「穴匙」

8. 日本方言研究所

 日本方言研究所というのをスケアリーがどこで見付けたのか知らないが、彼女はモオルダアが入手したファイルの一部をプリントアウトしてこの日本方言研究所にいる女性の研究員に分析してもらっていた。その研究員がじっくりファイルを見ている間、スケアリーは何もすることがなく研究員の方をボーッと見つめながら「紅茶ぐらい出てこないのかしら?」と思っていた。

 しばらくして、研究員は顔を上げてスケアリーの方に目を向けた。スケアリーはこの時研究員と目があって退屈でイラついていたことを悟られたのではないかと思い、慌てて笑顔を作っていた。

「どうやらこれは古い時代の言葉のようです。ほとんどワガらないですが、イグつかはワガりました」

この研究員がワザとこういう喋り方なのか、それとも元からこうなのか気になりかけていたが、そこは気にしないように話に集中した。

「ワガる部分にはどんな事が書いてあるんですの?」

やっぱり気になっていたスケアリーはつられて同じように喋ってしまった。

「イグつかの単語が繰り返し現れるのです。一つは『物』とか『商品』を意味する言葉です。そしてもう一つは『お皿』です」

「お皿ですって?」

まさか備品の管理を機密文書にするわけはないのだが、スケアリーはその書類にはそんな備品に関することが書いてあるのではないかと思ってしまった。

「もしかすると、これを全部読める人を紹介出来るかも知れません。山の中に住んでいるので連絡が付くかどうかワガりませんが」

「あら、それは良かったわ。もしも連絡がとれたらあたくしのところに知らせてもらえますかしら」

そう言ってスケアリーは研究員に名刺を渡した。受け取った研究員はさらに付け加えた。

「ホリヘという方ならいつでも連絡がとれたんですけど。このあいだ勤務先の研究施設で遺体で発見されたんですって。恐ろしい話です」

「まあ、恐ろしいですわね」

そう言いながら、スケアリーはなぜこの話が妙に気になるのか考えていた。実は、そのホリヘという男はシーズン2の三話目に登場している。緊急事態になってモオルダアとスケアリーはホリヘの遺体を放置して逃げ出したのだが、スケアリーはその遺体がホリヘだったとはまだ気付いていない。

9. モオルダアのボロアパート

 酒も飲んでいないのにずっと飲み過ぎみたいに気持ち悪いモオルダアは、それを我慢して何かを待っていた。そろそろ来るはずだ。謎の男がちょっとした手掛かりとか、情報とかを持ってきてそれで話が進展するに違いない。モオルダアはそう考えて待っていた。外はもうかなり前から暗くなっている。すると、モオルダアの部屋の電話が鳴り始めた。モオルダアはやっときたか!と思って受話器を取った。

「もしもし私だ」

聞き覚えがあるような、ないような声にモオルダアはそれが誰だか解らなかった。

「どちら様でしょうか?」

「オックス、私だよ。私だ」

(念のために書いておくと「モオルダア」は苗字で「オックス」が名前である。)

「私って言われてもねえ…。アッ!解った!最近流行りのワタシワタシ詐欺だな!」

「何を言っているんだ。おまえの父親だオックス」

「ああ、お父さん?そう言われるとそんな気がするけど。それだったら名前を言わないと解らないじゃないか」

「そうはいっても、私には名前がないんだ。おそらく作者の怠惰のためだと思うがな。そんなことよりも、今すぐにあって話がしたいんだ。うちまで来てくれ」

「そんなこと言っても…」

モオルダアはそろそろ来そうな謎の男に会う前に家を離れたくなかった。

「早く来ないと、私はやけ酒を飲んでいるから、大事な話をする前に酔いつぶれて寝てしまうぞ!」

「大事な話って?」

「どうでもいいから早く来るんだ!」

最後のほうがキレ気味だったのは自分に名前がないことに腹が立ってきたからかも知れないが、それはどうでもいい。一方的に電話を切られてしまったのでモオルダアは仕方なく実家へ向かうことにした。


 それからしばらく経った後、誰かがモオルダアの部屋の鍵を開けて中に入ってきた。

「モオルダア?まだ気分が悪いんですの?」

灯りの消えた部屋に入ってきたのはスケアリーだった。

「例のファイルについて色々と解った事があったのよ」

しばらくして暗闇に目の慣れてきたスケアリーはそこにモオルダアがいないということを確認した。あれだけ具合が悪そうだったモオルダアがどこへ行ったのか気になったスケアリーはどこかに彼の行方の手掛かりがないかと辺りを物色しはじめた。

