「地上民」

12. アルプスのふもとから

 暗殺者の追跡を上手いこと振り切ったモオルダア達は、あの謎の集落近くで車を見つけて東京に向かっていた。しかしこのままゆっくり帰っているヒマはない。どうやら今はいろんなことが危機的な状態にあるようだ。モオルダアはスケアリーと連絡を取りたかったのだが、同じ顔をした少年と少女達しかいない場所の周辺では携帯電話の電波も届いていなかった。それで仕方なく車に乗って高速道路を目指していたのだが、しばらく丘陵地を走っているとちょっとした建物が見えて、そしてその建物の前に電話ボックスがあるのが見えて来た。電話ボックスって久々だなあ!とモオルダアは思ったのだが、都会にだってまだ電話ボックスはある。ただしみんな携帯電話を持っているので、その存在に価値がなくなってしまって、電話ボックスがあっても気付かないだけなのだが。

 それはどうでも良いが、これでスケアリーに連絡が取れると思ってモオルダアは電話ボックスのすぐ隣に車を止めてスケアリーに電話をかけることにした。それはつまり、さっきスキヤナーと話していたスケアリーにかかってきた電話がこの電話ボックスからかけたものだった、ということなのだ。


「スケアリーですのよ」

「ああ、スケアリー。今どこ?」

スケアリーはモオルダアを多少は心配していたのだが、この適当な感じのモオルダアの喋り方がなんとなく気に入らなかったり、それでもやっぱりモオルダアと連絡が取れたので少しは安心したり。反応に困ってしまう電話でもあった。

「今はスキヤナー副長官の部屋にいますわ。それであなたはどこにいるんですの?」

「まだアルプスのふもとなんだけど。もうすぐ高速に乗れるから、その出口を降りた後で会えたら良いと思うんだよね」

「それはどこですの?」

「ボクの母が入院してる病院だけど」

スケアリーはそれを聞いてミスター・ペケから聞いた話を思い出した。彼女はその病状とは関係なく危険な状態であるとミスター・ペケは言っていたが、それはどういうことなのか。それにあの男を信用していいのかすらよく解っていない。

「モオルダア…。あたくしが思うに、それって…」

「母さんの命がかかってるんだよ。ボクらがそこに行くから」

「ボクらって、誰ですの?」

「ジエイレマイさんと…、もう一人」

もう一人って何なんですの?とスケアリーは思った。そして眉間にしわを寄せた顔のままスキヤナーの方を見てしまったのだが、いきなりそんな表情で見られたスキヤナーは何なんだ?!と思っただけだった。それでも、スケアリーの言葉からはなんとなく二人は怪しい話をしているに違いないと思ってはいたが。

「多分大丈夫だと思いますわ」

「それって、どういうこと?」

「ジエイレマイ・ヤスミツさまと話したい人はここには沢山いますもの」

「それなら大丈夫だな」

「では後ほど…」

スケアリーはそう言って電話を切ったのだが、モオルダアには最後の言葉は聞こえていなかった。その前に彼のいる道の向こうの方から猛スピードでこちらに向かってくる車のエンジン音が聞こえて来ていたのだ。比較的防音性の高い電話ボックスの中でも聞こえてくるその音にモオルダアもただ事ではないと思ってその音が気になった。

 そして、モオルダアが振り返った時にはその車は彼らのすぐ近くまで近づいて来ていた。猛スピードでこちらへ向かってくる車の中に誰が乗っているのかはすぐに解った。(もちろん怒り狂っているスケアリーではない。)

 モオルダアがそこ車の運転席にあの暗殺者の顔を見た時には、車はすでに電話ボックスの数メートルのところまで迫っていた。これはもう何も考えているヒマはない。モオルダアは変な悲鳴を上げるのも忘れて電話ボックスから飛び出した。そして、その次の瞬間には車は電話ボックスに激突して、電話ボックスはド派手な音をたてながら大破し、さらにその向こうにある彼らの車も突き飛ばした。

 すぐ近くの建物に人がいたりしたらチョットした騒ぎになりそうだったが、今日はそこに用事のある人がいなかったか、その建物が休館日だったのか、この事故を目撃した人はいなかったようだ。事故というよりは事件なのだが。

