「拡散」

16. 海の方の大きな展示場

 モオルダアとスケアリー、そしてその後ろからは五人の警官がゾロゾロと急ぎ足で建物の中に入ってくると、入り口の責任者のような人が慌てて彼らの前にやってきた。

「ちょっと、なんですか?困りますよ、いきなり」

通報もしてないのに警察官がこんなふうに入ってくるのは困るようだ。

「緊急なんですのよ。中に入れてくださるかしら?」

「緊急って?まさか本当に爆弾が?!」

「いや、もっと悪い」

「だから、なんですか?」

「早く入れてくれないと、世界中に恐ろしい寄生生物をばらまくことになるかも知れないんですのよ!」

「ええ?!」

入り口の責任者はまだ何のことだか理解していないようだったが、もう待てないという感じでモオルダアとスケアリーは中へ入ろうとした。

「ちょっと…!待ってください。出来れば静かにお願いしたいのですが」

「どういうことですか?」

「なんせ世界中から人が来ていますし、海外が慣れていないという人もいるので、そういう人達があなた方を見てパニックになるとか…。それでなくても爆弾騒動はウワサにもなっているようですから」

どうやら制服の警察が大勢いるのが問題なようだ。モオルダアは後ろにいた警官達に外で待つように伝えた。

「しかし、何かが起きればその時にはもっとパニックになりますけど。そこはちゃんと対応してくださいよ」

嫌みなのか知らないが、モオルダアは入る時に責任者に言った。責任者は額の汗を拭きながら頷いていた。


 展示会場に入ってきたが、あまりにも広いために遠條刑事がどこにいるのか解らない。ただ冷凍食品の展示会とあって、予想どおりスーパーにあるような冷凍庫が沢山並んでいる。

「もしかして、繁殖に適切な環境が近くにあると寄生生物が活動を始めるとか、そんなこともあるかな?」

モオルダアがなんとなく思ったことを言ったが、スケアリーはそんなことはあって欲しくないと思っていた。

「それよりも遠條刑事を捜すのが先ですわ!」

二人は近くにいた会場の警備員に遠條刑事がいるかどうか聞いてみた。どうやら警備員には遠條刑事がいることが伝わっているようで、その警備員によるとさっきまで中を見回っていたけど、その後は姿が見えないということだった。

 大勢の人がいて、その間に沢山の冷蔵庫がある。まさか人混みに紛れてすでにどこかの冷凍庫の中に入っているのではないか?とかそんな気もした。

「キミ、他の警備員にも遠條刑事の行方を知らないか聞いてくれないか?」

警備員は頷いて無線で連絡を取り始めた。すると、見回りの途中で体調が悪くなってトイレに入って行ったという情報が入ってきた。しかし、その後どこに言ったのかは解らないそうだ。

 それを聞いてモオルダアとスケアリーはますますマズいことになっていると思ったようだ。

「仕方ありませんわ。手分けして探しましょう。それから警備員様。遠條刑事は未知の寄生生物に感染している可能性がありますのよ。見かけたらすぐに知らせてくださいな」

モオルダアは先に遠條刑事を捜し始めていた。スケアリーは彼の進んでいった列とは別の列を探した。

 大勢の人がいて、どこで何が起きているのか解らない状態だが、ここの冷凍庫に人が入り込んだら大騒ぎになるはずなので、今のところは何も起きていないという事なのだろう。出来れば会場の人間を全員避難させたいのだが、そうするだけの証拠がないし、もしも遠條刑事に異常がないと解れば避難させたことによる損失は大変なものになってしまう。とにかく遠條刑事を捜さないといけない。

 スケアリーが右、左と遠條の姿を探しながら進んでいくと、列が終わるところにモオルダアがいた。

「どう?」

「だめですわ」

あってもなくても良いような会話だったが、こういう時にはそんなことも言いたくなる。この広い会場で一人の人間を捜すのは大変なことなのだ。それに、モオルダアは少し嫌なことが頭をよぎったりもしていたのだ。

「ここにはメイン会場以外にも冷凍庫はあるはずだよね?持ってきた食品を全部並べるワケじゃないし、開催期間は明日までだし」

その可能性は大いにある。しかしこれでは埒があきませんわ!とスケアリーは思った。するとその時、警備員の一人が二人の所へ小走りで走ってきて「ちょっと来てください!」と声をかけた。

 メイン会場の外へ向かう警備員を追いかけて広い通路へやって来た。通路と言っても、この大きな展示場の真ん中にある通路で幅は端から端まで20メートルもある感じだが、その向こうの方からフラフラと歩いてくる人影があった。

「遠條刑事!」

モオルダアが声をかけたが、反応しない。

「だめだ、彼を冷凍庫に近づけちゃいけない」

そう言いながらモオルダアは向こうから歩いてくる遠條刑事の方へ向かった。遠條刑事の近くまで来ると彼は「暑い…暑い…」とうわごとのように呟いてた。真夏に街を歩いていると、こういう独り言を言いながら歩く人もいるが、ここではそうではない。

