐怖のようなものを感じずにはいられなかった。

「ここからは出られないんだよ。誰もここから出ることは出来ないよ…」

そう言う少年が「旅の宿」の少年であることにスケアリーは気付いたのだが、それがはたして本当にあの少年なのかスケアリーには解らなかったのだ。今、目の前でグッタリしている少年の顔と記憶の中の少年の顔が完全に一致しない不思議な感覚にスケアリーはどうにもならない恐怖を感じていたのだった。

「あなたは一体何を言っているんですの?ここではきっと救急車は呼べないでしょうから、あたくしの車で病院まで運びますわ」

「ここからは出られないよ。ボクらはずっとここにいるんだ」

スケアリーの目には少年が元の少年に見えなくなっていた。それはどこの誰でもない、ただの少年。いや、少年でもなくただのヒトのように見えていた。ただのヒトと言っても人それぞれであったが、スケアリーにとって「ただのヒト」とは科学の本で類人猿が次第に進化していき最終的に「ヒト」になる様子を描いた図のあの「ヒト」だった。そのヒトが少年の喋り方で「ここからは出られない」と何度も繰り返していた。その時スケアリーの後方からモオルダアが大声で彼女を呼ぶ声がして、ギョッとして少年にかけていた手を放した。


 モオルダアは車が止まった後しばらくは「ヤバイよ…」と思っていたのだが、スケアリーが車から飛び出していったのにつられて、彼も車から降りた。降りた時にはすでにスケアリーが少年のところにかがみ込んでなにやら話しかけていたのが見えたのだが、その時モオルダアは自分の背後にある山の麓の方に妙な気配を感じて思わず振り返ってみた。

「…ぁぁぁ…」

モオルダアの背後にはガードレール越しに彼らの目指していたふもとの集落が少し下った先にあった。そして、その集落の上空には巨大な円盤が音もなく浮かんでいたのだった。それは山の上の方にいるモオルダアの目線と同じくらいの高さに不気味に浮かんでいた。どのくらい巨大かを解りやすく例えるのなら「東京ドーム一個分」である。

「…ぁぁぁ…」

モオルダアは「これはどこかで見たことがあるぞ」と思いながらも口から出てくるのは絞り出すような「…ぁぁぁ…」だけだった。巨大な円盤はその周囲に並んだ小さな光を点滅させながら次第に彼らの方から遠ざかろうとしていた。これはなんとしてもスケアリーに見せなくてはならない。振り向くとスケアリーはまだ少年の横にいてこちらにはまったく気付いてないようだった。驚きと興奮のあまりスケアリーを呼ぶ声がなかなか出せないモオルダアだったが、最後に大きく息を吸ってから彼女の名前を呼ぶと、それはモオルダアも予期しなかったほど大きな声で、呼ばれたスケアリーだけでなく、呼んだ自分さえも驚いてしまった。


「なんなんですの?」

多少青ざめた感じのスケアリーがモオルダアの方へ振り向いた。

「あれ見てよ!あれ、あれ!」

モオルダアはスケアリーの方を見たまま手を上に挙げて指でうしろの上空をさしていた。

「だからなんなんですの?アレじゃなんにも解りませんわよ。それにこっちはそれどころではないんですから。このヒトを車に乗せるのを手伝ってくれませんこと!」

スケアリーは立ち上がってモオルダアの方へと近づいてきた。モオルダアはどうしてスケアリーにあの円盤が見えないのか不思議だったので、もう一度振り返って集落の上空を見てみたが、そこには雲がかかって真っ暗な空があるだけだった。

「あれ?…そんな」

「あなた、こんな時にふざけてるんじゃないでしょうねえ?一体、何があるっていうんですの?」

「ボクは見たんだよ。あそこにあの…アレが…」

「どうでもいいですわよ。それよりもこっちに来て手伝うんですのよ!」

そう言ってスケアリーはモオルダアの腕を掴んで引っぱって行こうと思ったのだがその前に、少し不安になったので、モオルダアの顔を見てみることにした。スケアリーはじっくりと観察するようにモオルダアの顔を見つめたが、それはやはりモオルダアの顔だった。

「どうしたの?」

「なんでもないですわ。ヒトはパニックになるとおかしな物を見てしまうのかも知れませんわね。とにかく少年を病院に運びますから、車に乗せるのを手伝うんですのよ」

「…と言っても、少年はどこに行ったんだ?」

モオルダアに言われてスケアリーが驚いて振り返ると、さっきまで少年のいた場所には誰もいなかった。

「どういうことですの?」

スケアリーは車の前まで小走りに走っていくとあたりを見回して少年を捜した。

「とても歩けるような状態とは思えませんでしたのよ!それに自転車も。タイヤが折れ曲がって壊れていたのに…」

独り言のように言いながらスケアリーが道の先を見ると、そこには暗い山道が延々と続いているように思われた。