「ゲロニンゲン」

15.

 クライチ君は病院にいた怪しい仲間とゲロニンゲンと伴に車に乗って病院を出て、今はコンビニの駐車場に車を止めている。病院でスキヤナーの姉の前を行ったり来ていたりしていた怪しい仲間が急にトイレに行きたいと言い出したのだ。一人が車から降りてしばらくすると、もう一人の怪しい仲間が「ちょっとビール買ってくる」と言って車から降りていった。もう一人の怪しい仲間というのはスケアリーの家にクライチ君と忍び込んだ人物だった。

 クライチ君が「オレは運転してるからビール飲めないのに、その辺に気を使ったりしないのか?」と思って出ていった男の方を見ていた。すると、コンビニに入ろうとした二人の仲間が振り返りクライチ君の方を見た。それに気付いたクライチ君は二人の表情に何か嫌なものを感じた。

 それが何なのか瞬時に理解できなかったクライチ君はバックミラー越しになんとなくゲロニンゲンの姿を見た。見た目が怪しすぎるということで、全身に包帯を巻かれているが、包帯の隙間から虚ろな目が不気味に光っているのが解った。「こんな厄介な生き物は早くウィスキー男に引き渡してしまいたいよ」と思ったクライチ君はウィスキー男がウィスキーを飲みながら冷たい笑みを浮かべるのを想像した。すると、先程仲間の表情から感じた「何か嫌なもの」が次第に形になっていくのが解った。

 クライチ君はハッとしてバックミラーから目を離すとシートベルトを外しながら車の中を見回した。そしてダッシュボードにあるデジタル時計が奇妙な感じで点滅しているのを発見した。「やっぱりか!」と思いながらクライチ君はシートベルトを外そうとしていたのだが、慌ててうまく外せなかった。シートベルトというのはいつになっても扱いづらく作られているものに違いない。もう少し扱いやすければもっとたくさんの命が不慮の事故から救われたかも知れないのに。クライチ君にはそんなことを考えている余裕もなかったが、やっとのことでシートベルトを外すと、転げ落ちるように車から降りて少しでも車から離れようと必死に走った。そしてクライチ君が10メートルぐらい走ったところで車が大爆発した。ボッカーン!

 爆風に押されたワケではなかったが、クライチ君は必死に走っていたため爆音と同時につんのめって倒れ込んだ。そして、倒れたまま振り返るとその先では先程まで乗っていた車が炎上していた。彼らはクライチ君にも「厄介なものは消してしまえばいい」というやり方を使ってきたようだ。クライチ君は燃えさかる車を見ながら身震いすると、そのまま何処かへ走り去ってしまった。

16. 東京・郊外

 「ビクタさん。ビクタ・クランポ博士」

 温室の中にモオルダアの声が聞こえてきた。その声に反応するものは誰もいない。モオルダアの呼びかけた後には不気味な静けさが温室の中を満たしていた。

「ビクタさ~ん」

モオルダアはスケアリーと伴に温室の中を探しまわったがビクタ・クランポの姿はそこにはなかった。二人が温室の中を一周して出入り口の方へと向かった時、彼らの前にマシュマロをほおばる老紳士が現れた。

「これは、お嬢さん。また会いましたねえ」

「ビクタさんはどこへ行ったんですの?」

スケアリーはなぜこの男がここにいるのか不審に思いながら聞いた。このいたって落ち着いた感じの男が何かをしているということはスケアリーにも解っていた。

「ああ、クランポ君か。惜しい人を亡くしたよねえ。昨日ここで遺体で発見されたんだが心臓発作だということだねえ」

この男の喋り方からはまったく感情が感じられなかった。なぜそうなのかは二人にも解っていたので、そこを気にしている場合ではない。

「あなたが殺したんでしょ」

モオルダアがそう言うと、男はマシュマロを食べようと口のところにもっていった手を止めてモオルダアを見つめた。

「あなたは父を知っていますよね。この写真に写っているのはあなたでしょ?」

モオルダアはポケットの中から写真を撮りだした。それは例の鉱山会社の跡地で撮影された写真だったが、モオルダアがポケットに入れたまま持ち歩いていたので、もうボロボロになって誰が写っているのか良く解らない。それでもマシュマロ男はモオルダアの言うことを否定したりはしなかった。

「その頃、私達はまだ若かったよねえ」

「だったら、あの鉱山会社の跡地に保管されている大量の個人情報とかそういう書類がなんなのかも知っているはずですよね?」

「知らないわけはないよねえ」

モオルダアはこんなに簡単にあの場所のことをこのマシュマロ男が認めるとは思っていなかったので少し驚いていた。マシュマロ男はそれに気付いたかどうか知らないが、それまでと同じような口調で話し始めた。

