11. FBLビルディング
FBLの技術者がいつもいる部屋で技術者がパソコンに向かっている。もちろん彼が仕事を真面目にやっているワケはないし、パソコンの前に座っているのは大抵が仕事をしているフリをしている時なのだ。一日に何時間かはこうしていないと、彼ではなくて彼の書いたプログラムが彼の代わりに仕事をしているということがバレてしまうからなのだが。詳しいことは以前に書いた話の中に出てくるはずなので、シリーズ全体の最初の方から読んでいけばそのうち見つかるはずである。
それはともかく、パソコンの前に座っている技術者はちょっとにやけていた。これは仕事をするフリをしているだけではなくて、インターネットで面白いものを見つけて読んでいるところに違いない。文字しか表示されない殺風景で特殊なブラウザを使っているので、端から見るとパソコンで何かの作業をしているようにしか見えないのだが。そういうふうにインチキをしながら気を抜いていると突然のことに驚かされてしまうのは良くあることである。
いきなり部屋の扉が開いてスケアリーが入って来た。
「ちょいと、時間をいただけるかしら」
技術者は大慌てで目の前のキーボードをバタバタと叩いてしまった。本当はブラウザを終了させるためのキーを押したいのだが、慌てているのでなかなか押せない。いっそのことパソコンのモニタに手を伸ばして電源を切ってしまいたかったが、それでは怪しすぎる。
「あっ、はい…。あの…ちょっと…」
なんで技術者がこんなに慌てているのかというと、パソコンで見ていた内容がちょっとエッチな話だったからである。幸い文字だけしか表示されないブラウザだったので、スケアリーのいる場所からではバレていないはずだ。
落ち着け!落ち着け!と技術者は自分に言い聞かせながらやっぱり焦ってキーボードのボタンを押していた。そしてようやくのことでブラウザを終了させることが出来た。
「…ダイジョブ、ですよ」
あこがれのスケアリーに恥ずかしいところを見られずに済んだのだが、技術者は全身からイヤな汗がジワジワ噴き出してくるのを感じていた。しかし、スケアリーはその辺は気にしていない。今はそれよりも彼女が発見した「真実」のことで頭がいっぱいなのだ。
「そうですの。良かったですわ。例のデータについて手掛かりが掴めたかも知れませんのよ!」
そう言いながらスケアリーが技術者のすぐ横までやって来くると、彼の肩に触れそうなぐらいな距離に近づいてパソコンの画面の中を覗き込んだ。
「あのファイルを表示出来ますかしら?」
技術者は変な汗をかいていることを気付かれないかと思ってちょっとドキドキしてしまった。
「いや。もう。なんていうかボクはあのデータに関しては何も解らなくて…」
とりあえず適当に喋って誤魔化しているつもりだった技術者だが、そんなことをしているうちに余計な事を考えてしまった。なんかこれって、さっきまでインターネットで見つけて読んでいたエッチな話みたいだ、とか思ってしまったのだ。それは職場で美人の上司とイロイロしちゃう話だったのだが…。
落ち着け!落ち着け!
技術者は一度軽く咳払いをして気持ちを切り替えようと努めていた。そしてパソコンを操作すると例の解読不能なデータを表示させた。スケアリーはその画面を指さして話し始めた。
「このTBSって文字ですけれど、これは天然痘・撲滅・作戦の略だと言うことが解ったんですの」
「天然痘ですか?!スゴいですね。どうやって知ったんです?」
技術者はスケアリーに尊敬の眼差しを向けて言ったのだが、スケアリーはそんなことに気付いていない。
「運が良かったんですのよ。それよりも、重要なのは最初の文字列ですわ」
スケアリーは更に「TBS」につづく謎の文字列を指さした。
「20文字で、30種類あるようですね」
「この20文字はアミノ酸配列の符号に違いないんですの」
「それって、なんのための符号なんですか?」
「牛痘ウイルスですわ。以前は天然痘の予防接種に使われていたんですのよ」
技術者はスケアリーが何を言いたいのかよく解っていなかったが、彼女の表情は真剣そのものである。
「そうですか。つまり彼らは天然痘予防接種の記録を保管していたってことですか?でもなんでですかね?」
「それはまだ解りませんわ。でもさらなる問題は次の15桁の半角英数ですのよ」
パソコンのモニタを真剣な目で見つめるスケアリーを見て技術者は「いいなあ…、素敵だなあ…」と思わず見とれてしまいそうになる。しかし、ボーッとしているところを見られるのは彼女に悪い印象を与えてしまう。なんとかして格好いいことを言わないと。
「ええ…。調べてみたんですが、全て違う並びのようです。組み合わせは無限にあるようですし」
「目録ってことかしら?」
スケアリーの言葉が意外だったので、カッコつけて真面目な顔だった技術者がちょっと変な顔になっていた。
「って、なんの?!」
「あたくし達の、ですわ」
