12. まだ夜道
スケアリーは自分の前と後ろに続く道を交互に見渡して、少年があの状態で、しかも壊れた自転車を抱えてここから見えない場所まで行くことは不可能だと判断した。そして木々が生い茂る森の中へと少年を捜しに入っていった。それを見ていたモオルダアは「ちょっと!」と言ってスケアリーを追いかけようとしたのだが、先程までスケアリーのいた車の前まで来ると、そこに立ち止まってあたりを見回した。
道には何も落ちていない。すぐ近くにはスケアリーの車が止まっている。モオルダアはなんとなく車のところに行ってバンパーやボンネットを手で撫で回してみた。そこには確かに車がある。それがなんなのか?という気もしたが、モオルダアはそれ以上考えないようにしながら森の中へ入っていったスケアリーの後を追った。
追うといっても、一体どこに行けば良いのだろうか?道があるのならその道に沿って行けば良いのだが、ここには道がなく、どこを見回しても木だらけの山の中である。それでもモオルダアは「そこに行けばスケアリーがいる」と思える方へと進んでいった。
それは思いもしなかったことなのか、思ったとおりなのか、モオルダアにも解らなかったが、しばらく森の中を進んでいくとスケアリーがあちこち見渡しながら歩いているのが見えてきた。
モオルダアがスケアリーを呼び止めると、スケアリーは立ち止まって彼の方へと振り返った。
「スケアリー。ボクはここには誰もいないと思うんだよ」
「何をいっているんですの?あの少年は車にはねられたんですのよ。それに壊れた自転車も抱えているはずですわ。それなのにちょっと見ていない隙にあたくし達の前から消えるなんてことはあり得ないのですから、きっとこの辺りに隠れているに違いないのですわよ!」
「普通ならそうなんだけどね。ボクが思うに、あの少年はキミの車にはねられた時には、もうすでにいなくなっていたという気がするんだけどね」
スケアリーはモオルダアの言うことを聞いて、先程の「少年が少年に見えない不思議な感覚」を思い出して少しゾッとしていた。あれが「旅の宿」の少年でなかったら一体何者なのだろうか?スケアリーも車から降りて倒れている少年に近づいて行った時にそれが「旅の宿」のあの少年であると思っていたのだが、いつしかその少年は誰だか解らないヒトの顔になっていたのだ。
「それはどういうことですの?まさか車にぶつかった衝撃であの少年が違う人と入れ替わったとか、そんなことを言うんじゃないでしょうね?」
「いや、そうじゃなくてね。車にぶつかった時点で、そこには誰も存在しなくなったんだよ。ボクらが見ていたのは、ボクらの記憶というか、意識が『そこにあるべきもの』を見ていただけだと思うんだ」
スケアリーはモオルダアの言いたいことが解らずにしばらく彼の顔を見つめたまま考えていたが、それでもまだ解らずにさらに考えたが、それでも解らなかった。
「もっと解りやすく説明してくださるかしら?」
モオルダアは解りやすく説明するのはさほど困難ではないとも思っていたのだが、それは別の意味では困難であるかも知れないと思っていた。
「あの少年はここから出たくないだけだったんだよ。そして、ボクらにもここにいて欲しいと思ってたんだと思うけど。そうすることによって、彼が今直面している危機をボクらに伝えたかったんだと思うんだよね。誰かに誘拐されているとか、或いはあの『旅の宿』で誰かに監禁されているのかも知れないし。でも、キミが強引にここから出ていこうとするから、彼は車の前を自転車で走ってなんとかしようとしたんじゃないかな」
そう言ったものの、モオルダアの予想どおりスケアリーはまったく何のことか理解できていないようだった。スケアリーは反論しようにも何を言ったら良いのか解らないまま口を半分開けたままモオルダアを見つめていた。
「つまり、こういうことだよ。このワケの解らない展開といい、所々で時間が飛んでいるような感覚といい、つまり、アレなんだよ。これは夢なんだよ。ボクらは今…」
モオルダアがそこまで言ったところでスケアリは突然モオルダアの頬をつねってねじり上げた。
「イタイ、イタイ、イタイ…」
「痛いでございましょ?あなたはこれが夢だなんておっしゃるのかも知れませんが、痛いでございましょ?ここまで話を長引かせておいて、これが夢だなんてどうかしていますわよ!それに作者様は夢オチは封印しているんですからね!」
スケアリーは吐き捨てるように言ってからモオルダアの頬から手を放した。
「普通、そういうことを確認する時は自分の頬をつねるんじゃないのか?」
そう言いながらモオルダアはスケアリーにつねられた頬をさすっていた。
