「穴匙」

11. スケアリーの高級アパートメント

 スケアリーはプリプリしながら鏡に自分の顔を映している。「せっかくのきれいなお顔が台無しですわ!」そう思いながらおでこの真ん中に出来た小豆ほどの大きさのアザの上に絆創膏を貼った。しばらく絆創膏の貼られた自分の顔を眺めていたが、何か納得がいかなかったのか、それを剥がしてからまた鏡の中の自分の顔を見つめた。そして、また剥がした絆創膏をおでこに貼った。そしてまたしばらく自分の顔を見ていたが、彼女がまた絆創膏を剥がす前に電話が鳴った。電話はモオルダアからだった。

「ちょいとモオルダア!どうなってるんですの?」

スケアリーはどうしてモオルダアの部屋に行ってモデルガンで撃たれたのかということをモオルダアから聞きたかったようだが、モオルダアはそれどころではない様子である。

「スケアリー。大変な事になったんだよ」

そのあまりにも力のない話し方にスケアリーは何か悪いことが起きているような気がした。

「父が急性アルコール中毒で救急車で運ばれたんだ。それからボクは気持ち悪すぎて耐えられないよ」

スケアリーは聞いているうちにモオルダアに対する怒りがこみ上げてくるのを必死にこらえていた。

「急性アルコール中毒って、やっぱりあなたは酒を飲んで酔っ払っていたんじゃりませんの?」

「そうじゃないんだ。ボクは飲んでないよ。でもボクが来た時から父はそうとう酔っ払っていたから、それでボクに良く解らない話をはじめて作者がどうのこうのって…オエッ」

「ちょいと、大丈夫なんですの?あなたがそこにいてお父様が急性アルコール中毒で運ばれたということは、とっても良くないことなんですのよ!」

「なんで?」

「なんでじゃありませんわよ!上の人たちはあなたが勤務中にお酒を飲んでいるんじゃないかって疑っているんですのよ。仕事にも来ないで、そんなところでお酒を飲んでいたとか思われたらどうするんですの?」

しばらくモオルダアからの返事はなかった。何かものを考えようと集中すると気持ち悪くなってしまうらしい。

「ちょいと、モオルダア?」

「ああ、もうダメ…。ボクは家に帰るから何かクスリを持ってきてくれないか?これが治まるならなんでもいいんだ。キミは無免許だけど医者だからどうすれば良いか知ってるでしょ?」

「あなたの部屋は良くないですわよ。さっきあたくしはあなたの部屋で狙撃されたんですのよ。それであなたの部屋の窓ガラスが割れていてすごく寒いからよした方が良いですわね」

「…。じゃあキミのうちに行く。…もう気持ち悪いから切るよ」

「ちょいとモオルダア!?」

スケアリーは吐きまくるモオルダアを自分の部屋に入れるのは嫌だったが、どうやらモオルダアはそうとう重傷なようなのでスケアリーは仕方なく彼を待つことにした。


 しばらくしてモオルダアはやって来た。スケアリーがドアを開けると、足下のおぼつかないモオルダアは部屋に入ろうとしたのだが、上手く足が動かずにスケアリーの方へと倒れ込んできた。スケアリーは慌ててモオルダアの体を押さえたが、モオルダア自身がコントロール出来ない体は重力にまかせてスケアリーにのしかかってくる。

 このままではモオルダアに押し倒されてしまう。そうなったらこの変態モオルダアは自分に何をするのか?と思ってスケアリーは必死にモオルダアの体を支えた。

「そうはさせませんわよ!」

そう言うとスケアリーは押し倒されないように全身の力を込めてモオルダアを押さえていた。その時にようやく自分が倒れそうになっていることに気付いたモオルダアは後ろの方に重心をずらして普通に立てる状態に戻った。

