13.
窓の下には夜の街が見渡せる。モオルダアはこのファミリーレストランの窓際の席で張り込みをしていたはずだった。クリスマスの近づいた街にはサンタクロースの格好をしてチラシを配る人やクリスマスツリーなども見る事が出来る。
「ちょいと、モオルダア!聞いてるんですの?」
モオルダアは頭の中を整理するのに時間がかかっていた。さっきまでのあれは何だったのか?モオルダアは今日はずっとここにいたのだ。それは覚えている。しかしあの奇妙な休日は何だったのだろうか。
「ちょいと、モオルダア!あのサイトのことならもうどうでもイイんですのよ」
「ああ、いや…」
そういえば、そうだった。モオルダアはスケアリーと一緒に「川沿いをジョギングする女性が何者かに脚を舐められる」という事件を調べていたのだ。そして、彼は容疑者を見つけて容疑者の住む繁華街の雑居ビルの前にあるファミレスで張り込みをしていたのだった。本来ならスケアリーも一緒に来るはずだったのだが、モオルダアがペケファイル課の部屋でうっかりエロサイトを見ながら居眠りしているところを彼女に見られて、機嫌を悪くしたスケアリーは面倒な張り込みには来てくれなかったのだ。
実際に張り込みは面倒だった。そして、いつしかモオルダアは上の空になっていたのだが。
「それで、そっちは何もなかったでございましょう?」
「ああ、まあ」
「それは当たり前ですわ。いいですこと?『美ジョガーの脚を舐める恐怖の濡れ人間』なんていなかったんですからね。犯人は犬だったんですのよ。人なつこい黒犬がジョガーの脚のニオイをかいだ時に犬の鼻が脚に触ったんですのよ。黒犬だったから夜は目立たなかったんですわね。おかしな話じゃありませんこと?」
「ああ、そうだね…」
それはそうなのだが、さっきのあれは何だったのだろうか?モオルダアは美女に撃たれて瀕死だったはずだが。もしかして、これは全て彼の妄想だったのか?あまりにも退屈な張り込みで、いつの間にか彼は彼の妄想の中で暇つぶしをしていたのだろうか?
しかし、あれがタダの妄想の産物とは思えないのだが。しかし、モオルダアの妄想というのは常人には計り知れないものだったりもすることもある。
「ちょいと、モオルダア?あなたまださっきの件を気にしてらっしゃるのかしら?別にあたくしはあなたがああいった不健全なサイトを見ていた事に腹を立てているんじゃありませんのよ。あなただって一応はまともな人間なのですから、そういう気分になることだって解っていますもの。でもレディーが入ってくる部屋で少し気を抜きすぎていたんじゃないか?って、あたくしはそこを怒っただけですのよ。でも、もしかするとあなたは疲れているのかも知れませんわね。だって、あなたは濡れ人間なんて、いもしない怪物を探して毎日駆け回ってましたものね。ですから、今日はコッチに戻らなくても良いですわよ。あとはあたくしがやっておきますから。あなたは早く帰ってゆっくりしていてくださいな」
スケアリーは一方的に話して電話を切ってしまったが、モオルダアの耳には半分ぐらいしか届いていなかった。
「ホントに疲れているのかも知れない」とモオルダアは思った。そして、机の端にあるメニューを見ながら店員を呼んだ。アルバイトふうの若い無愛想な女性が近づいて来る。
「サンドウィッチとブレンドコーヒー」
モオルダアが言うと、無愛想な店員は黙ってあの「手のひらサイズの機械」に追加の注文を入力していった。
モオルダアはまた意味もなく窓の外を眺めた。外を歩く人々は寒そうだが、街の明かりは華やかで暖かみがある。それほど大きな街ではなかったが、こんなところでも人が集まればどことなく安心できるようなそんな雰囲気があったりもする。そんな中でモオルダアはさっきまでいたことになっていたあの場所を思い出していた。
あれが妄想だとしたら、本当に恐ろしいものだったのだが。アレが現実だったとしたらどういうことなのだろうか?
あの世界では年が明けて一月の半ばだったのだが。モオルダアはそこであることに気付いて急いでスマホを取り出した。そして画面を表示させると日付を確認したのだが、そこには12月と表示されていた。あの世界でこのスマホを取り出した時にこの日付は何月になっていたのか?そんな事は思い出せそうにない。それにこういう機械はネットワークに接続して時間を合わせるから、ここが12月ならスマホにも12月と表示されるのである。
ヒドい妄想だった、とモオルダアは思うことにした。そして、そう思うことによって、さっきまでのことはそのうちすっかり忘れてしまうだろう。だが、あと半月ほどするとさっきまでのモオルダアの休日だった日がやってくるはずだ。その時に何が起こるのか。もしかして、同じことが起きて再びこのファミレスで正気に戻るということがあるのだろうか?
そんな事があったら恐ろしいのだが、モオルダアがそこに気付く前にさっきの無愛想な店員がサンドウィッチとブレンドコーヒーを持ってきた。黙ってモオルダアの前に注文の品を置くと「ごゆっくりどうぞ」と、絶対にそう思ってなさそうな口調で言ってから向こうへ歩いて行った。
もう少しなんとかならないのか?と思ったモオルダアであったが、目の前のタマゴサンドを頬張ると、タマゴサンドにハズレはないな、と満足した様子だった。日頃の疲れが貯まっていたのか、今日はやけに疲れていたし、それで変な妄想というか、白日夢のようなものを見てしまったのだろう、とモオルダアは考えた。そしてスケアリーに言われたとおりに、今日は早く家に帰ってゆっくり休むことにした。
だがモオルダアのしているアナログ式の腕時計の電池が切れる時が来るのが半月ほど早まっているのには誰も気付かないだろう。もしも彼がもう少し高級で日付の表示出来る腕時計をしていたら、そこに表示されている日付は1月中旬のものになっていたかも知れないのだが。