そう言うとスケアリーはスーツの上着を脱ぎ始めた。技術者は「えっ?!」と思って上半身を微かにのけ反らせた。スーツの上着を脱いだところで下にはシャツを着ているのでスケアリーにとってはなんの問題もないのだが、さっきまでエッチな話をインターネットで読んでいた技術者はなぜか慌ててしまった。
せっかく技術者がドキドキしたのに、相変わらずスケアリーは何も気付いていない。というよりも、今はそんなことを気にしている状況ではないらしい。スケアリーは半袖シャツの袖をめくって肩に貼り付けた止血用の小さな絆創膏のようなパッチを技術者に見せた。
技術者はそれを見て「なんだ…」と思いつつも、変な妄想と変な期待をしてしまった自分がちょっと恥ずかしかった。しかし、その肩のパッチは何を意味しているのだろうか?そして、そこまで解っていたのなら、この部屋でのこれまでの話って遠回しにしすぎなんじゃないか?と技術者は思ったのだが、憧れのスケアリーにそんなことは言わない。
そんなことを技術者が思っていると、スケアリーが彼の腕を掴んで言った。
「ちょっと来てくださるかしら?」
そう言いながらスケアリーが技術者を少し強引に部屋から連れ出そうとした。突然のことに少し戸惑った技術者だったが、それと同時にさっき萎みかかった変な妄想と変な期待がまた頭の中で盛り上がってきてしまった。「まさか、これって…!」と思って立ち上がると「ええ、大丈夫ですよ」と言いながらスケアリーについていった。
しばらくしてスケアリーはスキヤナーを始めとするFBLの偉い人達が集まっている部屋にいた。スキヤナーはある程度彼女に理解を示してはいるのだが、他の偉い人達はそうでもない。それに世の中不況でもあるしFBLも同様である。それで彼らとしても意味のない部署は整理しないといけないと思っていて、そういうことを考えた時に真っ先に彼らの頭に思い浮かぶのがペケファイル課なのである。なので、彼らとしてはペケファイル課の捜査官が何かをやらかしてくれると嬉しいし、それ故に彼らには常に疑り深い目を向けているのだ。
そんな中でスケアリーは多少緊張した面持ちで彼らの前に立ち、スライドで一枚の写真を表示させた。
「なかなか興味深いとは思いますがね。それはハッブル望遠鏡で撮影した写真か何かかね?」
偉い人の中の一人が写真を見て言った。確かに写真は赤とか青とかがゴチャゴチャした感じで、星雲とかの写真に見えなくもないが、それを見てそんな発言をするのはスケアリーを挑発しているとしか思えなかった。そうでなければ科学とかには全く興味がないまま今まで生きてきたのであろう。
「これは共焦点顕微鏡というもので撮影された写真ですのよ」
スケアリーはなるべく冷静に説明しようとしている。
「そして、ここにあるのはタンパク質のある位置の三次元画像ですの。この場合ですと牛痘のタンパク質構造の六番目という事になりますわ。それはつまり天然痘のワクチンの一種ということですのよ」
スケアリーが説明したのだが、スキヤナーにはなんのことかよく解っていなかった。それでも周りには偉い人が沢山いるので解ったような顔をしながら聞いていた。他の偉い人達も同様だったが、その中の一人はなんとなく理解していたようだった。
「それはどこで手に入れたんだね?」
「あたくしからですわ」
ここでスケアリーは何かをためらうような感情を微かにその顔に表したのだが、ここにいる人間がそこまで気付いていたかは解らない。いつも彼女を怒らせないようにしているモオルダアなら気付いたかも知れないが。それよりも今はスケアリーが知っていることを彼らに伝えなければいけないので躊躇している時間はない。
「あたくしの腕にある天然痘の予防接種の傷跡からサンプルを採ったんですの」
スケアリーは言ったが、ここにいる人達は特になんの反応も示さなかったので、彼女は先を続けることにした。どうしてこれを言うのをスケアリーがためらったのかというと、ある時期から日本では天然痘の予防接種は行われなくなったのである。なので、それがいつだか知っていると彼女の年齢が何歳以上か、ということが推測できてしまうのだが、そういうことはあまり知られたくないのがスケアリーの乙女心なのだ。
とにかく、ここにいる人間は全員天然痘の予防接種が義務だった時代の人達なので、そのことは少しも気にしていないようだ。スケアリーは少し気が楽になったようでもある。
「免疫組織化学と、そして六番目の牛痘ウィルスの抗体から、あたくしはこのタンパク質の位置を特定できたんですのよ。一つの決まったタンパク質のパターンですの」
スケアリーは上手く説明出来たと思ったのだが、ここにいた人達が黙って聞いていたのは、彼女の話が難しすぎて理解できていないからだったようだ。たまらずにスキヤナーが訪ねた。
「なんていうか、私らは科学者じゃないんでな。キミの言っているタンパク質がどうこう、っていうのが何のことだか。そりゃ私だって天然痘ぐらいは知っているんだが…」
「あたくしが言いたいのは、これは何かの符号だと言うことですのよ」
ここで話を中断してしまうと彼女の言いたいことが伝わらないと思ったので、スケアリーは極力解り易い表現で説明を始めた。しかし、そうすることによってなぜかそこに科学的根拠が何もないように聞こえて来たりするのが問題だった。