 一安心したスケアリーはモオルダアから放たれる猛烈な酒のニオイを感じた。

「いったいどうしたというんですの?これは医者じゃなくても解りますわ!あなたは飲み過ぎのせいで気持ち悪いんですのよ」

モオルダアは話を理解しているのかどうか解らないようなうつろな目をしていたが、絶対に酒なんか飲んでないと何度も言っていた。

「そんなことはどうでもいいですわ。酔っ払いと話をしたって埒があきませんから」

そう言ってスケアリーはふらつくモオルダアを寝室に連れて行きベッドに寝かせようとしたのだが、少し考えてからベッドではなくてベットの横の床に寝かせた。それからモオルダアがいつ吐いても大丈夫なように洗面器をとりに行った。

 どこに寝かされても関係ないぐらいに、或いは自分が立っているのか寝ているのかも解らないぐらいにモオルダアの意識は朦朧としていたのだが、一度上半身を起こすとスケアリーに向かって言った。

「ねえ、今回ってなんの捜査してるんだっけ?」

洗面器を持って戻ってきたスケアリーも自分たちが何をしているのか忘れかけていることに気付いたが、彼女が返事をする前にモオルダアはすでにヘンなイビキをかいて寝ていた。

「あなたがヘンなファイルなんか見付けてくるからいけないんですわ!」

スケアリーは寝ているモオルダアに向かってつぶやくと、洗面器を彼のかたわらに放り投げた。

12. 翌日

 モオルダアが目覚めるといつもとは違う天井が彼の目に入ってきた。ほとんど機能しない脳で自分がどこにいるのか考えてみたモオルダアだったが、何も思い出せなかった。しかし、どこかで見たことのあるこの部屋はおそらくスケアリーの部屋だということはなんとなく思い出していた。しかし、自分がなぜスケアリーの部屋のベッドの横に寝ているのか、まったく思い出せなかった。外の明るさからすると、もう昼を過ぎているようだった。

 モオルダアは起きあがって隣の部屋にいるかも知れないスケアリーを呼んでみようかと思ったのだが、それよりも先にモオルダアの内臓が異常な動きをはじめた。モオルダアは口を押さえて胃からこみ上げてくる物を押さえようとしたのだが、すでに彼の吐き出した物は指の間をすり抜けてスケアリーのベッドに滴っていた。モオルダアは辺りを見回して彼の足下にある洗面器を見付けるとその中に残りの物を勢いよく吐き出した。

 一晩眠ったぐらいではモオルダアの酩酊状態は治らなかったようだ。それよりも大変なことになった。モオルダアはまだ気持ちが悪かったのだが、そんなことも忘れてちり紙を見付けて、それでスケアリーのベッドの上の吐瀉物をふき取ろうとした。必死にこらえたためそれほどの量ではなかったのだが、真っ白いカバーに解りやすいシミが付いている。

「これはヤバイよ」

モオルダアはスケアリーがこのシミを見付けて激怒する様子を思い浮かべた。それはかなりヤバイ光景に違いなかったのだ。モオルダアはそっと部屋の扉を開けて隣の部屋にスケアリーがいるかどうか確かめてみた。どうやらスケアリーはどこかへ出かけているようだった。

 モオルダアはそのことを確認するとフラフラと玄関の方へ歩いていきスケアリーの高級アパートメントから逃げ出すことにした。


 それからしばらく後、スケアリーの部屋の扉の鍵をガチャガチャと開ける音がしてスケアリーが入ってきた。

「もう、嫌になってしまいますわ!モオルダアが飲んでなかった事を証明するなんて、どうやってすればいいというの?どう考えてもアレは酔っ払いじゃありませんか」

一人でブツブツもんくを言いながら部屋に入ってきたスケアリーはとりあえずモオルダアの様子を確かめようと寝室の扉を開けた。彼女の目にはベッドの上のシミと、その横にある洗面器になみなみと注がれた汚い物だった。そして、そこから発せられる腐敗臭にも似たニオイが彼女の鼻をついた。

「モオルダア!モオルダァァァァ!」

彼女はモオルダアがもうすでにどこかへ行って部屋にはいないことが解っていたが、彼の名を叫ぶと玄関の外へと飛び出して、スゴイ勢いで扉を閉めた。

 ヤバイ事になりそうな気配である。