「炎上」

03. 警察署

 特殊部隊に捕らえられた小根野は、始めはパニック状態で話の出来る状態ではなかったということだが、しばらくすると、警察の取り調べを受けられるまでに落ち着いて、今では放心状態で取調室の椅子に座っている。彼女がいまだにそこにいるのは、本来なら警察が取り調べをしたらそれで終わるところを、今回は余計な二人も捜査に関係しているので、余計な取り調べを受けなければいけないからだった。

 小根野は憔悴した様子で、部屋に入ってきたエフ・ビー・エルの二人を眺めていた。どうして済んだはずの取り調べをもう一度受けないのといけないのか?ということだったが、詳しい事を説明するのも面倒なので「ボクらはエフ・ビー・エルです」とだけモオルダアが言った。小根野はそれで納得したのか、ただ黙っていた。

 しわだらけの服と適当に束ねただけの長い髪。あの猫屋敷の様子からすると、それは今日に限ったことではなくて、小根野のいつのもスタイルだと思われた。だがそれが重要な事か?というとそうでもないとか、モオルダアは思っていたのだが、その間にスケアリーが質問を始めた。

「先程警察の方から聞いたのですけれど、あなたにはコレまでの記憶がないそうですわね。それでもあなたがあの事務所へ押し入って、議員に危害を加えようとしたことは事実ですわ。そして、その間の記憶が一切ないなんて事は少しおかしいとも思っていますの。もしそれが本当だとしたら、最後に覚えているのはいつの記憶なのかしら?」

スケアリーが落ち着いた口調で聞くと、小根野はボンヤリと中空を見つめたまま記憶を辿っているようだった。辿るといっても、途中がないのなら辿りようもないはずだが、それでも彼女は何かを思い出そうとしている様子だった。

「猫達の食事の時間…」

やっとの事で小根野の口から出てきたのはそれだけだった。とは言っても、猫達の食事の時間なんて小根野にとっては毎日のことに違いないし、さらに一日に何度あるかも解らない。こんな質問をしても意味はなさそうだ。

「一ヶ月ほど前に区の職員があなたに会っているはずなんですけれど。それは覚えていますの?」

スケアリーが質問を変えると、小根野はまた黙ったまま記憶を辿っているようだった。そして、しばらくして「うーん…」と言ったまま頭を抱えてしまった。どうやら覚えていないということなのだろう。

「その職員の方によると、その時にもあなたはまともに会話が出来ないような状態だったってことでしたけれど」

「覚えていない…」

この調子だと小根野からは何も聞き出せそうにはない。スケアリーはそろそろ何かないのか?と思ってモオルダアの方を見た。モオルダアは小根野がどこか変だと思いながらも、それが何なのか解らないし、元々が自分の家を悪臭を放つ猫屋敷にしてしまうような人なので、変なのも仕方ないとも思っていたのだが。しいて言えば、小根野のこの記憶をなくした感じがなんとなく演技っぽいという所だろうか。とにかく何か聞いておかないとここに来た意味がないと思って試しに聞いてみる事にした。

「小根野さん。これまで猫に何かヌルヌルした油のようなものが付いていたことがありましたか?ちょっと黒っぽい感じの」

それを聞いて小根野はコレまでとは違った様子でモオルダアの方を見た。それなら記憶にあるとでも言いたかったのだろうか。それから彼女は両手のひらを自分の顔の前に向けて眺めた。

「そう。油のようなもの。食事の時間。クロちゃんを触ったら付いてたのよ。その黒いのが。それが覚えてる最後のこと…」

クロちゃんといったら黒い猫に違いないのだが、推測だけで決めつけてしまうのは良くないのでそれが黒い猫であることを確認するとモオルダアとスケアリーは取り調べを終わらせた。

 スケアリーとしてはこれだけで終わらせて良いものか?とも思っていたのだが、同時にこれ以上のことを小根野から聞き出すのは無理だとも思っていた。どっちにしろ政治家を暗殺しようとしたのだし、しばらくは保釈されることもないので、ここで焦る必要もない。


「まったく何だっていうのかしら」

意味のない取り調べだと思って部屋を出るとスケアリーがいつもの不機嫌な様子で言った。

「ボクらの追っている何かは猫を媒介にして小根野さんに取り憑いたってことだとおもうよ。そして、今小根野さんがあの状態だということは…」

そこまで言うとモオルダアは自分の両手を眺めてさっきの小根野の様子を真似していた。

「クロちゃんが…クロちゃんが…」

「ちょいと、モオルダア。真面目にやってくださるかしら?それに、それって本気で言ってるんですの?」

モオルダアが本気であろうとなかろうと、いつもなら否定するはずのスケアリーだったが、今回はどこか気味が悪いと思える部分もあってゾッとしてしまいそうだった。ついでに書いておくと、彼女も小根野の話し方が「クサい芝居」みたいだとは思っていたようだ。

「小根野さんが何かに感染していたとすると、関わった全ての人に感染の疑いがあるって事になりますけれど。でもそんなことは起きていませんのよ」

「それはインフルエンザとか、空気感染で広まる病気の場合だけど。この場合はちょっと違うと思うよ。あの黒いオイルの中のものは普通のウィルスとは違って取り憑く人間をあらかじめ決めてるはずだからね。これまでだってそうだったし」

「あなたの言っていたことが本当なら、確か前にもありましたわね。貨物船の船員からその奥様に感染して、それが最後にはクライチ君に感染していたって言っていましたわ」

「もしも、今回も同じものが原因だとすると、次の標的はあの襲われた政治家って事になるんじゃないかな」

これを聞いてスケアリーはやはりゾッとしてしまった。モオルダアのいうことが全部正しければという前提ではあるが、その何かは人を操ることが出来るのだ。政治家がそういう状態になるというのは恐ろしい事である。だがそれがどういう政治家なのかということにもよるが。

「もしもそれが本当だとしても、どうしてもっと権力を持った人のところに行かないのかしら?襲われたのは区議会議員ですのよ」

「そうは言っても、政党に所属しているなら、何かの機会に同じ党の国会議員とも接する機会もあるし」

「あら、イヤですわ…」

それが本当なら焦るべきところかも知れないのだが、まだスケアリーは焦るわけにもいかないといったところだった。だがこのスッキリしない状況はなんとかしないといけない。

「だったらあなたは襲われた区議を調べてくださいな。あたくしは小根野とあの猫達を徹底的に調べる事にしますわ」

そう言ってからスケアリーは自分のやることの方が手間がかかって面倒だということに気付いたのだが、それはモオルダアには出来ないことでもあるので仕方がない。

 警察署を出ると二人はそれぞれの行くべき場所に向かった。