「地上民」

18. 外務省関連機関のオフィスのあるビル

 血だらけのミスター・ペケが帰ったあと、血だらけの廊下をなんとかして掃除したモオルダアは、そのまま部屋に倒れ込むようにして寝てしまったのだが、起きると手にミスター・ペケから返されたモデルガンが自分の寝ている下にあるのに気付いた。普段ならばモデルガンのゴツゴツが気になって目が覚めていただろうが、疲れているのでそんなことは気にならなかったようだ。

 それはどうでも良いのだが、返されたモデルガンが壊れていないかを確かめようとした。BB弾の入った弾倉を取り出すと、弾倉とグリップの穴の間に紙切れが一枚挟まっているのに気付いた。紙切れを広げてみると、そこには細い棒のようなもので書かれたと思われる読みづらい字が書いてあった。インクの代わりに使われているのは血のようだ。

 それが血であると思うとモオルダアはあまり触りたくないと思ってしまったが、これは恐らくミスター・ペケからのメッセージに違いない。あれだけ血を流していたんだし、そうでなければ誰がわざわざ血を使って文字を書くのだろうか。

 モオルダアはなんとかして読みづらいその字を解読した。そして、血を流してはいたが、あの時はあれだけ喋っていたのだから、こんなやり方ではなくて口で言ってくれたら良いのに、とも思った。しかし、最後のメッセージというのは血で書かれていた方が劇的であるし、これはもしかするとモオルダアの趣味に合わせてミスター・ペケが仕組んだ演出かも知れない。とにかく苦労の末、数日かけて文字とその意味を解読したモオルダアが辿り着いたのがこのビルなのである。


 オフィスに入ると更に奥の部屋にある扉の前で待つように言われたので、言われたとおりにしていると、しばらくして奥の部屋から一人の女性が出てきた。どこかに中途半端な感じはあったが、なかなかの美女であった。

「モオルダアさんですね。私は事務次官の秘書をしております、真利多 小春(マリタ・コハル)と申します」

予想外に美女が出てきたので少しオロオロしそうになったモオルダアだったが、中途半端な感じの美女でもあったので、普通に対応することが出来た。

「どうも。それで、私の送った資料は調査していただけましたか?」

「ええ」

「彼には会えますか?」

「恐れ入りますが。重要な要件で外出中ですので…」

どうもダメらしい。モオルダアは彼女の受け答えを聞いてそんな気がした。ただ外出中なのではなくて「重要な要件」とか付けるとわざとらしさを感じてしまう。いずれにしてもここの事務次官はモオルダアの送った資料などには興味がないのだろう。

 ミスター・ペケが降板し、彼が最後に残したメッセージを頼りにここへ来たのだが、これでは全てが振り出しに戻ってしまいそうだ。

「よろしかったら、誰に言われてここへ来たのか教えてもらえますか?」

マリタが聞いた。ここでミスター・ペケのことを言ったら彼女は事務次官に言いつけるのだろうか?とモオルダアは思った。まあ言いつけたところで彼はすでに降板しているからどうでも良いのだが。でも彼のためにもはっきりしたことは言いたくなかった。

「まあ、…友達に聞いてね。南アルプスのふもとの農場のことで前から質問していたことがあって、その答えを知りたかったけど、最後にはニッチもサッチも、って感じで…。でも農場で何で外務省なのか?ってことだし…。ヘヘッ」

「そのことでしたら、その農場というのはずっと放置されていて、あなたの言っていた作物というのはそのまま枯れてしまったはずです。そこには朝鮮人参らしきものが栽培されていたと言われていますが、養蜂舎や養蜂業者があった形跡はありませんね。あなたの期待した答えとは違うかも知れませんが…」

結局こうして全てがなかったことにされてしまうのだ。モオルダアは無力感で頭の中が真っ白になりそうだった。なのでマリタの言っている事に多少の違和感があるのにも気付いていない。

「いや、…良いんですよ」

そう言いながらモオルダアは送ってあった資料をマリタから受け取った。

「どうしてこれがそんなに重要なんでしょうか?」

マリタは何故か色々と聞いてくる。いつものモオルダアだったら美女が自分に興味を持っていると勘違いしてどうでも良いことを話始めてしまうような場面だが、今はそんな元気もないようだった。

「ちょっと問題があったというか…。個人的なことなんですけど。最近になってボクの知らなかった事とか…まあ、色々と。…出来れば何か解ったら良いとか…」

マリタはモオルダアのことをじっと見つめていた。その視線がどんな意味を持っているのかモオルダアはまだ気付いていない。ただ、今日はあんまり調子よくないし、そろそろ帰った方が良いかなと思っただけだった。

 そして振り返って歩き出す時に、何か忘れているものはないかと思って、返された資料を確認してみた。するとモオルダアの目に驚くべき写真が飛び込んできて、思わず立ち止まった。そんな写真はモオルダアが資料を提出した時にはなかったはずだ。

 そこに写っていたのはあの農場である。そして、あの時見たのと同じように少年時代のモオルダアにそっくりな同じ顔の少年達が農作業をしているところだったのだ。

「誰もが死ぬわけではないんですよ。モオルダアさん」

驚いて振り返ったモオルダアにマリタが言った。彼女はまだモオルダアのことをじっと見つめていた。そしてモオルダアも彼女のことをじっと見つめてしまった。

 そこにはミスター・ペケ降板のあとにはこんな美女が情報を提供してくれる役になるのか!という期待もかなり込められていた。そして、そう思うと彼女が中途半端な美女ではなくて、かなりの美女に思えてくるのが不思議でもあった。

 そんなことはどうでも良いのだが、希望は微かながら残っている。いろんな意味で。

 そうに違いなかった。

2013-06-06 (Thu)
the Peke Files #031
「地上民」