05. エフ・ビー・エル研究室
スケアリーはネコ達の検査に疲れて一度休憩しようと椅子に座った。ここで紅茶とシルベーヌが出てくれば素敵ですわね、と思いながらマスクを外すと猫達の放つ悪臭が鼻をついて、スケアリーの頭の中から紅茶とシルベーヌは消えてしまった。
本当はネコ達を最初に綺麗にしてから検査したいのだが、体に例のオイルが付いているかも知れないので、全てが終わるまでネコの体を洗うことは出来ない。そしてさらに面倒な問題も起きていてスケアリーをウンザリさせてもいたのだが、そこへ彼女のスマートフォンにモオルダアから電話がかかってきた。
「ちょいと、何なんですの?!」
いきなりスケアリーがキツい口調だったのでモオルダアは電話の向こうでビクッとなっていたのだが、見られていないのなら大丈夫ということで、変に格好つけた声で返事が返ってきた。
「何って言われてもね。区議の事務所には何もなかったよ。そっちはどうなってる?」
「あなた、こういう検査がそんなに早く終わるとでも思っていらっしゃるの?猫達の採血をして、それから一匹ずつ身体検査して。もう大変なんですのよ!あの家の状態でしたでしょ?ですからノミだらけでしたし。暴れたネコに顔をひっかかれた捜査官もいたんですのよ」
モオルダアの行った事務所は長閑な感じだったがエフ・ビー・エルの研究室はそれなりに大変なようだ。ただ、大変なだけで何かが見つかったという事はないみたいだが。
「まったく何なんですの?!」
話していたら嫌な事を色々と思い出して腹が立ってくるというのは良くある事だが、どうやらスケアリーもだんだん機嫌が悪くなってきたようだ。
「何って言われても…」
「警察の関係者の方がSNSに今回の猫達の事を書き込んだりしたんですのよ。しかも、大量のネコが保健所送りになって可哀想だとか、そんなふうに書くものですから、今エフ・ビー・エルに苦情が殺到しているんですのよ!あたくし達の苦労も知らないで、何だと思っているのかしら?」
「それは大変な…」
「もちろん、その警察の関係書の方は、SNSでの知名度と引き替えに職を失いましたわ!あなたもクビになりたくなかったら余計な事をしていないでちゃんと捜査してくださいな!」
「そうだね。ボクはちょっと気になることがあるから、そっちを当たってみるよ」
モオルダアの言うことを最後まで聞いていたのか解らないが、スケアリーが鼻息を荒げながら通話を終了させた。大体今時の捜査官ならこういう連絡は電話よりもテキストメッセージでするものですわ!と、思ったスケアリーはさらに腹が立ってきたので、そのまま部屋から出て行ってしまった。
06. 外務省関連のビル付近
モオルダアは人目に付きにくい路地から大通りの方を見張っていた。ここに誰が来るのか。厳密にいうと解っていないのだが、モオルダアには解る気がした。心のどこかで通じ合っている二人というのは、何か不思議な力でお互いの事を知っているようなそんな気がするのだ。
彼の待っている人物が大通りを外務省関連のオフィスのあるビルの方へやって来ると、モオルダアはニヤニヤしながらユックリ歩き出した。彼がそのまま進んで行くと、その先でここへやって来た真利多小春(マリタコハル)に追いつく格好になる。
真利多が持っているのはファーストフードの袋で、恐らく中には彼女の昼食が入っている。ファーストフードを昼食に食べるという点はモオルダアにとって意外だったが、それ以外は思ったとおりである。
完璧な美女ではないが、なかなか整った容姿の真利多に対してモオルダアは勝手に色々な妄想をしているのだが、昼休みの終わり頃に職場付近を見張っていれば会えるのは当然である。それでもモオルダアは二人の間にある目に見えない何かに盛り上がって真利多に近づいていった。そして彼女の斜め後ろまで来た時にモオルダアは彼女に声をかけようとしたのだが、その直前に真利多が背後に異様な気配を感じたようだった。
ハッとして真利多が振り返るとそこにはモオルダアがいた。真利多は嫌なものを見たというような感じで、モオルダアには目を合わさないようにして急に歩みを早めた。
「マリタさん…」
モオルダアが口を開くとマリタは逃げるような歩き方になった。
「近寄らないでください…!」
モオルダアは真利多が言うのを聞いて何も言えなくなってしまった。真利多の声があまりにも怯えていたというか。これ以上近づいたら大声で助けを求めますと言っているような調子だったのだ。
そういう緊張感は周りを歩いていた人達にも伝わったようで、数人が「何事か?」とモオルダア達の方に目をやった。ほとんど言葉は交わされていないが、その内容からすると、男性の方が女性につきまとって女性を困らせているとしか思えない。
モオルダアは周囲からの視線を感じてその場に立ち止まった。真利多はそのまま早足で歩き続けて、振り返りもせずに自分の働くオフィスのあるビルへと入っていった。
なんであんな態度なのだろう?と思いながら、モオルダアはボンヤリと真利多がビルの入り口の向こうに姿を消したあともしばらくそこを眺めていた。モオルダアの予想、というより「半分ぐらい妄想」によると、今回のような事件の時には彼女は何かをヒントをくれるはずだし、彼女は彼女で早くモオルダアに会える機会が来ないか?と待っているはずなのだった。
これでは、ほぼストーカーという感じのモオルダアだが、本格的なストーカーにならないで済んでいるのは彼の根拠の無い前向きさにあるのかも知れない。今回もモオルダアは、真利多の行動には何か意味があるに違いないとか考えて、ここは「次のメッセージを待て」ということにした。
そして、次のメッセージはすぐに届いた。だがそれは真利多とは関係の無い事でもあった。
モオルダアがオフィス街から立ち去ろうとすると彼を後ろから呼び止めた者がいる。
「モオルダアさん。ご無沙汰しています」
スーツを着た男はモオルダアの事を知っているようだったが、モオルダアはこの男を知っているような知らないような、そんな感じだった。確かにどこかで見たことがあるのだが。
「奥様がお呼びです」
男がさらに続けた。この台詞もどこかで聞いた事があるような気がする。だがこの人は誰だったか思い出せない。
「えーっと…」
「行きましょう。奥様がすぐにあなたに会いたがっています」
「はあ…」
きっと奥様という人に会えばこの人のことも思い出すだろうと思ってモオルダアは男についていった。そして男に言われるままに止めてあった車に乗り込んだ。
こんな感じで大丈夫なのかは知らないが、何かは起き始めているようだ。それが今回の事件に関係していることを願うしかない。