「忘却」

13. フロア

 何だか嫌な予感がしますのよ。そうはいってもあたくしは霊感や直感というものだけを頼りに行動しているワケではありませんし、自分の感情にだってそれなりの分析を試みるんですのよ。そして、この嫌な予感がどういうものなのか、それはすぐに解りましたわ。このビルには-----少なくともこの階には人の気配がまったくありませんの。これはエレベーターを降りた時からずっと思っていたのですけれど、フロアの中を歩き回って調べたら少しは物音でもすると思ったんですのよ。

「あたくしエフ・ビー・エルの美人捜査官ですのよ。あたくしは武装していますわ。誰かいるのなら手を上げてゆっくりと出てきてくれませんこと?」

不安のあまりこんな事を言ってしまったのですけれど、やっぱり静かなままですわ。

 この階には大きな部屋が多いようで、これまでドアはあまり見ていませんでしたの。ですからあたくしはゆっくりと廊下の先の曲がり角の方まで進んで行きましたのよ。ゆっくりと静かに。何か物音がすればすぐに気づけるように自分の足音もほとんど立てないようにしていましたの。

 そして、あたくしが曲がり角に近づいた時でしたわ。突然奥の方からバサバサって音がしたんですのよ。あたくしがどんなに冷静だとはいえ、これに驚かないワケにはいきませんわね。でも優秀な捜査官というのはこういう時、簡単にパニックにならないように訓練されているんですの。素早く体を反応させて廊下の向こうの物音のした方に銃を向けてその先を確認したんですの。

 でもその時には音を出した何かの姿はありませんでしたのよ。あたくしがもう少し早く曲がり角まで辿り着いていたら、そこに何があったのか解ったのかも知れませんけれど。

 あたくしは少し冷静さを取り戻して先ほどの物音を思い出してみたんですの。この場所に似つかわしくない音だったので気がつきませんでしたけれど、さっきの音は鳥の羽音のようでしたわ。誰もいないフロアですし、どこかの窓から鳥が入り込んでそのまま逃げずにビルの中にいるのかも知れませんわね。

 でも気になることもありますわ。鳥がそこにいた誰かに驚いて羽音を立てたって事も考えられますもの。緊張感から手に汗をかいていることに気がつきましたわ。でも手を拭うほどの汗ではありませんわね。慎重に、冷静に。

 そう思った時に、今度は廊下の先の方からバタンと扉の閉まる音が聞こえてきましたの。今見える廊下にある扉は最初から閉まっていましたし、音のした方向から考えると、この先をさらに曲がったところ。そして羽音の聞こえてきた場所のすぐ近くに違いありませんわ。

 やっぱり誰かがいるんですわ!あたくしは走って近づきたい衝動を抑えて、なるべく静かに音のした方へと向かいましたの。慌てれば慌てるほどすきが生まれますわ。廊下の曲がり角で一度止まって、その先の様子をうかがうことも忘れませんわよ。

 壁に背をあてて、そこから廊下の向こうを覗き込んでみましたの。ドアが閉まる音がしたのですから、そこに誰もいないことは予想できたのですけれど、やっぱりその通りでしたわね。そして、曲がるとすぐの正面には他の部屋とはちょっと違う感じの扉がありましたの。

 何かに近づいて来ましたわ。その扉を見てあたくしはそう思いましたの。するとその時またバサバサという羽音が聞こえて来ましたのよ。人を驚かせるのもいい加減にして欲しいものですわね。あたくしは辺りを見回して羽音の正体を見つけようとしたのですけれど、見つかりませんでしたわ。もしかすると天井裏に迷い込んでしまったのかしら?でも今はそんなことを考えている場合ではありませんわ。この扉の向こうに誰がいるのか?そして、何を考えているのか?

 扉には「会議室」という札がついていましたけれど、この扉の重厚で高級な様子からすると重役が集まって会議をするような部屋に違いないですわね。そんな部屋に誰がいるのかしら?予想するのは簡単ではありませんわ。この誰もいないフロアの特別な会議室で誰が何をしているのかなんて。

 あたくしはこのまま扉を開けるべきかどうか、少し迷っていましたの。でも良く考えるとあたくしに危害を加えようとするのなら、これまでいくらでもチャンスはあったはずですわね。それに、さっきのエレベーターの事を考えると、あたくしがここに来たということは相手に知られている可能性もありますわ。これってつまり、あたくしがこの部屋に入らないと話が続けられないって事になるのかしら?

 良いですわ。それなら受けて立ちますわ。相手が誰であれ、エフ・ビー・エルの優秀な捜査官に挑戦しようなんて思うとどんな目に遭うか、思い知らせてあげますのよ。