 特に何も見付けることがないまま彼女が窓際まで来た時のことだった。ガラスの割れる激しい音と伴にスケアリーは額に激痛を感じて床に倒れ込んだ。

 アパートのすぐ前でタイヤをきしませて急発進する自動車の音がなぜか遥か彼方から聞こえてくるようだった。突然の出来事にしばらく放心状態で目の前に散らばるガラスの破片を見つめていたスケアリーは、まだ何が起きたのか解らないまま起きあがった。

 彼女の額には小さなの傷がついていた。起きあがって二、三度まばたきをした後やっとその痛みを感じて一度額にあてた指先を見ると、そこにはうっすらと血が付いていた。

「いったい何なんですの?」

そう言う彼女の視線の先にはガラスの破片にまじってモデルガンの弾に使うBB弾が転がっていた。

10. モオルダアの実家

 モオルダアが玄関の呼び鈴を押すと、ウィスキーの入ったグラスを持ったモオルダアの父がフラフラしながら出てきた。父はモオルダアの姿を見るなり彼を抱き寄せた。しかし、そのすぐに二人とも両者を押しやるようにして離れるとほぼ同時に言った。

「酒クサッ!」

自分が酒臭い事は解っても、どうしてモオルダアまでが酒臭いのか気になっていたモオルダアの父だが、それよりも先に彼に話しておくべき事があるのだ。彼はモオルダアを連れて奥の部屋へと向かった。

 奥の部屋で向かい合わせに座った二人は伴にうなだれていた。気持ち悪いのを我慢してここまでやって来たモオルダアは衰弱しきっているようだし、情報漏洩の事実を知った父はあれからずっとやけ酒を飲みっぱなしで、もう限界に近づいているという感じだった。

 モオルダアの父は飲み過ぎで上手く考えがまとまらないながらも、息子に伝えなければならないことをちゃんと伝えようとゆっくりと慎重に話し始めた。

「もっと単純明快な話になるはずだったんだ。最初の設定さえ上手くいっていれば」

「設定って?」

モオルダアは父が何か重要な事を話そうとしていると感じていたが、まだ何のことだか理解出来ずにいる。

「お前はかなり設定されているよ、オックス。私や私の知らないお前の兄よりもな」

「何のことだかわかんないけど」

何を言っているのか良く解らない父の言うことを理解しようとしているうちにモオルダアはだんだん気持ち悪いのがひどくなってきた。

「何も解らないまま書き始められたお前の兄や、今回いきなり登場することになった私に比べたら、お前は設定されすぎているんだよ、オックス。お前がここに書かれることによって被った災難と言えば、話の途中で苗字が変わった事ぐらいだろう?それに引き替え、私達はなんだ?私の知らないお前の兄は行方不明にされて、私に関しては名前さえ決められていないんだ」

どうやらモオルダアの父は私を責めているようだが、ここでそんな話をされても困る。彼の話はまだ続く。

「お前は、兄とは違って手探りで書かれているワケではない。常に何かを知っているように描かれていて、しかも大抵はそれが正しかったりするんだ。最初はそんな感じではなかったのにな」

「何を言ってるのか解らないけど。それってお父さんが防衛庁にいた頃の話?」

「いずれお前もそれを知るだろう。作者の致命的ミスによって後から付け足されたその言葉を」

気持ち悪いのを我慢しているモオルダアはこんなに遠回しじゃないと説明出来ないのかなあ?と思いながら聞いていた。

「その言葉って?」

飲み過ぎでモオルダア同様に気持ち悪くなっているモオルダアの父もだんだん聞かれたことに対する反応が鈍くなっている。モオルダアが聞いてから少しの間をおいてやっと絞り出すように答えた。

「商品のことだよ」

それを聞いても何のことだかまったく解らないモオルダアはいろんな疑問を父親に投げかけようとしたのだが、それよりも前にモオルダアの父は限界に達してしまったようで「気持ち悪いから」と言ってトイレに向かっていった。

モオルダアは気持ち悪いのを我慢して父の言わんとしていたことを考えようとしていたが、考えれば考えるほど頭の中がグルグルしてきて、今にも吐きそうな状況になってきた。モオルダアは目をつむって座っていたソファに体を埋めた。

 眠ればなんとかなると思っても気持ち悪くて目をつむっていられないし、目を開けても視界がユラユラして気持ち悪い。モオルダアはこういった感じで、吐くほど飲んだ人にしか解らないあの酷い状況に陥ってしまっていた。そんな中、モオルダアはトイレの扉に何かがぶつかって大きな音を立てるのを聞いた。

「ちょっと、お父さん?大丈夫なの?」

モオルダア自身が全然大丈夫でなかったが、モオルダアはふらつきながらトイレの方へと向かっていった。