「1947年のことだったねえ。アメリカのニューメキシコ州で宇宙船が墜落してそれが回収されたとかいう話があったよねえ。その時に墜落現場にあった遺体も一緒に回収されたということをキミが知らないワケはないよねえ」

モオルダアは黙って頷いていた。

「しかし、キミはこれを知っているかねえ?日本でも同じようなことがあったんだよねえ。それがちょうど第二次大戦が終わったすぐ後だったこともあってねえ、本来なら戦犯となるはずの軍の科学者達を罪に問わない代わりに彼らの知識を当時の政府に提供させたんだよねえ。それはもちろん当時日本を事実上統治していた国の政府のことだけどねえ。それはまったくもって恥ずべき計画だったねえ」

「それがゲロニンゲン作戦ってことですの?」

話が怪しくなってきたのでスケアリーが割って入った。スケアリーはそんな話はあり得ないと思いつつも、鉱山会社の跡地で見付けた大量のファイルやその中に自分の資料もあったので少しはこの話が気になってはいた。

「ああ、キミもゲロニンゲン作戦のことは知っていたのか。それじゃあ、面下呂(メンゲロ)博士のことは知っているのかねえ?死の天使という別名もあった彼の研究成果については知っているのかねえ?」

「そんなものは作り話ですわ。遺伝子操作によって優良な人種を作り出すとか、そういう話は医学生達の間に流行った都市伝説ですわ!」

スケアリーの言うのを聞いていたのかどうか知らないがマシュマロ男は先を続けた。

「メンゲロ博士と伴に研究していた者達も彼らに協力しているんだよねえ」

「それがビクタ博士だというんですの?」

「ああ、クランポ君ねえ。彼はこの蘭の温室で新しい種をたくさん作り出していたようだねえ。違う種類の蘭を交配させて素晴らしい新種を生み出していたねえ」

先程からマシュマロ男の遠回しな話を聞いていたモオルダアだったがここに来てこれまでの色々なことが一つにまとまってきたような気がした。

「人間とカッパの交配もしていたということでしょ。きっとそうだ!ボクが土井那珂村のあの場所で見付けた死体とかもそうなんだよ。あれは交配の実験に使われた人間なんだ!それから、多分人間とゲロの交配もしてるに違いないよ!」

モオルダアの考えが飛躍しすぎてしまったためスケアリーは慌てて止めに入らなければいけなかった。

「ちょいとモオルダア!何を言っているんですの?これは戦後の話なんですのよ。DNAのことだってほとんど解らなかった時なんですから、そんなことはあり得ませんわ!」

モオルダアは盛り上がっているのでスケアリーの言うことはあまり聞いていなかった。その代わりにマシュマロ男に向かって言った」

「ボクの父もその計画に参加していたの?」

「キミのお父さんはあの医療書類が何に使われるのかに気付いて協力を拒んだんだよねえ」

「それじゃあ、父さんがあの書類を集めたってこと?」

「核爆弾の恐ろしさは我々も良く知っているよねえ。政府はもしも核戦争が起きた時の身元確認のため、という理由で、キミのお父さんのような人達に国民の遺伝子データを集めるように指示したんだよねえ」

この説明でモオルダアが理解できたのかどうかは知らないが、あの鉱山会社の跡地にあった大量の書類とサンプルについてはなんとなく解ったような気がした。

「予防接種だ。予防接種のときに遺伝子データを取られてたんだ。それからボクらが毎日のように使っているティッシュペーパーからもサンプルを取られていたに違いないんだ!」

「ほぼ全ての国民のデータは集められるよねえ」

モオルダアが核心に近づいていることを知ってマシュマロ男の目にも力が入っていた。スケアリーは自分がまったく理解できない話に二人が盛り上がっているのが気に入らなかった。

「モオルダア!これは完全な作り話ですのよ。騙されてはいけませんわ!このマシュマロ男さんは自分の都合のいいようにことを運ぼうとしているだけなんですのよ。あたくし達を騙して他に目を向けさせている間に自分たちの実験を続けるつもりなんですわ。恐ろしい人体実験を続けるんでございましょ?そうでございましょ?」

