8. 病院
一通りの検視を終えてスケアリーは一緒に解剖をおこなったもう一人の医師と話し合っていた。二人とも顔をこわばらせているのは、この解剖によっても決定的な死因というのが見付からなかったのである。
こうなると氷室兵蔵が薬物を使用していたかどうかの精密な検査を行うべきであり、今はそのことを話し合っている最中である。スケアリーとしては思わぬ難事件になってしまったと思っていた。もしも死因が本人の病気などではなくて、他殺の可能性が疑われるようになると、犯人は特殊な方法を使ったに違いない。そして、それが猟奇的犯行だとしたら。さらなる被害者を出すか、阻止できるかはあたくしにかかっているのですわ!と思ったスケアリーの表情には緊張感が感じられた。
そこへ彼女の携帯電話が鳴り出した。画面を見るとそれはモオルダアからだった。じっくりとものを考えたい時にどうして電話をしてくるのかしら?とスケアリーはイラッとしたのだが、メールは送るな、とモオルダアに言ったのは自分だった。スケアリーは出たくなかったがしかたなく電話に出た。
「もしもし、あたくしですのよ」
「ああ、スケアリー?キミ大丈夫だった?」
「大丈夫って、何がですの?」
「ああ、まあキミは慣れてるし、気にならないのか。しかし、この回虫っていうのは気持ち悪いね。ウシシシ…!」
「何を笑っているんですの?」
「いやね。あまりにも情報が少ない事件だからね。どんなことでも調べないといけないと思って。FBLの技術者のところで回虫を調べてみたんだけど。そうしたら、気持ち悪い画像がいっぱい出てきちゃってね」
FBLの技術者というのは、時々登場する千堂というアルバイトなのだが。彼はインターネットで色々と調べるのも得意なので、彼に頼むと色々とマニアックなページを見つけて来てくれるようだ。
「画像だけなら良いけど、動画は見ないことをお勧めするね。それから…(ちょっと、モオルダアさん。こんなのもありましたよ)ウワッ、デカいなあ!それも回虫?(イヤ、これはサナダムシの仲間)それは、カンベンだね」
電話の向こうで千堂とモオルダアが楽しんでいるのが聞こえてくる。
「ちょいと!モオルダア。何か用事があって電話をかけてきたんじゃなくって?」
「ああ、それでね。あの氷室君の体は穴だらけだった?」
「何なんですのそれは?」
「だって回虫って、成長しながら体のいろんな所に移動するんでしょ?その場所の臓器とかを食べながら」
「それなんですけれど、あなたの調べていることはあまり意味が無いかも知れませんわ」
「なんで?」
「遺体には回虫に寄生されていた形跡はありませんでしたのよ」
「そうなの?」
「それに回虫で死ぬ人も珍しいですし…」
「(ちょっとモオルダアさん、これ!)ウワァ!ヤバいって。だから動画はヤバいよ」
「ちょいとモオルダア!いい加減にしないと怒りますわよ!」
実際にはもう怒っているのだが、電話の向こうで盛り上がっているモオルダアはまだ気付いていないようだ。
「そうなのか。じゃあまた別の所を調べてみるかな」
せっかくスケアリーがこの事件に対して盛り上がって来たところなのだが、モオルダアには全く緊張感がないようだった。
「モオルダア。よろしいかしら?あなたは何も解ってないかも知れませんけれど、死因が明らかになってそこに他殺の疑いが出てくると、これは重大な事件になるかも知れないんですのよ」
「解ってるよ。それなら現実から目をそらさずに、ちゃんと動画も見ることにするよ」
「そういうことじゃないですわよ!…ちょいと、モオルダア!」
モオルダアはすでに電話を切っていたようだ。腹の立ったスケアリーは目の前にあったソフィッチの最後の一つを食べ始めた。
9. モオルダアのボロアパート
夕方になりもうこれ以上はやることがないのでモオルダアは自分のアパートへ帰ってきた。その前に駅前で映画のDVDを一枚レンタルして、今はそれを見ている途中である。