「遠條刑事!しっかりしてください」

遠條刑事に声が聞こえたのか解らないが、彼は一瞬モオルダアの方を見た。見たというか音に反応して目がその方向に向いただけという感じで、相変わらず「暑い…暑い…」と言いながらフラフラ歩いている。

 これは明らかに様子がおかしい。モオルダアはそう思って彼を制止させようと遠條刑事の肩に手を当てようとしたのだが、その手が彼に触れた瞬間、遠條刑事が突然「ウワァッ!」っと大きな唸り声を上げて、モオルダアは面食らってしまった。それだけではない。突然腕を振り回し始めるとものすごい力でモオルダアを突き飛ばした。

 数メートルよろめいてそこで尻餅をついたモオルダアは驚いて遠條刑事を見つめた。遠條刑事はまたさっきのように「暑い…暑い…」と言いながら歩いていく。

「止まりなさい!発砲しますわよ!」

こんどはスケアリーが遠條刑事の前に銃を持って立ちはだかった。遠條刑事はまったく気付いていないように歩き続けている。

「スケアリー。無駄だよ」

モオルダアが言う。スケアリーは銃を向けても全く動じない遠條刑事を気味悪がって少しずつ後ずさっていく。すると彼女の遙か後方から走ってくる警官達の姿があった。警備員からの連絡で外にいた五人の警官がやって来たようだ。

 モオルダアはこれだけいれば大丈夫だろう、と思ってすぐに立ち上がった。そして、警官達がやって来ると、彼は背後から、警官達は正面から遠條刑事を取り押さえた。

 遠條刑事は先程と同じように「ウワァッ!」と唸っていたが、さすがにこれだけの人数に取り押さえられると、振り払うことは出来ないようだ。しかし、一人の人間のものとは思えない力で暴れている。

「刑事、落ち着いて!」

警官の一人が言ったが、すでにそんなことには反応できない状態の遠條刑事は、ただ暴れて自由になろうとしている。

 しかし、取り押さえたのは良いのだが、これからどうすれば良いのだろうか?このまま押さえていても彼が落ち着くことはなさそうである。

「モオルダア。手錠をかけて!」

「ダメだ。スゴい力なんだよ」

スケアリーが言うのを聞いてモオルダアが返した。手錠をかけられたとしても壊されそうな勢いだ。このままでは取り押さえている方が力尽きてしまいそうである。

 遠條刑事は相変わらず唸り声を上げて暴れていた。するとモオルダアはそこに恐ろしいものを見てしまった。始め遠條刑事は暴れて汗をかいているのかと思ったのだが、汗に混じって何かが顔からたれている。遠條刑事が暴れる度にそれは左右に揺れているのだが。

 遠條刑事の鼻の穴から細長い白いミミズのような虫が出てきているのだ。

「うわぁ!出たぁ!」

思わずモオルダアが叫ぶと、他の警官達もその虫に気付いた。そして、一斉に「うわぁ!」と悲鳴をあげると同時に力が抜けてしまい、遠條刑事は周囲にいた警官達を全員突き飛ばした。そして「暑いー!」と叫びながら廊下を走り出した。

 スケアリーは遠條刑事の後を追って「ちょいと!」と声をかけたのだが、そんなことで止まるはずはない。このままでは遠條刑事が会場内に入って大混乱になりかねない。

 途中で勇敢な警備員が制止しようと試みたのだが、あっけなく突き飛ばされた。

「扉を閉めるんだ!」

とモオルダアが言ったものの、大きな展示場の巨大な扉はそう簡単に開け閉めできるものではない。

 しかし、もう何も出来ないのか、とあきらめかけた時に異変が起きた。パン!という音がしたと思った次の瞬間に遠條刑事が倒れた。まさかスケアリーが発砲したのか?と思って見てみたが彼女はすでに銃をしまっていた。他の警官達も銃を手にしている者はいなかった。

 どうしたのか?と思ってさらに様子をうかがうと、廊下の横にある小さな非常用出入り口の方から二人の男が走って遠條刑事に近づいて来た。

 白いヘルメットに白衣をきた二人は救急隊員のようだった。どうしてここに救急隊員が来たのかは解らないが、二人は倒れた遠條刑事の横に跪いて彼の状態を調べているようだ。

 いきなりのことで呆気にとられていたのだが、スケアリーがハッとして救急隊員に言った。

「その方は未知の生物に寄生されている疑いが…」

「対処法は解っています。我々に任せて!」

救急隊員の一人がスケアリーに言った。スケアリーはさらに「どういうことかしら?」と思ってしまったのだが、そうしている間に二人は遠條刑事を担架に載せて外に止めてある救急車の所へ運んでいった。そして、遠條刑事を乗せると救急車はけたたましいサイレンの音と共に走り去っていった。