「炎上」

18. 千葉県流山市

 東京に比べたら田舎に違いないが、人里離れたという表現が出来るほどでもなく、ここには人は沢山いる。しかし、真知村議員がここに土地と家を所有している事はほとんど知られていない。真知村議員が長年使われていないその家で身を隠すのには丁度良い場所でもあった。

 秘書の瀬呉から教えられた住所へ近づいてくる頃には夜もかなり更けていた。辺りには民家も見られるのだが、昔からある防風林に囲まれているこの辺りは街の中心部からは切り離されたように静まりかえっている。

 真知村の隠れ家の敷地に面した道に車を止めると、モオルダアとスケアリーは静かに車から降りた。そして二人はすぐに銃を取り出して、銃口を下に向けて構えながら家の方へと進んで行った。例によってモオルダアの持っているのはモデルガンである。

 敷地内には車が一台止まっていたが、それは真知村がここへ来るのに使ったもののようだった。果たして小根野はここへやって来ているのだろうか。外から見ただけでは全く解らない。

 モオルダアは歩きながら明かりの漏れている窓を見付けて、そこへ向かおうとスケアリーに合図を送ろうとした。彼女も同じ事を考えていたようでモオルダアと目が合うと二人は何も言わずに窓の方へと歩く向きを変えた。

 二人は音を立てないように窓の所まで来ると、窓を挟んだ両側の壁にそれぞれ背中をつけて様子をうかがっている。窓の内側にはカーテンがかけられているが、白いレースのカーテンを透かして中を見ることは可能だった。

 モオルダアがユックリと顔を窓の方に向けて中を覗き込んだ。そこに見えたのは椅子に座った男の背中だった。その様子を見てモオルダアは言い知れぬ不安のようなものを感じて、手やらこめかみの辺りやら、いろんな所から嫌な感じの汗を流していた。

 男のクビの後ろでスカーフのようなものの両端が結ばれている。そういうものから連想できるのは猿ぐつわしかない。クビの下には椅子の背もたれが見えていて、さらにその下がどうなっているのかは窓の外からでは確認できなかった。しかしその下では男の両手が椅子の後ろで縛られているに違いない。

 手遅れだったのだろうか。

 窓を覗くモオルダアの事を見ていたスケアリーは彼が滅多に見せないこわばった表情に緊張感を高めていた所だった。その時家の向こうの方でガタッという大きめの音がして、二人は驚いてビクッとなっていた。

 一瞬の間に息を整えた二人は音のした方へ向かっていった。家の壁の端まで来てその向こうを覗き込むと、家の裏口の扉が閉まっていく途中だった。たった今、誰かが家の中に入っていったに違いない。

 モオルダアは小走りに裏口の方へ向かっていった。それを見たスケアリーは振り返って正面の玄関の方へ向かった。これで中に入った誰かは簡単に逃げ出せないはずである。

 モオルダアは家に入る前に毎度お馴染みの多少の気まずさを感じたのだが、今は緊急事態なので問題なしということで、土足で家の中へ入っていった。

 見た目は建てられてから何十年も経っていそうな家だったが、作りはしっかりしているのか、歩いても床が軋んだりするような事もなかった。さっきモオルダアが覗いた部屋以外は明かりが消されて真っ暗で、そして物音一つしない。

 しかし、この家に誰かがいることは確かなので、この静けさほど不気味なものはなかった。

 大抵の家がそうであるように、裏口を入ると台所になっていた。いわゆる勝手口というやつだが、この家には長い間人が住んでいなかったようで、台所はあまり台所っぽい雰囲気がなかった。食器が何かの振動でガチャッといったりしないので、余計に静かなのかも知れないが。

 そんなことをモオルダアが考えていたワケでもなく、彼は緊張で汗びっしょりになって台所から廊下に出た。廊下は左右に伸びていた。何か物音でもしてくれたらどちらに進むべきか判断しやすいのだが、依然として静かなままだった。