「これは生体に固有の目印だと思うんですの。あたくしが子供の頃に接種したワクチンと一緒に埋め込まれたに違いないですわ」
スケアリーは自分で言いながら、なんだかモオルダアの話みたいじゃありませんこと?と思ってしまった。それでも、彼女には科学的に説明出来る自信はある。
「なんでキミにそんなものが?」
ここで、さっきも写真の意味が解っていた一人が聞いた。こういう疑問はけっこうありがたいですわ、とスケアリーが思った。
「あたくしだけではございませんのよ。あたくし達全員ですのよ。恐らく過去60年かもう少し前から接種した方達なら全員ですわ」
「ムフフフ…!スケアリー捜査官。それはなんて言うか、モオルダア捜査官が言いそうな話だな。ウフフフフ…」
予想はしていたがやっぱり言われた。言ったのはさっきのハッブル望遠鏡の人だったが。どうやらこの人はここにいる中でも一番ペケファイル課を潰したがっている人のようだった。しかし、スケアリーはモオルダアと違って勘とかその場の雰囲気で発言する人間ではない。それなりの理由がなければ普通に聞いて怪しいと思うような話などしない。「だってそれが科学的ってことでございましょう?」ということだ。
「あたくしもそこは疑問に思いましたし、いまだに確信は持てませんのよ。ですけれど、あたくしと同じ処置を千堂捜査官にもしてもらったんですの」
いきなり千堂捜査官とか出てきたが、それはさっきから何度も登場しているFBLの技術者の名前である。これまでずっと名前が解らなかったのだが、彼の名は千堂麗流(センドウ・レル)というのだ。詳しくは後から登場人物の紹介に書き加えることにして、ここはやっと名前の付いたFBLの技術者に登場してもらう事になりそうである。
千堂捜査官が部屋に入ってきてスケアリーに写真を渡した。その前に書いておくと、さっきスケアリーが彼の腕を掴んで部屋を出て行ったのは、彼にこの処置をしてもらうためだったので、彼はまたしても変な期待と変な妄想を後悔していたのだった。でも少なくとも憧れのスケアリーと一緒に行動できて嬉しいのは確かだったが。
それはともかく、スケアリーがその写真をみなに見えるようにボードに貼り付けた。
「彼の組織から採取したタンパク質の位置もあたくしと同じになるはずですわね。ですけれど、これは少し違っているんですのよ。そして、それはあのデータの半角英数字に対応しているようなんですの。それはつまり…、厚労省にいたあの方達の」
こんなことが信じてもらえるかしら?とスケアリーは少し不安にもなっていた。そこでスキヤナーが口を挟んだ。ペケファイル課の二人の上司でもある彼なので、他の人よりも怪しい話には慣れている。
「つまり、我々は符号というか、印を付けられて、目録に登録されている、と。そういうことかね?…一体誰に?」
「それは、解りませんけれど、政府組織が関係しているに違いありませんわ」
「それにはどんな理由があると?」
話が怪しくなってくるといろんなところからツッコミが入ってくるようで、こんどは違う人から聞かれた。
「それも解りませんわ…。ですけれど、あたくしはジエイレマイ・ヤスミツ様こそがその答えを知っていると思うんですの」
スケアリーは言ったが、そんなことを言われてもここにいる人間は「はい、そうですか」と認めるわけにはいかない。誰もがどう反応していいか決めかねている時にスキヤナーが立ち上がった。
「スケアリー捜査官。少し二人で話がしたいのだがね」
スケアリーとしても直属の上司に言われたら従うしかない。スキヤナーの後に付いてスケアリーも隣の部屋に入った。スケアリーが隣の部屋に入るとスキヤナーはさっきいた部屋の様子を密かに確認しながらドアを閉めた。そして、スケアリーの方へ振り返って言った。
「キミは何をしているのか解っているのかね?なんていうか、我々は何が何だかワッカラナイって状態で…」
「あたくしは科学者ですのよ!」
スキヤナーが自分が説明したことをあまり理解していないようなのでスケアリーは少し激しい口調になっていた。
「あたくしが説明したことはペケファイルを科学的に分析した結果ですのよ。それこそがあたくしをペケファイル課に配属した理由じゃなくって?ヘンタイのモオルダア捜査官の仕事を科学の分野に持ち込んで解析するって、それがあたくしの役割だったんじゃありませんこと?」
それはそうだが、とスキヤナーは思っていた。
本当のことをいうと、書き始めた当初の "the Peke-Files" としては最初はそんな感じじゃなかったのだが、話が進むにつれて本物の方のパロディ要素が強くなってくるとスケアリーの役割というのはそういうことになってしまう。と、作者である私は思っていた。
スキヤナーはどう言い返せばいいのか考えてしまっていたのだが、そこでタイミング良くスケアリーの携帯が鳴り始めた。
「ちょっと失礼いたしますわ」
と言ってスケアリーは電話に出た。