スケアリーはモオルダアに向けていた視線をマシュマロ男に向け直した。

「でも何でキミのファイルがあそこにあったんだ?」

スケアリーはまたモオルダアの方へ振り返らなければいけなかった。

「そんなことは知りませんわよ!」

自分のファイルのことを言われてスケアリーは多少動揺しているようだった。

「あそこには最近の情報だって書かれていたんだぜ!」

「だぜ、とか言わないでくださるかしら!それに何の情報だって言うの?」

「それは、アレだよ!」

「アレって何ですのよ!」

「だから、アレだよ。さらわれた人の。つまりUFOに連れていかれた人のファイルだよ!」

スケアリーは「何でいきなりそこに話がうつるんですの?」と思いながらもモオルダアに言い返す言葉が出てこなかった。自分の体内から謎の金属が取り出されたということは確かなことであり、それがいつ自分の体内に入ったのか彼女自身まったく覚えていなかったのだ。それがもし彼女がエイリアンに誘拐されていたという証拠だとすると、彼女がこれまで信じてきた全てのものが否定されることにもなるのだ。

 モオルダアに言い返すべき言葉の候補が頭の中に次から次へと浮かんできたのだが、そのどれも口から出すことは出来ずにモオルダアを睨むように見つめていたスケアリーは最後に「あたくしは、エイリアンに誘拐なんかされてませんのよ!」と震える声で言うと温室を飛び出して行った。

 モオルダアはスケアリーが怒っているようなのでヤバいと思っていたのだが、彼女の様子がいつもとは少し違うのでそこも気になっていた。そんなことを気にしながらも、モオルダアにはまだこのマシュマロ男から聞きたいことがあった。

「あのファイルの中にボクの兄のファイルがあったんだけど、あれは何なの?」

マシュマロ男はモオルダアがそのファイルを見付けたのが偶然だとは思っていたが、そこまで見付けているとはさすがだと思いながらモオルダアを鋭い目つきで見つめ直した。

「彼らはモオルダアが、つまりキミのお父さんが機密を暴露しないように彼の息子を人質にしたんだよ」

マシュマロ男は深刻な表情で言っていたのだが、モオルダアには何処か腑に落ちないところがあった。

「でもボクの兄が失踪したということになっているのは数年前なんだけど…」

そういえばそうだった、という感じで私は動揺してしまうのだが、ここはマシュマロ男にうまいことつじつまをあわせてもらうしかない。

「…実はだねえ。キミやキミのお兄さんが生まれるよりも前にキミのお姉さんが連れて行かれているのだよ。それで全ては解決するはずだったんだが、キミのお兄さんやキミが生まれるとキミのお父さんはまた彼らにとって良からぬことをしようとし始めたんだな。それが数年前のキミのお兄さんの失踪の時期だったということだよ」

「つまり、ボクに兄の他に姉もいるってことなの?」

「そこはそれほど気にしなくても良いんじゃないのかねえ」

「まあ、そうかも知れませんが。でもどうして兄なんですか?ボクでも良かったはずなのに」

「それは私の言うことではないよねえ。それよりも、キミは今危険な状況だということを知っておいた方がいいよねえ。いきなり降板ということになって、これからの話にほとんど登場できないということになるのはキミも嫌だろうからねえ」

モオルダアはこれまでに降板してきた人達のことを考えてみた。彼らがどこで何をしているのか、明確なことは知らないが、彼らは南の島とかそういうノンビリした場所で悠々と余生を送っているということだった。そんな生活も良いかも知れないとも思ったのだが、まだハッとするような美人女スパイとハラハラドキドキの大冒険もしてないし、なによりもまず、本物の銃を構えて「動くな!」とさえ言えてないのだ。それに、このマシュマロ男の言う「降板」とは、もしかすると自分が殺されるということを遠回しに言っているのかも知れない。そんなのはまっぴらゴメンという気がしたので、モオルダアは黙って頷くしかなかった。

 モオルダアの様子を見てマシュマロ男はポケットからマシュマロの袋を出してその中からマシュマロを一つ取り出すと口の中に入れてからモオルダアに背を向けて歩き出した。マシュマロ男の後ろ姿を見送るモオルダアはその姿を見てまだ何か彼から聞き出せることがあるのではないかと思った。

「他にはないんですか?」

モオルダアが少し離れたところにいるマシュマロ男に大きな声を張り上げて聞いた。マシュマロ男はゆっくりと振り返ってまじまじとモオルダアの目を見ていた。

「ホカニッヘイッヘモエエ。キイワヒルホトトホトアアインヨネエ!」

マシュマロが口の中に入ったまま喋ったのでマシュマロ男が何と言ったのか解らなかったが、彼の表情からすると、それ以上は自分で調べろ!と言っているようだったので、モオルダアは温室から出ていくマシュマロ男の後ろ姿を見送るしかなかった。