 だが何かがありそうな場所は解っている。モオルダアは先程覗いた明かりの点いている部屋の方へ向かうことにした。

 一軒家としては広めではあるが、豪邸というほどではない。なので数メートルも歩けば廊下は突き当たって右に折れて伸びている。その途中にさっき覗いた部屋があって、そこをさらに進むと玄関になっているはずである。

 モオルダアは廊下の突き当たりで一度立ち止まって、そっと曲がった先を覗き込もうとした。するとその時突然大きな声が聞こえてきて、モオルダアはフェッ…!と変な悲鳴を上げていた。聞こえて来た声の大きさにその悲鳴はかき消されていたが、それが聞こえていたかどうかは関係なかった。

「エフ・ビー・エルですのよ!その人から離れなさい!」

それはスケアリーの声だった。

 モオルダアはあまりの驚きのために心臓が止まっていないかを確認するために一度大きく息をついた。それから廊下を進むと、その先ではスケアリーが部屋の外から中へ向かって銃を構えていた。

 部屋の中の一番奥に小根野がいた。そして、その前には真知村が縛られた状態で椅子に座っていた。真知村が何かを言おうとしているのだが、猿ぐつわをされているので何のことだかサッパリ解らない。とにかく真知村が生きている事は解ったのでここは一安心したいところでもある。

 しかし、どうやら安心している場合でもなさそうだ。モオルダアがスケアリーの横にやって来て同じように小根野に銃を向けた。小根野がモオルダアの銃がモデルガンであることを知っているのかは解らないが、小根野は武器を持っていないようなのでモオルダアとスケアリーが有利なはずだった。

 しかし小根野は全く動じていない。というよりもあの黒いオイルの影響下にあるので普通の人間のような反応はしないのだろう。小根野は無表情でユックリとペケファイルの二人の方へ近づいて来た。

「止まりなさい!」

スケアリーが言ったが、小根野は止まらずに、ユックリと歩いてくる。

 なんだか空気がピリピリしている。とモオルダアは思っていた。こんな緊張した場面なのでそんなことは当たり前とも思ったのだが、何かが違う。なぜか本当に文字どおりの意味で空気がピリピリしているのだ。服でこすって静電気を帯びた下敷きを肌に近づけたような、そんな感じだった。

 モオルダアはそこに気付いてゾッとしてしまうところだったが、その前にハッとしてやるべき事があると思った。モオルダアはスケアリーに体当たりをするように抱きつくと、そのまま廊下に倒れ込んだ。スケアリーはこの突然のモオルダアの行動に「何なんですの?」と言う間もなかったが、それと同時に部屋の中からバリバリという音と共に閃光が放たれたのが解った。

 部屋から廊下に漏れてきた光があまりにも激しく明滅したために二人とも少しの間意識が朦朧としていた。何が起きているのか解らなくて慌てているスケアリーの方が先に我に返るとモオルダアを押しのけて「何なんですの!?」と言った。

「放射線だよ。前の事件で被爆した人を見たでしょ。今の光が彼らの武器なんだよ」

モオルダアの言っていることが説明になっているのか解らないが、スケアリーは過去に起きた事件から放射線による火傷があの黒いオイルのようなものと関係があることを思い出した。

 それを思い出したのは良いのだが、そうしている間に小根野は部屋の中から出てきた。あの攻撃は短い間に何度も出せるものなのだろうか?あれだけ光ってたらかなりのエネルギーを消費しそうなのだが。どちらにしろ、もう一度あの閃光が放たれたら彼らには逃げる場所がない。

 スケアリーは自分の銃を探したが、さっきモオルダアに突き飛ばされた時に手から落ちて廊下の先のほうに滑っていったようだった。

「止まれ!」

代わりにモオルダアが小根野にモデルガンを向けて言った。それを見て小根野は少し歩く速度を遅くしたようにも見えたのだが、依然としてこちらに向かってきている。

 これはマズいことになったと、モオルダアの頭の中は大混乱になっていた。もう少し近づいて来たらまたあの閃光を放って、彼らは大変な目にあうのだ。恐らく生きていられないか、生きていてもその後はずっとベッドの上で衰弱していくとか、そんな感じに違いないのだ。

