5. カフェ?
それからどれくらい歩いただろうか。モオルダアはその間ずっと新しく敷かれたアスファルトの濃いグレーと、冬に特有の淡い水色の空が作る対比の中にいた。遠くに見える薄い雲が空をより遠く高いものに感じさせる。こういう場所を歩いていると次の交差点まで辿り着くのに思った以上に時間がかかったりもするのだが、実際に視界全体が広々としているために、近くに見える次の交差点も実は遠かったりするのだ。
思った以上に何もない…。視界の中が次第に色あせていくように見えるのは、この道路と空との薄い色の対照的な陰影と、その間にある灰色の素っ気ない感じのビルや倉庫のせいだろうか。そして、相変わらず人もほとんど見かけない。こんなところを歩いていると、歩き慣れない場所でもあるため彼はまた少し不安な気分になってきた。危険を感じるとか、そういう意味ではないのだが。何か過去の嫌な体験を思い出した時のような居心地の悪さを感じるのである。
そんな感じでモオルダアの気分が少し塞ぎかけてきた時、彼は遠くにチョットした色彩を感じて安心した。こんなところにそんなものがあるのも不思議だが、少し洒落た感じの喫茶店が前方に見えてきたのだ。
人は少なくてもビルもあるし、昼時になれば昼食を食べに来る客もいるに違いない。この場所にある喫茶店にしては少し気取りすぎという感じもあるが、もしかするとこれから先の開発によってこの周辺が賑やかになる事を見越して早めに店を構えたという事なのだろうか。
とにかく、モオルダアはこの喫茶店を見つけて少し気分が軽くなった。近くに来ると開かれたドアがこちらの方に向いていて、そこに「OPEN」と書かれた札が掛かっているのが解った。まだ昼食には少し早いが、昼になったら周囲のビルから従業員がやって来て混雑するに違いない。そう思ったモオルダアはここによって早目の昼食を取ることにした。
中に入るとそこはテーブルが十卓ほどの小さな喫茶店だった。外から見た感じと同様に中もこの辺りの風景に釣り合わない作りになっていた。邪魔にならない程度に置かれている観葉植物やアンティーク(あるいはアンティークふう)の木彫りの置物。壁には落ち着いた色彩の絵画が何枚か飾ってある。こういう内装のこだわりに店の主人の感性が窺われる。
もしも、ここが都心の繁華街にあるカフェだとしたらモオルダアがわざわざ入ってくるようなことはないに違いない。モオルダアも自分でそう考えてから、なぜそうなのか?と少し考えたが、意外と簡単なことだとも思った。今ここに入って内装が洒落ていて良い店だと思ったように、繁華街にある店に入っても同じように感じるだろう。だが、そこにいる人間が問題なのだ。いわゆるお洒落なカフェに集まるような人間は、モオルダアのような人間がそこにやってくると迷惑そうな顔をするのだ。あるいは彼がそう思っているだけなのかも知れないが、居心地が悪いことに変わりはない。
しかし、ここは違う。中にいたのは初老の夫婦らしき二人で、なにやら話しながらコーヒーを飲んでいるだけである。彼らは散歩の途中にでも立ち寄ったのだろうか?入り口を入ったところでそんなことを考えていたが、中から店員が出てこない。恐らくこの時間に新たに客が来るとは思ってなかったりするので、向こうも油断しているのだろう。
モオルダアは二人の先客が座っている机から遠くもなく近くもないぐらいのところにある二人がけの席に座った。あまり離れるとよそよそしい感じだし、近すぎるのも変だし、このぐらいの距離感がちょうど良い。これは優秀な捜査官とは全く関係ないことだが、モオルダアがどうでも良い事を考えていると奥から店員が出てきた。
「いらっしゃいませ」
そういう女性の声を聞いてモオルダアが顔を上げた時、彼は思わずアッと声を出しそうになってしまった。そこにいたのはさっき公園ですれ違ったジョギング中の美女ではないだろうか?というより、モオルダアが初対面の自分に対して笑顔で挨拶してきた美女のことを忘れるはずがない。
「あの、先ほどは…どうも」
思わぬ展開に上手く喋ることの出来ないモオルダアだったが、女性の方はキョトンとした様子だった。
「ええと…。なにか?」
どうもおかしい。向こうはなにも覚えていないのだろうか?そう思ったモオルダアだが、よく考えると辻褄の合わないところもある。さっきあの公園でジョギングをしていて、そこから帰ってきてシャワーを浴びて身支度をしてこの店に出てくるのは時間的に無理なのではないだろうか。
「ああ、いや。なんでもないです」
なんでもないこともないのだが、それ以外になんと言えば良いのやら。しかし、一日に二度も美女に遭遇するとは。今日はもしかすると良い日なのかも知れない。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
モオルダアの盛り上がりとは裏腹に多少冷たい感じで店員が言った。モオルダアはまだメニューも見ていなかったのだが、こういうところでは大抵似たようなものしかない。
「サンドウィッチとブレンドコーヒー」
モオルダアが優秀な捜査官っぽいと思っている格好いい言い方で言ったのだが、それはわざわざ格好つけて言うようなメニューでもなかった。店員は「かしこまりました」と言いながらモオルダアの目を真っ直ぐに見つめてから、厨房の方へと戻っていった。
今の目線は一体何だったのか?モオルダアはまたしても盛り上がらないワケにはいかなかった。一瞬ではあったが目と目が合った時のあの感覚。あの目が訴えかけていたものは?
今日は美女の登場しない休日と思っていたのだが、この展開だと美女だけは登場しないといけないような展開だ。モオルダアは色々と想像しながら厨房の方を見つめていた。