 モオルダアは間一髪のところで外には出られたが、電話ボックスが大破した時の音にビビって頭を抱えて倒れ込んでいた。ほとんどガラスで出来ている電話ボックスと、衝突するとスゴくイヤな音がする車がぶつかったのだから、その音はかなり痛々しい感じだったに違いない。その音が恐くて必要以上にうずくまっていたモオルダアのところへ暗殺者が迫って来ていた。そして、モオルダアの首根っこを掴んで彼を立ち上がらせた。

 立ち上がったというか、暗殺者に持ち上げられて地面に足が付いていないような体勢になっていたモオルダアだったが、暗殺者の顔を見てヤバいと思っていた。恐らくあの蜂の巣でハチに襲われた時のものだと思われるのだが、彼の顔は赤く膨れあがった水ぶくれが大量にあって、もとより顔が一回り大きくなっているようにも見えた。そして、そのブツブツだらけの奥から怒りに満ちたギラギラした視線をモオルダアに向けているようだった。

「うわぁ、ゴメンナサイ…。というか殺さないで。でも彼も殺さないで」

恐ろしさと、FBL捜査官としての義務とが入り交じって意味の解らないことを言うモオルダア。

「彼は死ななければならない」

暗殺者が言った。

「あの少年はボクの兄か、或いはボクっぽいんですよ」

モオルダアは更に言ったが、更に意味が解らない。とにかく暗殺者はジエイレマイを殺すつもりである。

「ああ、ヤツはキミに断片だけを見せたようだな。でもキミに教えたことは何もない。どっちにしろどうでも良いヤツなんだよ。ただの裏切り者だ」

「彼を逃がしてくれたら、ボクが降板するよ。それでいいんじゃない?」

彼は首根っこを捕まれた状態から、今では胸ぐらを捕まれた状態になっていた。いずれにしろ足が地面に付いてない感じで、体は自由にならないのは変わっていないが。

「ヤツのためにキミが降板するのか?」

「ボクの母が降板しないためだよ」

暗殺者はモオルダアがなぜそこまでするのか理解できなかった。降板すると生身の人間として話に登場できなくなるのだが、別に死ぬわけではないのだ。しかしどうしてモオルダアが自分の主役という役割を犠牲にしてまで彼を守ろうとするのか?

 暗殺者はそんなことで心を動かされて計画を間違った方向へ進ませるようなことはしない。彼はあくまで冷酷な暗殺者なのだ。

「誰もが死ぬのだよ。或いは誰もが降板するのだ。モオルダア」

そう言うと暗殺者は彼の胸ぐらを掴んでいる両手に力を込め始めた。モオルダアにもそれが解って、何とか抵抗しようと彼も全身に力を込めたのだが、ムキムキの暗殺者にかなうワケはない。モオルダアの抵抗も虚しく暗殺者は彼を数メートル先へ放り投げた。そしてモオルダアの体は宙を舞って暗殺者が乗ってきたワンボックスに打ちつけられた。

 暗殺者の人間離れした、というか恐らく人間ではない彼の力はモオルダアの想像以上だったようで、勢いよく体を打ちつけられた衝撃で軽い脳しんとう状態になったモオルダアは車の横に倒れて意識を失っていた。

 ジエイレマイはその少し前に危険を察知して逃げ出していたのだが、最初に暗殺者の車が彼の乗っている車に衝突した時の衝撃でかなりのダメージを受けていたようだった。暗殺者とモオルダアのやりとりの間に何とか車から降りて逃げようとしていたのだが、ほとんど這うようにしか動けないジエイレマイがこのムキムキの暗殺者から逃げられるとは思えなかった。

 そして、車の後ろの席に座っていたためにダメージはほとんどウケていないモオルダアの兄っぽい少年だったが、彼はどうしていいのか解らずに「キョワァアアア!キュワァァアア!」とモオルダアみたいな変な悲鳴をあげることしか出来なかった。

 倒れて朦朧としているモオルダアの耳にはその変な悲鳴が聞こえてくるばかりだった。