 これ以上小根野を近づけるワケにはいかないと思ったモオルダアが小根野の足下を狙って威嚇射撃をした。

「モオルダア!」

スケアリーの怒ったような、驚いたような、叫びにも似た声で呼ばれてモオルダアはやっと自分の持っている銃がモデルガンであることを思い出した。モデルガンから飛び出したBB弾が床に当たって跳ね返ってパチパチという音を立てていた。

 モオルダアが引き金を引いた一瞬だけ立ち止まった小根野だが、床を転がるBB弾の音を聞くと、これまでよりも歩く速度を速めて一気に二人に近づいて来た。二人はもう何も出来ずに小根野を見ているしかなかった。

 するとその時、カンッと言う乾いた音がしたかと思うと、小根野が力なくその場に倒れ込んだ。エフ・ビー・エルの二人はまだ動けないままその様子を見ていたのだが、倒れた小根野の後ろに現れた人物を見てモオルダアがアッと声を上げた。

「アジアのマタハリ…」

モオルダアが緊張でカラカラになった喉の奥から絞り出すように言った。そこには木製のバットを手に持った真知村の妻が立っていたのだ。この家のどこかで拾ってきたような感じのバットには小根野を殴った時についた血がついていた。スケアリーはまだ良く状況が飲み込めていないので「何なんですの?!」と思っていた。

 真知村の妻の足下に倒れている小根野の頭からは少し血が流れていたが、それよりも勢いよく何かが彼女の頭の下から流れて床に広がっていった。最初は液体のように床の上を流れていたのだが、やがて意志を持っているかのように液体同士が繋がっていき真っ黒い水銀というような状態になっていった。そして床の上を逃げ場を探すかのように、蛇行しながら流れてその黒いオイルの固まりは進んで行った。

「あなた達は早く立ち去りなさい。ここは私が対処します」

真知村の妻が言ったのだが、これまでのような訛った日本語ではないのでモオルダアはポカンとしてしまった。

 するとその時、家の中のどこかでバーンと何かが破裂する音が聞こえて来た。さっき小根野が放ったあの閃光の影響で電気製品がショートしたのか。それとも真知村の妻が何かをしたのかは解らない。音がした後すぐに辺りに焦げ臭いニオイと共に煙が立ちこめてきた。

「アナタ達!イタいことなるヨ!早くニゲル!」

真知村の妻が今度はこれまでどおりの外国人風の日本語で言うとモオルダアはハッとして起き上がった。

「スケアリー、行こう」

そう言うとモオルダアはスケアリーの手をつかんで起き上がらせた。

「でも…」

スケアリーが反論しようとしたのだが、その時遠くからサイレンの音が聞こえてくるのに気付いた。

「悔しいが、これはお決まりのパターンだよ」

モオルダアが言うとスケアリーも何かを受け入れるように頷くと急いで家の外へ出た。

 家の外に出た時に一度振り返ると、家は今にも炎に包まれようかという所だった。偶然起きた火災にしては火の周りが早すぎるような気もする。

「ちょいと、モオルダア。さっきの方は大丈夫なのかしら?」

燃え上がる家を見てスケアリーは思わず聞いた。

「アジアのマタハリがそう簡単にやられるとは思えないよ。それも自分で仕掛けた火事ではね」

スケアリーはあれこれ言いたいような気分ではあったが、そうしているうちにサイレンの音はすぐ近くまで迫ってきているようだった。

 サイレンを鳴らして猛スピードでやって来る車の中にはいつものように特殊部隊のような人達が乗っているに違いない。しかし、今回は彼らが到着しても彼らが始末すべきものはここには残っていないだろう。火はアッという間に燃え広がり、家は完全に火に包まれていた。