3. 部屋の中
少年が一人で留守番をしているこの「旅の宿」にはもちろん宿泊客もいるはずはなく、モオルダアとスケアリーはどこでも好きな部屋に泊まることが出来たが、どの部屋も似たような作りなので一階の一番フロントに近い部屋を二つ借りることにした。少年は無愛想なのか、或いは人と接することになれていないのか、聞かれたことに答える以外にはほとんど何も喋らずに二人をそれぞれの部屋へと案内した。
モオルダアが案内された部屋に入ると、そこは小さな畳の部屋で、その奥の窓際に籐椅子と小さなテーブルの置いてある板の間のある、いかにも「旅の宿」らしい部屋だった。突然の来客のために部屋には何も用意されていなかったが、部屋に入ったモオルダアは「あぁぁ…」と言いながら一般的な旅行者の誰もがやるように畳の上に横になった。ただ、あまり疲れていないモオルダアは横になってもそれほどくつろいだ気分にもなれず起きあがると持ってきたカバンを開けて何かを探し始めた。カバンの中にはボイスレコーダーが入っていて、モオルダアはそれに今日の捜査の記録を録音しようと思ったのだが、ボイスレコーダーは見付からなかった。捜査といっても何もしていないのだし「まあいいか」と思ったモオルダアはこの旅館の少年について考えていた。
あの少年は中学生にも高校生にも見えるが、おそらく高校生だろう。高校に入ると急に大人びた感じになる人間と、いつまでも子供っぽさを残す人間がいるが多分あの少年は後者に違いない。それに、男性誌のヤラシいページをあんなふうに読めるというのも高校生の証拠だ。中学生ならもっとこっそり読むものだ。
素晴らしく適当なプロファイリングだったがモオルダアはそれに満足していたようだった。得意げに一人で頷いていると、ノックの音がして少年が入ってきた。
「これ…」
と一言だけ言うと少年は布団を部屋の中に運び込んできた。少年が布団を畳の上に置くとそこからちょっとカビ臭いようなニオイが漂ってきた。これはこれで「旅の宿」らしいと思ったモオルダアだが、さっきからこの少年以外の人間を見ていないのもちょっと気になっていた。
「ああ、どうもね。ところでキミ、この旅館の人はどこかに出かけているのかな?まさかキミが一人でこの旅館を経営しているワケじゃないよね?」
「はい」
この少年の「はい」という返事はモオルダアの質問のどの部分にたいする返事なのか良く解らなかった。
「キミのお父さんかお母さんがこの旅館を経営してるんでしょ?」
「はい」
「それで、今日は帰ってくるのかな?」
モオルダアが聞くと少年は少しの間、何を言いたいのか解らないような目をしてモオルダアを見つめたあとにただ首を傾げてから部屋を出ていってしまった。モオルダアは少年が出ていったあとを見つめたまま「なんだ、あれは?」と思っていた。
少年が出ていってこれでなんとなく一段落という感じにはなっていたのだが、これからの時間はどう考えてもヒマな気がしてモオルダアは憂鬱になっていた。さっきカバンの中を引っかき回してボイスレコーダーを探した時に気付いたのだが、ヒマ潰しアイテムが一つも入っていなかった。外はもうすっかり暗くなっていたのだが、まだ日が沈んだばかりでこんな時間から眠れるわけもない。
部屋にはテレビが置かれていたが、それをつけようとしたモオルダアはテレビの横に小銭を入れる装置を見てテレビは諦めた。いくらモオルダアといえども百円を惜しんでいるワケではなかったのだが、今時見るのに百円玉を要求してくるテレビには面白い番組が映し出される気がしなかったのだろう。
仕方なくモオルダアは窓のところへ行って外を眺めて見た。眺めてもそこには遠くに広がる山並みが見えるわけではなかった。目の前にそびえる旅館の裏山の急斜面を見て「どうしていつもボクが泊まる部屋はこんな場所なんだろう?」と思っていた。
その時モオルダアのポケットの中で携帯電話が鳴り出した。ケータイが通じるのなら、ネットも使えるからヒマ潰しにはなるかも!と思って密かに盛り上がったモオルダアだったが、とりあえず電話にでないといけない。モオルダアはポケットからケータイを取り出した。
