12. 警察署
警察の留置所にいる小根野は、逮捕された時とも取り調べの時とも違う妙に落ち着いた様子だった。彼女の檻に続く薄暗い静かな廊下を一人の男が歩いて来た。そして檻の前で立ち止まった。
こんなところに来るということは小根野の弁護人なのか。あるいは小根野が犯行当時の記憶がないと主張しているので、専門医が来たのかも知れない。しかし、そのどちらともいえない独特の雰囲気のある男でもあった。
「いつまでこんな所にいさせるのよ」
男の姿を見て小根野が言った。男は静かに小根野の方を見ていた。
「すぐに出られますよ。これから拘置所に移送されます。表向きには」
二人の小さな声でのやりとりは周りにはほとんど聞こえていない。
「そう。全ては順調なようね」
小根野が立ち上がると男は檻の鍵を開けた。
「はい。多少手順に変更がありますが、それは移動中に説明しましょう」
男は無機質な声でそう言って廊下の方へ振り返った。まばたきをすると彼の目の表面に黒いオイルのようなものが流れていった。注意していなければ気付かないような一瞬の出来事ではあったが、この黒いオイルのようなものはまさにあの黒いオイルのようなものに違いない。
男が歩き出すと、檻を出た小根野がそのあとについていった。
13. F.B.L.ビルディング
スケアリーが何をどうすべきか考えながらF.B.L.ビルディングのロビーの辺りをうろついていると、モオルダアが歩いてくるのを見付けた。モオルダアは何か考え事をしているような、ボンヤリとした顔をしている。
「ちょいとモオルダア!何なんですの?」
いきなりスケアリーから声をかけられたモオルダアは驚いて息を吸ったと同時にヒュワッと変な音を立てた。
「何って、何が?」
「何がじゃありませんわよ。あたくしさっきからずっとあなたに電話していたんですのよ」
「電話?」
そう言いながらモオルダアはポケットからスマートフォンを取り出した。
「アッ…」
モオルダアは小さく声を漏らしてからしばらく黙っていた。だが、その動作からするとスマートフォンの電源がオフになっていたので、今慌てて電源を入れているということのようだった。
スケアリーはこの様子を見て、彼女の中で怒りが抑えきれない状態にまで膨れあがっていくのを感じていた。しかし限界に達する前にモオルダアがふいに顔を上げて彼女の前に人差し指を立てた。それは、まず自分に喋らせて欲しいという合図のようだった。
「そんなことよりも、大変なんだよ」
モオルダアが何について「そんなこと」といったのかは解らないが、怒ったスケアリーの鉄拳を喰らうことは回避できた。
「この事件はもっと大きな何かの一部かも知れないんだ」
「あら、そうなんですの。でもあたくし達が今しなくてはいけないのは捕まえた猫達を保護してくれる場所を探すことですわ」
「なんで?」
「これはペケファイル課の捜査するような事件じゃないって」
スケアリーはそう言ってからモオルダアがどんな反応を示すのかと思っていたのだが、フッと鼻で笑ったモオルダアの反応は彼女の予想とは違っていた。
「これだけソレっぽいものが出てきているのに、ボクらは用無しか。彼らはまだボクらがどこまで知っているのか解ってないようだね」
「それって、どういう事ですの?…そうですわ。それにあなたの知り合いって女の方からメモをもらったんですけれど。それも関係しているっていうんですの?」
「ボクの知り合い?…もしかしてマリタちゃんかな?どんな人だった?ちょっと細身で、まあまあな美人の?」
「あたくしほどではありませんでしたけれど。その方だと思いますわ」
スケアリーはなぜかここにいない真利多と見た目に関して張り合おうとしているのだが、モオルダアはさらに新しい情報を得て盛り上がっているのでそれどころではないようだ。
「それって、どんなメモだったの?」
「今朝の襲撃事件の犯人は一人じゃなくて、そして旨方っていう都議会議員が狙われてるって。ハッキリ書いていたワケじゃありませんけれど、推測するとそういう感じの内容でしたわ。それで旨方議員の事務所に行こうとしたらスキヤナー副長官がいて…」
その先は言わなくてもモオルダアは解っているということで、スケアリーはモオルダアが何か言うのを待っていた。だがモオルダアは首をかしげたまま考え込んでいてなかなか言葉が出てきそうもなかった。
確かにおかしな話である。小根野の区議会議員襲撃事件と、モオルダアが真知村の妻に頼まれた件は別のところで起きていることのようだった。そして、秘書の言っていたことからすると、旨方議員の方が誰かを利用して真知村を襲わせようとしている、という風にも考えられたのだ。いずれにしても、事件はなぜか旨方という議員に繋がってしまったようだ。これが偶然なのか。あるいはこの二つの事柄に関係があるのか。
「とにかく、上層部に捜査が妨害されているならここにいても意味が無いな」
モオルダアはそう言ってビルの外へ歩き出した。しかしスケアリーがついてこないので立ち止まって振り返った。
「キミは来ないの?」
「だって、猫が炎上してるんですのよ」
途中を端折って説明したので、モオルダアの頭の中には地獄絵図が思い浮かんでしまった。
「あたくしはここにいますから、何か解ったら連絡してくださいな」
モオルダアは仕方なく一人で出かけることにした。