01. 広々とした田舎道
電話が鳴っている。そういう書き出しで始まるのが各シーズン1話目のルールだったが、実際には鳴っていない。この書き出しをやれるのもこれが最後かとも思うが、なんとか続けようとすれば続けられるのか?まあ、私が覚えていれば、の話だが。とにかく電話が鳴らないということは、それなりに対処が必要なのかも知れない。
遠くまで続いている青空の向こうのその下に山々が連なっているのが見える。高い峰にはまだ雪が残っていたりして、それが青空とその下にそびえる山にさらなるアクセントとして風景を印象的なものにしているようだった。そんな景色を見渡せるこの道に人が通ることはほとんどない。この景色以外には特に何も無いので観光地でもないし、土地もそれほど肥沃ではないのか、畑などもあまり見当たらない。広い土地にただ道が横切っている。そんな場所である。
そんな場所でも、人間がいない場所はほとんどない日本なので、そこに道があれば時には誰かがやって来る。そして、やって来た男は滅多に人のやって来ないこの場所に彼の乗ってきたワンボックスを止めると、いつもの感じで車から降りてきた。そして、車の後ろに回って荷台のドアを開けた。その荷台の中の様子をみると彼が電子機器を扱う人であることが解った。
男はAMラジオで良く流れていそうな歌謡曲を鼻歌で歌いながら、これからやる作業のための機材を荷台から降ろしていた。彼が何の曲を歌っているのか、最近私が歌謡曲を聴かないので解らないのだが、解らないということは最近の流行の曲に違いない。まあそれが解ったところでどうということでもないし。
それはどうでもイイが、男は準備が終わると近くの電柱に登り始めた。最近では電柱に電線や電話線の他にワケの解らない感じでいろんな線が繋がれていることが多いが、このあまり人のいない場所では電柱がシンプルだった。電線と電話線しかない電柱の電話線のところまで男が登っていくと、電話線のつながっている箱を開けて作業を始めた。恐らくそこで何か不具合があって、電話が繋がりにくいとか、そういうことに違いない。ただし、男が鼻歌を歌いながら一人でできる作業でもあるので、それはそれほど重大なものではないのだろう。
今日の作業はこれだけ。とはいっても仕事がないから収入が少ないということでもなくて、それなりの給料は毎月支払われる。これはかなり気楽な稼業という感じだが、男の鼻歌はそんなところから出てくるのだろう。実際に彼は気楽だし、けっこう幸せに違いない。ただし、そんなところにも不幸というのは突然やって来るものである。
作業をしている男のところへ一匹のミツバチがやって来た。それは彼の耳元を何度か横切りあの羽音で彼を不快にさせていた。ただし、彼もこのような人が少なく自然の多い場所で暮らしているので虫には慣れていた。彼はただミツバチを追い払おうと手を頭の周りで振り回していた。ミツバチならそれで追い払えるはずだった。しかし今回はそうではなかった。
男の首筋にとまったミツバチが本来ならば持ち合わせない攻撃性を現してお尻の先の針を首に突き刺した。男は驚いたのと痛いのとで思わず大きな声を出してしまった。虫に刺された時のあの電気が走るような痛みは、たとえミツバチといえどもあまり体験したくない痛みである。
男はさっきまでの鼻歌を歌っていた気分などすっかり忘れて刺された首筋を押さえていた。電柱の下には刺した時に男に叩かれたミツバチがひっくり返ってもがいていた。するとそのミツバチのところへ近づいて来る人影があった。
少年が一人やって来てひっくり返ったミツバチを眺めている。そこへ更にもう一人の少年がやって来る。この広い野原のどこからやって来たのか解らなかったが、恐らく野原の先にある小山の向こう側にいたのだろう。電柱の上から男が見ていると、少年が次から次へとやって来て総勢五人の少年が電柱の下に集まった。
男はまだ首筋を押さえながら少年達に向かって言った。
「刺されちゃったよ。ミツバチに」
その声に反応して少年達は男の方を向いた。それを見て男は少しギョッとした。着ている服や髪型はそれぞれ違っているのだが、彼らは皆同じ顔をしている。しかし、冷静に考えたら同じ顔が五人などということは考えられない。そう思うとちょっとは違う顔に見えてくる気もする。恐らく兄弟に違いないし、そのうちの二人ぐらいは双子という事もあるのかも知れないが。
「たまげたな…。母ちゃんはお前達の区別ができんのか?」
首の痛みなど忘れかけていた男が気楽な感じを取り戻して聞いた。これは帰ってから友達に話したらウケるに違いないとか、そんなことも考えていたのだが。だが少年達は黙って男の方を見ているだけだった。
それよりも、さっき男に不幸が訪れると書いたのを忘れそうなのだが、彼に訪れる不幸というのは「ハチに刺されること」などでは決してない。というよりも、まともに生きてきた大人にとってそんなものは不幸のうちには入らないだろう。不幸が起きるのはこれからである。
男が何も喋らない少年達を変なヤツらだな、と思いながら再び作業を始めようとした時、彼の体の内側にこれまでに体験したことのないイヤな感覚があった。全身の筋肉が硬直して体のあらゆる部分を締め付けているような、そんな感じだった。そして、そんな感じとか思っている間もなく、全身が痙攣し始めて呼吸も困難になった。
電柱から飛び出しているちょっとした金属の足場の上に立っている男を支えているのは今は安全ベルトだけになっていた。すでに体の自由がきかなくなっている男の片腕は首を押さえたままで、もう片方はなんとかして電柱を掴もうとしたものの、その前に痙攣が酷くなってその手は電柱の手前で虚しく震えていた。
そして更に痙攣が酷くなり安全ベルトは外れ掛かっていた。その安全ベルトは落下を防止するために出来ているのだが、付けている人の体が全力でブルブルと震えるような場合を想定して作られているワケではないのである。そして、全身の筋肉を硬直させて震えていた男の両足がついに足場から離れてしまった。そして、その勢いで安全ベルトもはずれた。
男はとっさに恐怖の悲鳴をあげたのだが、ほとんど声が出ないうちに地面に落下した。まだ痙攣は治まっていないようだったが、それはすぐに治まるに違いない。それが落下の衝撃が原因か、或いは突然起こった謎の発作が原因か解らないが、男の命はもう長くはもたないようだった。
みるみるうちに力を失っていく男の周りに先程の少年達が集まってきた。彼らは顔色を変えずに倒れている男を囲んで見守っている。そして、男の頭のすぐ近くに立っていた少年がつま先でその頭を押してみた。男はすでに意識がないのか、少年の足に押されるままに彼の頭は半分横向きになり、そしてゆっくりと元に戻った。
その様子を見た少年達は、何も言わずに無表情のまま彼らのやってきた方へと去っていった。あとにはまったく動かなくなった男と彼の乗ってきたワンボックスが残された。