「地上民」

09. モオルダアのボロアパート

 スケアリーがモオルダアの部屋の鍵を持っていて、モオルダアがスケアリーの部屋の鍵を持っていないことの説明をイチイチ書くのは面倒だし、だいたい察しは付くと思うので書かないのである。とにかくFBLの捜査官としてパートナーの部屋の鍵は持っているスケアリーが向かった先がモオルダアのボロアパートだったのである。ジエイレマイ(達)の使っていたパソコンから入手した謎のデータのコピーを持ってFBLビルディングを後にしたスケアリーだが、ここで何をしようというのであろうか。

 モオルダアは南アルプスのふもとにいてここにいないのは知っているし、それ以外に事件に関係ありそうな物がここにあるとは思えない。ただ、スケアリーは何かを知っている。そこには何の根拠もないのだが、例えていうのなら妻が夫の浮気に気づく時の「厄介な直感」みたいな何かを頼りにここへやって来たのだった。

 部屋に入ると、そこはいつものようにボロい部屋だった。いくつかの家具の位置が入れ替わったりしてはいたが、そんなことはどうでも良い。それよりも、スケアリーは通りに面している窓の方に注目していた。そこは以前に彼女が何者かに(エアガンで)銃撃された時にガラスの割れた窓であった。彼女がここへ来る度にその窓は違った印象を彼女に与えていた。時にはその窓ガラスにテープがバッテンの形に貼られていて、ヒビの入ったガラスを補強しているように思えたのだが、別の時にはテープはなくてガラスにヒビが入っている様子もなかったのだ。

 つまり、そのテープは何かの合図に違いないとスケアリーは気付いたのだった。乙女の第六感というよりも、さっき書いたような厄介な直感で。

 今日はその窓ガラスにはテープは貼られていない。スケアリーはその窓のすぐ近くにある机の引き出しを開けてみた。すると解りやすい感じで引き出しの中に白い粘着テープが入っていた。スケアリーはそれを取り出すと、以前に彼女が見たような感じで窓ガラスにそのテープを貼ってバッテンの印を作った。

 こうしておくと何が起こるのか?明確なことは解らなかったが、何かの手掛かりは手に入る。そういう漠然とした確信がスケアリーにはあった。本来ならばこんな方法で捜査をするべきではないのだが、これまでの状況を考えると今のところ信じて良い人間は誰もいないのである。今回の話は地味なようでいてけっこう重要な何かがあるような気がいたしますわ!とスケアリーも思っていたのだ。

 それで、スケアリーとしてもこのようないつもはしない行動に出た、ということでもあるのだが。果たして彼女の行動は正しかったのだろうか?本当にテープをガラスに貼っただけで何かが起こるのだろうか?

 彼女が窓にテープを貼ったところまでは正解だったが、100点満点にするためには、あと一つやり忘れていたことがある。窓にテープを貼ってそれを合図にするためには部屋の内側から窓の外へ向かってデスクランプの明かりを照らさないといけないのである。そこまでして、やっと秘密の信号という事になるのだが。しかしここに住んでいるモオルダアもそれは知らない事だし、いずれにしてもスケアリーがここに来たことはすでに或る人に知られているので、それはどうでも良いことなのだ。


 窓にテープを貼ったものの、すぐに何かがあるとは思えなかったので、スケアリーは机の上に謎のデータのコピーを広げてそれが何を意味するのか考えていた。ただしFBLの技術者が彼の出来る範囲で調べて解らなかったものをスケアリーが見てすぐに解るということはありそうにない。それでも、何か気がつくことがあれば後で調べる事が出来るのだし、なによりもこの部屋で何もしないで待っているのは退屈すぎる。いったいモオルダアはこの部屋で普段何をしているのかしら?と思っていたスケアリーだが、モオルダアにしてみれば、ここには暇つぶしに使えるものは沢山ある。スケアリーにはそういうものは視界の中にあっても気付かないようなものばかりなのだが。

 そんなどうでも良いことを考えていると、外に誰かがやって来てドアをノックする音が聞こえてきた。机の上の書類に集中していたスケアリーは少し驚いた様子でドアの方を見ると、すぐに机の上に置いてあった銃に手を伸ばした。「やっぱり来ましたわ」と思ってスケアリーは息を潜めてゆっくりとドアのところへ向かった。そして外の様子をうかがおうとドアに耳を近づけた時に外から声がした。

「ドアを開けるんだ。スケアリー捜査官」

どうやら中にスケアリーがいることはバレているようだった。これは一体どういうことかしら?とも思ったスケアリーだったが、彼女は誰かが来ることを望んで窓にテープを貼り付けたのだからこれでも良いのかも知れないとも思った。

