「炎上」

02. エフ・ビー・エル・ビルディング ペケファイル課

 長いこと忘れられていた緊張感。しばらく取るに足らない日常が続いていたせいか、ペケファイル課の二人はさっきの猫屋敷で見付けたヌルヌルした物体にどう対処すべきかと、どことなくぎこちない様子にも見えた。

 問題はあのヌルヌルなのか、それとも行方不明のあの家の住人なのか。或いは、あの大量の猫達に何かがあるのかも知れない。

 あのヌルヌルといえば、それが体内に入って感染した状態になると宿主の人間の肉体や思考を完全に乗っ取ってしまうものだったはずである。そのヌルヌルの中にいた何かの意図がなんなのかわからないが、これまでにも感染した人間が他の人間に近づいて宿主を乗り換えることがあった。

 その時にあの黒いオイルのようなものが後に残されるのだが。あの家でもそのようなことが起きていたのだろうか。

 ヌルヌルが体の外に出ると先に感染されていた人間はもとの状態に戻るので、普通のウイルスのように感染者が広まっていくことはないと考えられる。しかし次から次へと宿主が変わっていくと、誰が感染しているのか見付けるのが困難でもある。

 今のところ何も解らないので、とりあえずスケアリーがあの家の住人に関する情報を読み上げていた。

「行方が解らなくなっているのは、あの家の住人であり、持ち主でもある小根野香織(コネノ・カオリ)、52歳ですわ」

「コネノ?…ネコノじゃなくて?」

どうでも良い事だが、モオルダアが気にするのも仕方がない。だがやはりどうでも良い事なのでスケアリーが一度モオルダアを睨んでから先を続けた。

「最後に小根野に会ったのは区の職員の方ですわ。何しろあの悪臭でしたから、付近の住民からも苦情があったそうで、それで様子を見に行ったということですけれど。その時からまともに会話が出来なかったそうですの。それで区の職員の方も埒があかないと思って、出直すことにしたそうなんですけど。そうしたら行方が解らなくなったんですのよ」

「猫に精神を操られていたかどうかは別として、猫をそのままにしていなくなるのは不自然かも知れないね。とは言っても区の職員が出てきたことによって何かが変わったのかも知れない。周囲の人間との関わりを絶って猫のために生活していたような人だし。そういう人にとって権力とか権威が恐怖の対象になる事もあるからね」

モオルダアが自分の机に座って得意げに話していたのだが、ここでスケアリーはあることを思い出してそれどころではなくなっていた。それを気にしているばかりでは話が進まなくなると思ったのか、スケアリーは何気ない様子でモオルダアのところへ行って、彼の机の引き出しを開けてみた。

 椅子の上でふんぞり返っていたモオルダアだが、スケアリーの突然の行動に慌てて体を起こした。だがもう手遅れであった。スケアリーの開けた引き出しにはモオルダアのエロ本が入っている。それを見てスケアリーは納得した様子で引き出しを元に戻した。モオルダアは何が起きたのか解らないといった様子でスケアリーを見ていた。

「あの、話を中断させて失礼しましたわ。ちょっと前回の話との兼ね合いで気になっていたことがありましたのよ」

前回の話ってなんだ?と思ったモオルダアだったが、モオルダア以外にも解らない人がいたら前回の話である忘却読むと解るかも知れない。

「権威に対しての何らかの固執があったのは事実のようですわよ。警察があの家を調べたところ、政治家の名簿や、彼らに関する資料がいくつも見つかったってことですし」

スケアリーはまたすぐに話を元に戻した。だがモオルダアの頭の中では名簿や資料とエロ本がごちゃ混ぜになって、理解するのに時間がかかっていた。

「でも、そんな情報を知って何をしようっていうのかしらね?」

モオルダアの反応がないのでスケアリーがさらに続けた。

「ボクの場合はあくまで観賞用だからね。美の追究。すこし官能的という部分はあるけどね」

それはエロ本の言い訳なのだが、今の会話の内容とは関係のない事なのでスケアリーはあんなことしなければ良かったですわね、と思っていた。

「そうではなくて、小根野と政治家の関係についてですわよ」

「ああ…。まあそうだよね」

モオルダアがさっきの変な発言をなかった事にしようとするために不自然に格好つけた話し方で返事をした。そんなことをしても「なかった事」にはならない。

「彼女の経歴から考えても、政治家に関わるような仕事をしていたとは考えられませんのよ」

「とは言っても、あの大量の猫だし。動物愛護法とか、そういうものに関して何か思うところがあったとか…」

モオルダアは言いながらここでそんなことを推測で話していても意味が無いような気がしてきた。かといって一体何を調べるべきなのか?ということだが、そういうことを考える前に彼らのいるペケファイル課の部屋の扉が勢いよく開いて、モオルダアはビクッとしてしまった。

「おい、モオルダア!何をやっているんだ!」

言いながら入ってきたのはスキヤナー副長官である。

「ちょいと、部屋に入る時はノックぐらいしたらどうなんですの?」

スケアリーもいきなり扉が開くと驚くので、スキヤナーのこの行動にはいつもムッとしている。

「そんなことよりもテレビをつけてみろ。キミ達の探してる人物が映ってるはずだぞ」

それは小根野のことなのだろうか?しかし、モオルダア達は少し困った様子だった。

「ここって、テレビあったっけ?」

「さあ、どうかしら?地デジになって映らなくなったテレビはもう処分いたしましたし、テレビっぽいものはパソコンのモニタだけですけれど。それじゃあ意味がないですわ」

二人のこの部屋の設備に対する不満を聞かされていると気付いたスキヤナーだったが、そこには気付かないフリをして彼はポケットからスマホを取り出した。

「じゃあ、しかたないな。私のスマホで見たら良い」

スキヤナーのテレビチューナー付きのスマホの小さな画面を三人が顔を寄せて覗き込んだ。

 そこには騒然とした感じの「現場」からの生中継が映されていた。騒然とはしているが、今は何も起きていないような感じでもある。

「あれ、もう終わっちゃったのか?」

スキヤナーが気の抜けたように言った。それでは意味が無いと他の二人は思っていたのだが、テレビの方でもそれではあまり面白くないということで「それでは、逮捕の瞬間をもう一度ご覧下さい」というようなことになって、それまでの生中継から録画された映像に画面が切り替わった。

 バタバタした感じの映像だったが、何が起きているのかはすぐに解った。建物の入り口を蹴破って特殊部隊が中へ突入すると、しばらくして中に立て籠もっていた犯人が両脇を抱えられて出てきた、ということのようだ。そして、その立て籠もっていた犯人というのが小根野だった。

 52歳の女性を逮捕するのには少し大げさな感じもするが、政治家を殺害しようと包丁を持って事務所へ押し入った犯人なので、それぐらいのことはするのも当然かも知れない。

「猫に操られると政治家の暗殺もするようになるのかしら?」

「その政治家が猫にとって驚異ならありうるかもね」

二人とも半分冗談で話しているのだが、スキヤナーは何のことだか良く解っていない。だが、これはユックリしている場合でも無いような気もしているモオルダアとスケアリーなので、スキヤナーにちゃんとした説明をする前に行動を開始していた。スキヤナーもなんとなくそれを止めるのも良くないと思ったので、そのままテレビの続きを一人で見ていた。唯一気に入らないことがあるとすれば、二人とも彼のテレビチューナー付きのスマホを「スゴいですね」と言ってくれなかったことかも知れない。