「でもこれが夢じゃなくて何だって言うんだ?」
「それは…。きっとあたくし達を罠にはめようとしている誰かの陰謀に違いありませんわ!あたくし達に不思議な体験をさせて、それをあたくし達が報告すれば、誰もがあたくし達の精神状態を疑うでございましょ?それで、あたくし達を破滅に追い込もうとしているんですのよ。そうでなかったら、ここはきっとトワイライトゾーンに出てくるような不思議な場所ですわ!」
スケアリーはモオルダアを睨みつけながら言ったのだが、話している途中からモオルダアの目つきがだんだん怪しくなっていることに気付いた。
「ちょいと、モオルダア。どうしましたの?」
「…ああ、だめだ。さっき夢って自分で言ったから…。やっぱり夢って、これが夢だと気付くとダメなんだよ。キミがものすごい美女に見えてきたよ。キミは美しいよ」
モオルダアはトロッとした瞳でスケアリーを見つめた。
「…ちょいと、そんなことは前から解りきったことでは…」
「そうじゃなくてね。ボクはこれが夢だと気付いてしまったから…、だからボクのパートナーが凄い美人だという設定になったにもかかわらず目覚めなければいけなくなりそうなんだよ。どうして夢だということに気付くといつもこうやって…」
「ちょいと、モオルダア!何を言っているんですの?モオルダア!?」
スケアリーは目の前にいるモオルダアに話しかけているつもりだったのだが、いつの間にかそこには誰もいなくなっていた。あたりはシンと静まりかえった山の中である。
「ちょいと!」
そう言って、スケアリーは慌ててあたりを見回した。そこには「旅の宿」も先程まで彼女が車で走っていた道もどこにもないと思われるほど、暗くうっそうとした木々が生い茂った森が広がっているように思えた。
ちょいと、これは一体どういうことなんですの?ここはどこなんですの?まさか、これって…。そうですわ!きっとそうに違いありませんわ!あたくしがあの国道を曲がった時からおかしくなっているんですわ。あの時、あの道を曲がっていなければ良かったんですのよ!でも曲がってしまったから、あたくしはどこかヘンな世界に迷い込んでしまったのね。そうに違いありませんわ!ここには始めから誰もいなかったんですのよ!モオルダアもあの少年も。みんなあたくしの意識の中にあるものでしかなかったに違いありませんわ!でも、そんな人達もいなくなってしまいましたわね。フフフフッ!あたくしどうしたのかしら?何で笑ったりするのかしら?あたくしはこの世界に独りぼっち。死ぬまでずっと独りぼっち。いいえ、もしかしたら死ぬこともないのかも知れませんわね。あたくしはきっとこの森の中で永遠に独りぼっちなのですわね。ウフフフフッ!何で笑うのかしら?フフフッ!どうしておかしいんですの?ウフフッ!
スケアリーは泣き出そうか、助けを求めて叫ぼうか、それとも半狂乱で走り回ろうかと考えていた。これはどう考えてもおかしな話なのだが、自分は今そのどう考えてもおかしな話の中いる。それはどう考えてもおかしな話だ。
「ちょいと!誰かいませんの?誰かー!」
スケアリーは恐怖に耐えられなくなって大声で叫んでみた。それは静まりかえる暗い森に吸い込まれコダマすら返ってこなかった。スケアリーは「ちょいと…」力無くつぶやいて肩を落とした。本当に自分が誰もいないヘンな世界に迷い込んでしまったと思って絶望の淵に立っていたスケアリーだったが、「スケアリーさん!」と彼女の背後で彼女を呼ぶ声を聞くと、目を輝かせて振り返った。
振り向くと、そこにいたのは憧れの人、ニコラス刑事だった。
「まあ、ニコラス刑事様!こんな所で何をしていらっしゃるの?」
「スケアリーさん!私はあなたのことを捜してずっと…、スケアリーさん!…スケアリーさん!」
スケアリーの前に現れたニコラス刑事はスケアリーの肩に両手を伸ばしてきた。
「スケアリー…、スケアリー!」
ニコラス刑事はスケアリーの両肩に手をのせて彼女の名前を呼び続けている。
「ちょっと、ニコラス刑事様、いけませんわ!久々に再開したというのに、いきなりそんな…」
そう言いながらスケアリーは目を閉じて軽くすぼめた唇を少し突き出すとニコラス刑事の方へ向けた。情熱キッスを待ちわびていたスケアリーだったが、ニコラス刑事は相変わらず彼女の名前を呼び続けるだけだった。そして、肩に乗せた両手を前後に揺さぶり始めた。
「スケアリー!ねえ、ちょっと!スケアリー!」
それは明らかにニコラス刑事の声ではない、いつもよく聞いている声に違いなかった。それに気付いてハッとした瞬間、彼女の目の前には妙に眩しい世界が一気に広がっていった。