 スケアリーが鍵を開けるとそこにはミスター・ペケがいた。彼はドアが開くと同時に少し焦った様子で部屋の奥まで入ってきた。

「ちょいと、どうしてあたくしがいると解ったんですの?」

「モオルダア捜査官に接触しようと思っていたんだが、キミがここに入るのを見たものでね。それで、彼はどこに?」

「解りませんわ」

スケアリーは嘘を言ったが、その前にこの方は誰だったかしら?以前に会ったことがあったかしら?とも思っていた。でもこう言う感じの人はいつも何かを知っていて秘密の情報を教えてくれるから何か聞き出せるかも知れませんわね、とも思っていた。

「モオルダア捜査官にも関わる重要な情報がある」

「関わる、ってどういう風にですの?」

「彼の母親に関係することだ」

「何かあったんですの?」

「いや。今はまだだ」

そういいながらミスター・ペケは窓の外をうかがったりして落ち着かない様子だった。低く落ち着いた感じの声で話すその声と裏腹な彼の様子にスケアリーは違和感を感じていた。しかし、ミスター・ペケ自身はもっとおかしな感覚だったのかも知れない。いつものように極秘情報をモオルダアに教えるためにやって来たのに、モオルダアではなくスケアリーがここにいたし。しかも緊急なので仕方なくスケアリーに接触するとは、いつでも慎重に行動する彼なら普通はしないことなのだ。しかし、今日は何かがおかしい。それが自分でも解っているからこそ彼は何も起きてないのに窓の外が気になったりしているのである。

「お母様の容態は悪いんですの?」

「いや。出来ればモオルダア捜査官に直接話したいんだがね。とにかく彼女は無防備だ」

「無防備って、誰から守られなきゃいけないんですの?」

ミスター・ペケは答えずにドアの方へと向かおうとした。しかし、スケアリーがそんなことを許すわけはない。知らんぷりなんて、そんな態度はあたくしには許されませんのよ!

「誰からですの!」

スケアリーは言いながら立ち去ろうとするミスター・ペケの腕を掴んだ。ミスター・ペケは不意に、しかもけっこうな力で腕を引っ張られたので、立ち止まると同時に体はスケアリーの方へ向いていた。そして、スケアリーが思っていたよりも怒りっぽくて恐い人だと思ってしまった。

「もしもこの件に関わるのなら、この情報をキミのパートナーに伝えるべきだ」

「あなたが知っている情報を私に伝えるのが先ですのよ。そうしないとモオルダアには伝えませんわ!」

ミスター・ペケは、それって取引の条件としてどうなんだ?と思ってしまった。彼はモオルダアの母の危険を知らせに来たのだが、それをモオルダアに伝えてもらうためにはさらなる情報を自分が教えないといけない。なんか納得がいかないのだが、スケアリーはそれが当然のことのように思っているようだし、あんまり細かいところを気にすると恐そうだし。いずれにしてもスケアリーに情報を渡すことはモオルダアに協力することになるので、彼の役割としては問題は無いに違いない。

 彼がそう思っているうちにスケアリーが机の上にあったデータのコピーを持って来た。

「これは厚労省の関連機関から手に入れたデータですけれど…」

彼女が持っているものを見たミスター・ペケは「それはちょっと答えに近すぎるな」と思った。

「キミは間違った方向へ捜査を進めているぞ」

そういったが、スケアリーは目の前の謎の答えが知りたくて仕方がないので、そんなことはどうでも良いようだった。

「このデータは全てTBSという文字で始まっていますわね」

スケアリーの口調が少し激しくなってきて、ミスター・ペケはやっぱり恐いな、と思った。

「あなたはこれの意味を知っていらっしゃるんでしょう?認めるのかしら?否定するのかしら?」

どうやらスケアリーは何かに感づいてしまっているようだった。何も言わなくても、もしかするとスケアリーはそのデータが意味することを知るかも知れない。もしそうなるのなら、その前にそれがどれだけ危険なことなのかを教えておく必要があるのではないか?と、ミスター・ペケは思ったようだ。

「天然痘 (T)・撲滅(B)・作戦(S)」

(日本語のイニシャルかよ!とかはどうでもイイ。)

「天然痘…ですの?」

「深入りしてはいけない。キミ達にはまだ早いんだよ」

「それって、どういう意味ですの?」

「放っておけば良いんだよ。…まずは母親を守るんだ」

取引はこれで終了。それ以上は教えてくれないようだった。ミスター・ペケは振り向いてドアから出て行った。スケアリーはいつもこういう状況の時にしているように「なんなんですの?!」と思っていた。