「穴匙」

5. 翌朝、エフ・ビー・エル・ペケファイル課の部屋

 スケアリーがペケファイルの部屋の扉を開けると、ドンヨリとしたモオルダアとドンヨリとした異臭が彼女を不快にさせた。

「ちょいと!いったい何なんですの?」

「何っていってもね、スゴイものが手に入ったんだよ」

モオルダアは口の中が麻痺したみたいな喋り方で答えたが、スケアリーにはそんなことはどうでも良かった。彼女は辺りを見回してから、いろんなところへ顔を近づけてニオイの出所を探していた。そして最後にモオルダアのそばまで来て、ニオイの元がモオルダアであることを確信した。

「あなたもしかして酔っ払ってるんじゃございませんこと?」

「まさか。酒なんか飲んでる場合じゃないしね。すごい物が手に入ったんだから」

そうはいってもモオルダアは酔っ払いみたいな喋り方だし、あきらかに酒臭いのだ。まだ何か言いたそうなスケアリーよりも先にモオルダアはパソコンを操作して昨晩シンカワからもらったメモリカードの中身を開いた。

「ボクらが探し求めていた真実が今ここに!AKB計画の全貌があきらかになっちゃうよ〜!」

モオルダアは急にニヤニヤし始めた。これはあきらかに酔っ払いのようだが、スケアリーはとりあえずモニタに何が表示されるのかを見守ることにした。

 サイズの大きなファイルを開く時のちょっとした間が空いた後に、問題のファイルが表示された。

「ここに、彼らの隠している全てのことが…」

本当はそこに「彼ら」の陰謀に関する全てが書かれているはずだった。しかしモニタに表示されたのはモオルダアの予想とはまったく違ったものだった。

「何なんですの?これ」

スケアリーは半分あきれてモオルダアに冷たい視線を送った。表示されていたのは、まるで意味をなさないひらがなの羅列に見えた。「うなべいかまてなこったらほしだばごねるてごなればおっそれなかねとらねたべもせてれこも…」

モオルダアはそのひらがなの羅列から何とか意味を見いだそうと真剣になって画面を見つめたが、そうしていると次第に視界が揺らぎはじめて、喉の奥から生臭い唾液が出てくるのを感じた。これは嘔吐の予兆であることは解っていたが、そうなる理由がないのでモオルダアは生臭い唾液をただ飲み込んだ。

「なんだよこれ!全然意味がないよ!」

しかし、吐きそうなのは変わらない。威勢良く叫んだつもりのモオルダアだったが最後の方には胃からこみ上げてくるものが彼の言葉を詰まらせていた。モオルダアは机の下にゴミ箱を見付けて、それに顔を埋めるとその中に嘔吐した。「オエェェェ〜」

 スケアリーは驚いてはいたが、心配して良いのか怒ったらいいのか解らないようすだった。

「ちょいと、モオルダア!あなたホントに酔っ払ってるんじゃないでしょうね?」

「酔っ払ってなんかいないよ。でも最近ずっとこんな感じなんだよね。飲んでないのに、毎日ひどい二日酔いみたいな。そんな事よりも、あいつらは何なんだ?ボクを馬鹿にするにもほどがあるよ!」

モオルダアはゴミ箱を抱えたまま声を荒げてみたが、その怒りは長いこと続かずにすぐ力無く椅子に座った。座った後もまだモオルダアの口から何か出てきそうな感じで、モオルダアは胸から上をたまに痙攣させていた。スケアリーはそんなところをあまり見たくなかったので、モオルダアごと椅子を少し遠くに押しやってから、パソコンのモニタを見てみた。そこに書かれていることに彼女は何か心当たりがないでもなさそうだ。

「あたくし、聞いたことがあるんですけども、戦時中に日本軍が日本中の方言を集めて組み合わせたものを暗号として使おうという計画があったそうですのよ。でも結局作った人達の中のでも解読出来ない人が多くなってしまって、その無駄の多い計画はなくなったって事ですけれど」

「そんな事はどうでもいいんだよ。あいつらの遊びに付き合わされただけだよ。そしてボクは、まだ気持ち悪くて、また吐きそうだからトイレに行って来ます」

モオルダアは自分の吐き出したものが入っているゴミ箱を抱えたまま部屋を出ていった。

 スケアリーは少し心配そうにモオルダアの背中を見ていたが、再びパソコンのモニタに集中した。そこには確かに「でんがな」とか「まんがな」という良く知ったフレーズも書かれていた。


 なぜか酩酊状態のモオルダアはトイレの中でひとしきり胃の中のものを吐き出してから、洗面台に頭をつっこんで頭から水をかぶってみた。それでもまだモオルダアは真っ直ぐ歩くことも出来ないほどに酩酊状態だった。

「いったい、どうしたんだ?」

顔を上げたモオルダアは鏡に映る自分に問いかけてみた。モオルダアの目の下にはクッキリとしたクマができていた。

 トイレを出たモオルダアは、どこへ向かっているのかすら解らない状態だったが、おそらくペケファイルの部屋があるであろう方向へと進んでいった。そんなモオルダアを呼び止めたのはスキヤナー副長官のいつものあの台詞だった。

「おいモオルダア!何やってるんだ!」

モオルダアは驚いて振り向いたのだが、振り向いた時に頭を大きくゆらしてしまったので酩酊状態の彼の視界はさらにぐらついてしまった。

「副長官ですか?何をやっているもなにも、もうやばいっす」

「やばいっす、とか言うな!それよりも、なにやら機密の書類がどうこうと騒いでいるという噂だが、どういう事だね?」

そう言われたモオルダアの半分潰れた目はスキヤナーの方を向いてはいたが、歪んでしまって絶えず揺れ動いているモオルダアの視界ではスキヤナーを認識出来ない。モオルダアは何とか目の前にいるスキヤナーの姿をクッキリと目に映そうと努力していたのだが、そうしているうちにまた気持ちが悪くなってくる。

 もしかすると、もっと前からモオルダアの胃はその危険信号を脳に送っていたのかも知れない。或いは脳がまともに機能していないから胃が予期せずに異常な動作をしたのかも知れない。いずれにしても、モオルダアが「あれ?」と思った時にはスキヤナーの上着はモオルダアの吐き出したもので汚れていたのだ。スキヤナーの上着から汚いものがポタポタと床に落ちていた。

「おいモオルダア!何をやっているんだ!」

スキヤナーのこの言葉には敏感に反応してしまうモオルダアは一瞬だけ我に返った。そして、今日は早く帰って休むべきだということに気付いて、スキヤナーには何も言わずに振り返るとそのまま帰ってしまった。

 スキヤナーはまったくワケが解らずに、汚された自分の上着をどうしようか考えていた。