04. 病院・川崎市
モオルダアの母が病室に横たわっている。急性アルコール中毒をこじらせる、という表現が適切かどうか、というと多分適切でないのだが、なぜか彼女の容態は良くならないままである。意識がないのか寝ているのか、という状態の彼女だがその横にはなぜかウィスキー男が立って彼女の様子を心配そうに見守っていた。
その表情に見て取れるウィスキー男の特別な感情を除いては、彼がここにいることはそれほどおかしなことではない。彼らスーツを着た男達はジエイレマイはいずれここにやってくるだろうと思っているからである。そして、そこへ別のスーツを着た男が入って来た。
彼もまたいつもは薄暗い部屋で何か大きなことを密かに企む人間達の一人である。彼が病室に入ってくると、ウィスキー男はまたいつもの冷たい表情に戻ってから彼の方を向いた。
「やつは来ないようだな」
ここへ来た男が言うと「解ってたよ」とウィスキー男が答えた。
「ならばどこへ行ったんだ?」
「さあな。ここに我々がいると予知したのかもな」
ウィスキー男が言うと、そこへもう一人の男が入って来た。ウィスキー男やもう一人の男に比べるとかなり若いこの男は、恐らくもう一人の男の下で働く人間に違いない。どうやらもう一人の男がやって来たのには、何か理由があるようだった。
もう一人の男はドアを閉めて外に声が漏れないようにした。
「我々の情報が漏れているとは考えられないか?」
これを聞くとウィスキー男が少し驚いたような表情をした。
「一体誰が?」
「私はある写真を手に入れたんだよ。モオルダア夫人の旧家を訪れたキミの写真をね。キミは盗撮されているのに気づいていたのかね?」
そう言いながら男はウィスキー男に彼がモオルダアの母を話しているところの写真を渡した。
「誰の仕業だ?」
「偽情報を流せば引っかかると思うがね。どこから情報が漏れるのか見張っていれば良い」
「どんな情報を流す?」
「モオルダア夫人の命が危険だと。放っておけば彼女は不自然な死に方をするだろう…、とかな」
ウィスキー男は一度モオルダアの母を見た。彼女がそんな風に殺されたりするだろうか?と考えてみた。そんなことはないように思えたが、もしもそうなったらなんかイヤだな、という気がした。
それよりも、あとから入って来た若い男は何をしに入って来たのか?という感じだが、恐らく彼が偽情報を流すということに違いない。そうでなければ出てきた意味がないが、まあ意味はなくても雰囲気は出たから良いのかも知れない。
05. また川沿いのちょっとした広場
昨晩ここへスケアリーがジエイレマイと共にやって来て、その後に暗殺者が来たりして色々と慌ただしかったのはかなり前のこと。今は静かで平和な朝になっている。しかし、ここにはまだスケアリーの車が駐車してあり、中にはスケアリーが乗っていた。
こんな場所で待っていてもモオルダアとジエイレマイが戻ってくるワケもないし、スケアリーなら面倒な事をするよりも、まずは家に帰ってゆっくりしてから次の行動に移るというのが普通である。しかし、ここにいると言うことは何かがあるのに違いない。
スケアリーは車のダッシュボードに置いてあった彼女の携帯電話の着信音が鳴るとゆっくりとそこへ手を伸ばして電話にでた。
「もしもし、スケアリーですのよ」
「ああ、スケアリー?ボクだけど」
それがモオルダアであることはすぐに解ったが「ボクだけど」という言い方は本来ならスケアリーをイラつかせるものであった。しかしどうやらモオルダアはそんなことを気にしている場合ではないようだった。
「今どこにいるの?」
「あたくしですの…?昨日の川の広場にいますわ。まだ車の中なんですけれど…」
「え?!なんでそんなとこにいるの?」
モオルダアが驚くのも無理はない。しかし、スケアリーとしては驚くよりも前に何か異常があると気付いてくれないものかしら?と思っていたのだが。
「…だって、あれでございましょ?…あなた、電話に出ないんですもの…。あたくしはどうしたら良いのか解らなくて…」
「なんか?…ダイジョブ?」
「ええ。…ダイジョブ、ですのよ」
モオルダアもさすがにスケアリーの様子がおかしいと思ったのだが、ダイジョブというのならダイジョブかな?と思ってしまったようだ。スケアリーの「ダイジョブ」は全然大丈夫ではない「ダイジョブ」だったのだが。しかし、電話の向こうのモオルダアも興奮気味な様子で、その辺の細かいニュアンスに気付く余裕はなかったのだ。
「ねえ、良く聞いてよ。どうやらボクを捜しているヤツらがいるんだ。彼らはキミを通じてボクの居場所を突き止めようとするはずなんだ」
「ちょいと…モオルダア」
「いやいや、ここは我慢してちょっと聞いてよ。ボクらは羽田空港近くで車を拝借して南アルプスの方に向かってるんだよね。そこで相談なんだけど、空港の出入り口とかでボクの記録とかが残ってると困るでしょ。そこをキミとFBLの力でなんとかして欲しいんだけど。頼んだよ。…それから。ボクなら大丈夫だから心配しなくてもダイジョブだよ」
そんなことはどうでも良いんですのよ!とスケアリーは思っていた。最後のミョーにカッコつけた喋り方からすると、スケアリーが暗に示していた今の彼女の状況をモオルダアはまったく気付いていないに違いない。こっちは全然「ダイジョブ」じゃないのだ。
一体スケアリーに何が起きているのか?実は彼女は昨晩からずっとあの暗殺者に捕まっていたのだった。首の後ろに尖った物が刺さっていても普通にしていられる暗殺者を見て、スケアリーも彼が普通の人間でないことは解っていた。それで銃で応戦することもできずにこの車の中で例の武器を突き付けられながら身動きが取れなかったのだ。
その状況をスケアリーはなんとかしてモオルダアに伝えようと思ったのだが、モオルダアにそこを気付いてもらうのは無理だったようだ。そしてモオルダアの話を彼女の後ろで聞いていた暗殺者は彼らがどこに向かっているのかを知り、そのまま何もせずに車を降りていった。
「ダイジョブだよ。心配しないで…」
モオルダアはこのフレーズが気に入ったのか、まだ繰り返していたが、スケアリーはそんな事は全く聞いていなかった。暗殺者が自分の車を降りて別の車に乗ろうとするのを確認するとやっとまともに話すことができるようになった。
「ちょいと、モオルダア!あいつ、あなた方を追いかけるつもりですわよ!」
「って、誰が?」
「誰が?じゃありませんわよ!何であたくしの様子から気付いてくれなかったんですの?あの男ですのよ!首の後ろから緑の泡を出して倒れていた。あいつ、まだ生きていたんですのよ」
スケアリーは腹が立ってきて今にも怒鳴ってしまいそうだったのだが、なんとかこらえて震える声で状況をモオルダアに伝えた。
電話の向こうではモオルダアが、なんかヤバいことになったかも、と思って不安になっていた。彼の隣ではジエイレマイが車を運転していたのだが、モオルダアの様子に気付いて「ヤレヤレ…、何かヤバいことが起きたようだな」と思っていた。