「ちょいとモオルダア。なんかおかしくありませんこと?」
電話はスケアリーからだった。隣の部屋にいるスケアリーと携帯電話で話すのは何だか妙な感じだったが、この旅館は部屋同士で内線通話が出来ないのだろうか?モオルダアは返事をしながら部屋の電話を探していたが、彼から見える場所に電話機はなかった。
「おかしいって、テレビのこと?古い旅館だから小銭を入れないと見られないというのもアリだとは思うけどね」
「何を言っているんですの?テレビならちゃんと映っていますわよ。チャンネルは少ないですけれど衛星放送もやっていますし」
「そうなの?!」
モオルダアはもう一度テレビの方を見たが、そこにあるテレビはどう考えても衛星放送が始まる以前に作られた古いテレビにしか見えなかった。
「この部屋はハズレなのかなあ…」
「そんなことはどうでも良いんですのよ!それよりも、この旅館は何かヘンなんですのよ。あなたは何も感じていないんですの?」
「まあちょっと変わってる感じだけどね。でも誰も来るはずのない旅館にいきなりやってきて泊めてもらうんだから仕方がないともおもうよ」
「それはそうですけれど、そういうことじゃないんですの」
「窓からは山の斜面しか見えないとか?」
「そうじゃなくて、この部屋は何だか落ち着かないんですのよ。なんだか誰かに見られているような嫌な気持ちになるんですの」
モオルダアにとってはこのスケアリーらしくない発言が一番ヘンだと思った。
「もしかして、キミはヒマ潰しのためにボクに電話をしてきたんじゃないの?」
「そんなことはありませんわよ。あたくしにはちゃんとやることがあるんですから。確かにあたくしがこんなことを気にするのはおかしいと思うでしょうけれど、でも人の気配や視線を感じるというのは人間の持つ能力の一つですのよ。そういう能力があるからあたくし達の祖先は野生の生存競争を生き抜いてこられたんですから。これだって十分に科学的な話ですわよ」
スケアリーは力説していたが、モオルダアはなんとなく彼女がこのほとんど人のいない古びた旅館の雰囲気に怯えているのだろう、ということが解った。以前にもあったのでモオルダアは知っていたが、スケアリーは意外と幽霊みたいなものには弱いようなのだ。
「まあ、キミの言うことも解らないでもないけどね。こういう古びた旅館というのはそういう話の舞台には最適だからね。まあ、部屋を変えてもらうとか…」
モオルダアは話しながらほとんど無意識に目の前の窓を開けて顔を外に出すと思わず息を飲んでしまった。彼が旅館と裏山の斜面の間の狭い場所を見渡すと、スケアリーの言っていることが全くのウソではないことが解ったのだった。
モオルダアが自分の部屋の横の方を見ると、そこにはスケアリーの部屋から漏れてくる光に照らし出されている人間の姿が見えたのである。そんなところに人がいるとは思ってもいなかったモオルダアは声を詰まらせて驚いてしまったのだが、良くみるとそこにいたのはさっきの少年だった。
少年はモオルダアに見付かったことには気付かず、窓の外からスケアリーのいる部屋を一心に覗き込んでいた。
「ちょいとモオルダア、どうしたんですの?」
モオルダアの話が途中で終わってしまったのでスケアリーが聞いたが、モオルダアにはほとんど聞こえてなかった。
「おい!こら!何やってるんだ!」
モオルダアが少年に向かって言うと少年はギョッとしてモオルダアの方へ振り返るとすぐにモオルダアの部屋とは反対の方へ向かって旅館の壁沿いを走って逃げていった。逃げていく人間を見ると追いかけたくなるのは犬もモオルダアも同じである。モオルダアは部屋の入り口に行って靴を掴むとそれを持って窓から飛び出して少年の後を追いかけていった。
モオルダアが窓から飛び出して「待て!」と言いながら走っていく声は部屋の中にいたスケアリーにも良く聞こえた。
「ちょいと、モオルダア!どうしたんですの」
スケアリーはもうモオルダアが電話の向こうにいないということは解っていたがとりあえず聞いてみた。