「地上民」

06. 日本アルプスのふもと

 モオルダアとジエイレマイを乗せた車は平野から次第に起伏に富んだ道に入ってきて、近くにはそれほど高くはないが山らしい地形の場所が増えて来た。そしてその山らしい地形の向こうには本格的に高くそびえ立つ山が重厚な雰囲気を出している。霞んだ空気の向こうに見える水墨画で描いたような山脈が、ある種の威圧感をモオルダアに与えていた。

 というよりも、モオルダアはあの暗殺者がまだ生きているし、しかも自分たちが向かっている場所も恐らくバレているということで気が重くなっているのだった。そして、良くないことは続くものである。車からヘンな音がし始めたかと思うと急に速度が落ちて、何が何だか解らないうちに止まってしまった。

「ああ…」

運転していたジエイレマイがハンドルの向こうの計器を見ながら言った。

「どうしたんですか?」

「ガス欠みたいだが」

「みたいだが、って…。もっと早くに気付いてたらさっきの街で給油できたのに」

「まあ、私も運転に慣れているワケではないからなぁ…」

ジエイレマイがちょっと済まなそうに言うので、モオルダアもあんまり怒れなかった。というよりも、彼がいなければどうにもならないのだし、その前に彼がいなければ車も手に入らなかったのだ。

 彼らがどうやってこの車を「拝借」することができたのかというと、レンタカーの窓口でジエイレマイが例の「奇跡」というのを起こしてみんながビックリしている隙にモオルダアが車を見つけてきたとか、そういうことに違いないのだが。ガソリンがあまり入っていなかったのならそれはモオルダアの責任ということにもなってしまう。

 どうでも良いが、ガソリンのない車に乗っていても仕方がないので、二人は車から外に出た。外に出ると風に乗って緑のニオイが漂ってくる。都会暮らしをしていると、そういうニオイだけでもけっこう遠くに来たという気がする。しかし、この辺りにジエイレマイが言うようなスゴいものがあるとは思えなくなるようなニオイでもあった。

「あとどのくらいですか?」

「うーん…。20マイルぐらいかなぁ…」

モオルダアにはジエイレマイの返事の仕方が呑気な感じにも思えてしまったが、それよりも「マイル」で説明されてもモオルダアには距離がイメージ出来ない。しかし、1マイルが何キロなのか解らないのは格好悪いような気もしたので、モオルダアは知ったような感じで頷いていた。

 ちなみにGoogleで「20マイル」と検索すると「20マイル = 32.18688 キロメートル」と最初に表示される。これはモオルダアの予想していたよりもずっと長い。

「あの丘を越えていったらだいぶ近くなると思いますけどね」

ジエイレマイは少し離れた所にある小山を指さしていた。あのくらいの山なら越えられそうだし、しかもモオルダアの考えでは「だいぶ近くなる」とすると目的地までは5キロほどということになっていた。

「じゃあ行きましょう」

実際にはその倍以上はあるのだが。どっちにしろ道沿いを32.18688 キロメートル歩くよりはマシに違いない。だが、モオルダアがそこを本当に理解しているのかどうか、と考えるとジエイレマイはちょっと心配になっていた。

 二人は小山の方へ向かって歩き出した。

07. FBLビルディング

「ムフフフ…。そこに5じゃダメだろ。こっちがあれだからそこは3になるんじゃないか」

FBLビルディングのスキヤナー副長官のオフィスのドアを開けると、最初に彼の秘書が座っているデスクが目に入るのだが、スケアリーがドアを開けると、そこには秘書の横にスキヤナーがいて、秘書が暇つぶしにやっていた数独に横から口を出していた。秘書もスキヤナーもなんか楽しそうであった。

 スケアリーはこの部屋に入った瞬間から「何なんですの?」という状態で二人のことを見ていたが、自分がなぜここに来たのか思い出してスキヤナーに声をかけた。

「副長官」

「ああ、スケアリー君」

スケアリー君って何なんですの?とまたスケアリーが疑問に思ったのだが、スキヤナーとしては楽しそうに秘書と遊んでいたのがちょっと気まずかったに違いない。とにかく、そんなことには気付かれないように真面目な顔でスケアリーの方へと向き直った。

