「ゲロニンゲン」

17. 都心部のどこかにある部屋

 昼も夜もブラインドが降ろされて薄暗いこの部屋はここ数日の情報流出騒ぎで大にぎわいという感じだった。普段はそれぞれに忙しく隠ぺい工作や陰謀に携わっている人間が一同に会して今回の騒動を何とか収めようとしていたのだ。

 その部屋の隅に置かれたテーブルの上で携帯電話が鳴り出した。誰からかかってきたのか解らないそういう電話に出るのはここにいる「重要な人物」のすることではない。部屋の中でミョーに浮いている感じの若いアシスタント的な男が電話のところにやって来るとその電話に応対した。そしてその男は電話の相手に向かって「ちょうど今みえたところです」と言って、電話を「重要な人物」の一人のところへ持っていった。電話を差し出された男はウィスキーのボトルを持っているのと反対の手でその携帯電話を受け取った。

 ウィスキー男が電話を耳にあてると、そこから絞り出すような声が聞こえてきた。

「マジでビビるかもしんないけど、オレ生きてるんだよねえ」

ウィスキー男にはその声がクライチ君の声だと言うことが解った。車の爆発で死んでいるはずのクライチ君がこうして電話をかけてきたら「マジでビビる」という感じなのだが、ウィスキー男はそんなことで動揺したりはしない。

「ああ、そうかね。それは良かった。それで、キミはどこにいるんだね?」

ウィスキー男は話している相手が死んでいるはずのクライチ君だということが周りに悟られないように、にこやかに話した。

「そんなの教えるわけないっすよね。あなたみたいなペケペケの裏切り者に…」

クライチ君の声は怒りに震えていて、それがいつ怒号に変わるか解らないような感じだった。しかし、ウィスキー男はクライチ君が怒りにまかせて叫きちらしたり出来ないような場所にいることは解っていた。それで、先程と同じようににこやかに話し続けた。

「ほお、それはホントかね」

「ホントっすよ。イイっすか。またこんなことをオレにするようなことがあったらマジヤバいっすよ。マジで全部バラしたら、あなたがマジでヤバいことになるってことぐらいオレにも解ってますからね。覚えといてくださいよ」

「了解したよ。仲間にもそう伝えておくよ。ご苦労だったね」

クライチ君はウィスキー男が最後まで冷静に自分のいうことを聞いていたのが不愉快でならなかったのだが、その怒りは最大限に抑えて、いつもよりも受話器を力強く電話に置くだけにとどめておいた。怒りは貯め込んだ方が復讐の力になりうるのだ。そう思いながらクライチ君はそれまでいた公衆電話を離れて何処かへ行ってしまった。


 薄暗い部屋の中ではウィスキー男が周囲の視線を感じながら携帯電話のボタンを押して通話を終わらせていた。周囲の人間達は今の電話の内容を知りたがっているようで、誰もがウィスキー男の方を見つめている

「たった今入った情報によると、スケアリーの暗殺に失敗した男とゲロニンゲンはメモリーカードと伴に車の爆発で死んだということだよ」

ウィスキー男がそうウソを言ったが、ここにいる人間はそれだけでは満足しないようだった。

「モオルダアとスケアリーはどうするんだ?」

「それなんだがねえ。エフ・ビー・エルが取り引きを持ちかけてきたんだよ」

「取り引きとはなんの取り引きだね?」

「なんの取り引きでもないよ。彼らに取り引きは出来ない。もう彼らには何もないんだからね」

そう言うとウィスキー男は持っていたウィスキーを二口ほどゴクゴクと飲み込むと、足早にドアの方へと歩いていき部屋を出ていってしまった。部屋に残った者達は何処かおかしいなあ、と思いながらウィスキー男の出ていった先を眺めていた。

18. 深夜・モオルダアの実家

 モオルダアが母親の寝室へ入ると、モオルダアの母はイビキをかいて寝ていた。「母さん。母さん!」とモオルダアが呼びかけてみたがモオルダアの母は起きる気配がない。

「母さん。ボクのあの麦わら帽子どうしたんでしょうねえ?」

モオルダアは母親を起こす前にそう言ってニヤニヤしていた。それから母親の肩に手をかけて「ちょっと母さん!」といいながら肩をゆすると、やっとモオルダアの母はやっと目を覚ました。

「なんなのオックス?今何時?」

「だいたい午前二時ぐらいだと思うけど」

「一体なんなのよ。こんな時間にやってきたりして」

「ボクもこんな時間になっているとは思わなかったけどね。なんかその辺の時間の経過は良く解らないんだよ。多分、ビクタさんの家はけっこう遠かったんだと思うよ」

「アンタ、何を言っているの?」

確かに、モオルダアは自分で言っていることに意味がないことに気付いた。それで、ここに来た理由を思い出した。

「母さん!アレは一体どういうことなんだよ」

「アンタ、まだあのダンボール箱のことをウダウダ考えてるの?母さんだってね、あの中にアンタのイヤラシイ本が入っていることぐらい解っていたのよ。あんなものを見てるから、いつまでもまともな仕事に就けないし、いつまでも結婚相手が見付からないし。だから母さんはアンタが大事にしてることも知ってたけど捨ててしまったのよ」

モオルダアはやっぱり自分の宝物であったエロ本を母親が捨てたのだということを知ってムッとしていたが、モオルダアがここに来たのはそんな理由からではない。

「そんなことはどうでも良いんだよ。母さん、ボクにはやっぱり兄がいたんだよ!しかも、ボクが生まれるよりも前に姉がいたってホントなの?」

「アンタ、いい加減にしないと母さん怒るよ」

もう母親に怒られても恐いとは思わないのだが、モオルダアの母は先程から眠そうにして半分以上目をつむっている感じだった。

「そうじゃなくて、父さんからボクと兄とどちらを人質にするか選べとか、そういうことを言われたんじゃないの?そういうことが原因で別居してたんでしょ?そうじゃないと…」

「はいはい、そうね」

モオルダアが最後まで言う前に母親が適当な返事を返してきた。肯定の返事ではあったが、それはほとんど人の言うことを聞いてない時の返事でもあった。モオルダアの母はまた眠りについてそろそろいびきをかき始めそうな感じだった。こういう状態の人には何を言っても無駄なことは解っていた。

 モオルダアは何かが違うと思って途方に暮れてしまった。ここで自分の兄のことや、さっきその存在を知った姉のことに関して母親が涙ながらに語るのを聞けると思っていたのだが、この母の様子からすると、そんなことはなさそうな気がしていた。ホントにボクに兄や姉がいるのだろうか?とモオルダアは考えていた。少なくとも兄はいるはずである。モオルダアが最初にエフ・ビー・エルに行った時にスキヤナーも兄のことを言っていたし、ペケファイルの部屋も兄が使っていたことになっていたのだから。モオルダアの父親は彼の兄に関して何を言っていたのだろうか?設定がどうのこうのということを言っていたのだが、モオルダアにはそれがどういうことなのか良く解らなかった。

 良く解らないことを考えているとモオルダアもそろそろ眠くなってきたので、居間のソファで眠ることにした。