テレビの画面の中ではさっき生きた人間がゾンビのような集団に食べられた所だった。モオルダアはゾッとして人間が食べられた後の変な余韻を感じながら再び静かになったテレビを見つめていた。その時に部屋の扉を勢いよく叩く音がして、モオルダアはギョッとして体を起こした。
何事かと思いドアの方を見つめていると、しばらくしてまたドアを叩く音がして、モオルダアはまたビクッとなった。モオルダアは何か武器になるものはないか?と思い辺りを見回した。今回は都合良く「鈍器のようなもの」が近くにはないようだ。するとまたドアを叩く音が。
「ちょいと!モオルダア!いるんでございましょ?」
ドアを叩いていたのはスケアリーだった。映画のせいで臆病になっていたモオルダアは軽くズッコケてからドアを開けた。
「あら、どういたしましたの?顔色が悪いですわ」
「いや。大丈夫だよ」
とは言っても、ドアを叩いた音にビックリした時の心臓の鼓動はまだ収まっていない。
「あら、それならイイですけれど。あなた宛にこれを預かりましたわ」
スケアリーは封筒をモオルダアに渡した。
「誰から?」
「知りませんわよ。女の人でしたわ。何なんですのあの方?あたくしの質問には答えずに、とにかく渡してくれ、って。あたくしは郵便係じゃないんですのよ!」
色々と思い出してスケアリーは機嫌が悪くなっているようだ。確かにこの小さな封筒を渡すためだけにわざわざ遠回りしてモオルダアのアパートにやって来るのは面倒な事である。
「ああ、それありがとう。良かったらお茶でも飲んでいく?」
わざわざ来てくれたし、今日はどちらかというとスケアリーの方が忙しかったようだし、ここはさすがのモオルダアも気を使ったのだが、スケアリーは部屋の中の散らかった様子を見て、ここでお茶を飲む気にはならなかった。
「結構ですわ。それに、この音はなんなんですの?」
部屋の奥から恐ろしくも激しい音楽と、人が絶叫している声が聞こえてくる。明らかにホラー映画の音だ。
「ん?まあ調査の一環だけど。結局バイオハザードってウィルスが原因だった、ってことなんだな。どうでもイイけど、途中のレーザーのトラップは酷いよな」
そんなことを聞くとさらにスケアリーは機嫌が悪くなりそうだ。
「あら、そうですの。何か解ればイイですわね」
呆れて怒る気にもならなかったのか、スケアリーはそのままモオルダアボロアパートから立ち去っていった。
部屋に戻ると映画はだいぶ進んでしまったので、モオルダアはDVDプレーヤを停止させて渡された封筒を開けてみることにした。「何だろう?ファンレターならボクに直接渡せば良いのにな」とかモオルダアは有り得ないことを考えていたのだが、封筒の中には新聞の切り抜きが一枚入っていただけだった。
折り曲げられた切り抜きを広げてみると、それほど長い記事ではなかった。「番組内でセクハ…」見出しは切り抜きの中に収まっていない。本文の方も端の方は切り取られて読めない状態なのだが、どうやら女子アナがセクハラされた記事のようだった。それが何だというのか?とモオルダアは思ったのだが、すぐに気がついて切り抜きを裏返した。そうすると、ちゃんと記事が全部収まっている切り抜きになった。
『人間をコントロールする虫? 研究機関が発見か』と書かれた見出しにモオルダアは胸騒ぎがした。そして本文を読むといよいよ彼の少女的第六感が活発に働き出すような感じがした。
その記事によると人間の脳に寄生して、その人間を操る寄生虫がいるかも知れない、という内容だった。「これで色々と説明出来ちゃうじゃん!」とモオルダアは思って携帯電話を取り出すとスケアリーに電話をかけた。しかしスケアリーの携帯電話にはつながらなかった。恐らくモオルダアから面倒なメールや電話がかかってくるのにウンザリして電源を切っているのだろう。
仕方がないのでモオルダアはこの件を彼女抜きで調べる事にした。