「あなたがあたくしをお捜しだと聞いたもので…」

「それなんだがね。キミとモオルダア捜査官が何か問題を起こしてないかね?」

スキヤナーは探るような目つきで話ながらスケアリーの前に来た。

「あたくし達は問題なくやっていますわ。ジエイレマイ・ヤスミツという方の行方を捜しているんですのよ」

「それで、キミは見つけたのかね?」

「まだですわ…」

スキヤナーは一体何が言いたいのかしら?とスケアリーは思っていた。今回は最初からジエイレマイが奇跡を起こしたり、首の付け根を刺されても何ともない暗殺者が出てきたので、スケアリーとしても迂闊にこれまでのことをスキヤナーに話すわけにはいかない。しかも、スキヤナーは何かを探るような目つきだ。

「キミの残したメモによると厚生労働省の関連機関にジエイレマイ・ヤスミツが五人もいるってことだね。全員同じ顔で、ワケが解らないよね」

そんなことを言われても、事実なんですから仕方ありませんわ!とスケアリーは思った。

「それで我々が彼のことを調べてみたんだがね。この三日間は彼ら五人とも欠勤しているようなんだな。彼の嫌疑についてキミ達は何か説明ができるのかね?」

ジエイレマイは容疑者ではないが彼が重要な人物だということはスケアリーも認めていた。それはモオルダアとは異なる理由からかも知れないが、彼、或いは彼らは保護されなければいけない人間に違いないし、それはなるべくならFBLの上の方の人間には知られたくない事でもあった。場合によっては目の前のスキヤナーでさえ信用できなくなるかも知れない。

「今のところ彼が容疑者であるとする理由は見つけられていませんけれど…」

「だが、我々が見つけたとしたら?」

難しい表情だったスキヤナーだが、ここでちょっと彼の瞳に得意げな光が差した気がした。

「それは、どういうことですの?!」

知っていることがあるのなら先に言ってくだされば良いんですのよ!ということでもあるのだが、スケアリーは意外な展開に少し気が抜けたような驚き方をしてしまった。


 彼らはスキヤナーが見つけたという何かを見るためにFBLの技術者のいる部屋を訪れた。その部屋ではスケアリーがいるとミョーに張り切る技術者が謎のデータに関する説明を始めた。

「五人の行方不明者のパソコンから問題のデータをダウンロードすることに成功したんですよ。そのどれからも大量のデータやファイルが見つかったんですが、どれも意味不明でした。同省庁の仕事のどの書類とも一致しないし。データは全部パスワードで保護されてます」

技術者は説明しながら問題のデータを見せる操作をしていたのだが、スケアリーとスキヤナーは彼が何をしているのかよく解っていない。

「それって、どのくらいの量なんですの?」

あんまり専門的な事になると話が解らなくなるのでスケアリーがとりあえず聞いてみた。

「10GBのハードディスクが7個満タンになるぐらいですよ」

技術者が言ったが、スケアリーは「それはあたくしの持っているパソコンのハードディスクよりもずっと少ない量ですわ」と思っていた。そんなスケアリーの反応を見た技術者はちょっと説明が足りなかったのかと思って付け加えた。

「テキストのデータで、ですよ」

そう言ってもスケアリーもスキヤナーもピンと来ないようで、それが多いのか少ないのか解っていないようだった。

「契約者の個人情報とか会計情報とかじゃないのか?」

よく解らないのでスキヤナーが適当に言葉を挟んだ。それはなんか違うと思ったのか、スケアリーが続けて聞いた。

「それって暗号化された文章かしら?」

二人が予想外に適当なことを言い始めたので技術者はちょっと慌ててきていた。

「いや、まあ。そうかも知れないですが、解読できなかったです」

技術者の操作するパソコンの画面に表示されているのは暗号文といえば暗号文という感じだったが、それよりもどこかで見たような気分になる何かがあった。これは乙女の第六感というよりも、彼女の経験と知識がそう思わせたに違いないが、スケアリーはそこに何かがあると思ったようだった。

「このデータの一部をコピーしてもらえないかしら?なんとか解決できそうな気がするんですのよ」

「マジっすか?」

スケアリーが思いもしなかったことを言ったので、技術者は正直な反応をしてしまって、その後でこれはあまり格好良くなかったと思って後悔した。(どっちにしろスケアリーは技術者のことを何とも思ってないのでどうでも良いのだが。)

「きっとできますわ。詳しい方がいるんですのよ」

「モオルダア捜査官か?」

スキヤナーが聞いたがスケアリーは「何でですの?!」と思って「違う」と答えた。

「どちらかというと、あたくしの専門分野の方ですわ」

そう言えばスキヤナーも納得すると思ったスケアリーは、そのままコピーを受け取って部屋を出て行った。