「地上民」

03.

 モオルダアはチョードキドキしていた。彼は今、暗殺者のすぐ後ろに隠れている。暗殺者の立ち止まった背後で橋の欄干の下に屈んで隠れているのである。そこは橋の一番端っこで橋の下もまだ陸地になっていて、そこに降りて隠れていたモオルダアの目線の先には立ち止まって辺りを見回す暗殺者の両足が見えているのである。

 モオルダアはそっと手を伸ばして、暗殺者のスーツのズボンの裾を指先でつまんだ。するとちょうどその時、川の少し先の方で物音がした。音のした方をみるとそこには金網を越えようとするジエイレマイの姿が見えた。それを見た暗殺者が走り出す瞬間、モオルダアはその瞬間にズボンの裾を握りしめて両手に力を込めた。そんなことをされたら、いくらムキムキといえどもつんのめって倒れてしまう。

 ただし、こんなことで暗殺者を止められるワケはない。ここからが重要なところなのだ。モオルダアは急いで欄干を飛び越して、うつぶせに倒れている暗殺者に覆い被さった。そして勢いよくあの「尖った物が飛び出す例の武器」を暗殺者の首の付け根に突き刺した。

 武器を持っているのと反対側の手は暗殺者の肩の辺りを抑えていたのだが、武器を突き刺した時に暗殺者の筋肉がガチガチに収縮したのが彼の手に感じられた。この武器の使い方はこれであっているのか。もしも間違っているのなら、こんなムキムキの暗殺者にどうやって立ち向かえば良いのか。そんなことを考えるとモオルダアは絶望しそうになったのだが、暗殺者はもだえ苦しみながら次第に力を失い、そして意識を失った。

 あまりの緊張と恐怖でモオルダアは自分が何をしていたのか解らないような状態だったが、これでひとまず安心。そう思ってモオルダアは暗殺者が落とした例の武器を拾い上げた。彼の持っていた方の武器は今暗殺者の背中に刺さっていて、刺さった部分からは緑色の液体が噴き出している。それは吹き出すと同時に気化している感じでブクブク言っている。一度使った武器は使い物にならないかも知れないので、これは取り替えた方が良いと言うことに違いない。それに、今後いつコレが必要になるかも解らないのだし。

 そしてモオルダアは川の方へと目をやった。そこではジエイレマイが川に停泊しているボートに乗り込んでいた。海に近いこの辺りでは、小さな釣り船や漁船が川沿いに何艘も係留してあった。モオルダアは川沿いの柵を乗り越えて、関係者以外が入ると怒られそうな通路を通ってジエイレマイに近づくしかなかった。ジエイレマイは手頃な海釣り用ボートを見つけるとエンジンをかけ始めていた。

「ちょっと!ジエイレマイさん!」

モオルダアが声をかけたが、ジエイレマイはそのままボートを動かし始めてしまった。

「ジエイレマイさん!待ってよ!」

と言っても待ってくれそうにない。

「ジエイレマイさん。ジ…エ…イ…レ…マ…イ…さ〜…ん…!」

モオルダアはなぜか低くくぐもった声をゆっくりと発音して、しかも自分の動きもゆっくりにしてジエイレマイを呼び止めた。動画をスローで再生した時の音声と映像を再現したら、もしかするとジエイレマイもゆっくり動いてくれるのではないか?と思ったのかどうか知らないが、そんなのがまったく意味がないと気づいたモオルダアはまた普通の速度で彼を呼び止めた。

「待ってよ、ジエイレマイさん!」

「ヤツだけじゃない。もっと沢山来るぞ」

「でも、一人で逃げるとか…ナシでしょ」

「そんなこと言ってもな、私は殺されそうなんだぞ!」

確かに、殺されそうになったら逃げるしかない。しかも相手がムキムキの暗殺者ということならなおさらである。

「助けて欲しいんですよ!」

それなのにモオルダアは助けて欲しいと言っている。その相手は殺されないように逃げようとしているのだが。

「母親が降板しそうなんですよ」

ジエイレマイは一度ボートを停止させた。停止といっても水上なのでボートは惰性で少しずつ前に進んでいたが。とにかくジエイレマイはヤレヤレ…という思いをその目に表してモオルダアの方を見ていた。


 そのころ、下流に近づいたのは良いが、そこからどこにも進めなくなってしまったスケアリーが車を降りてモオルダア達を探していた。モオルダアの名を呼びながら川の方へとやって来たスケアリーはその先でボートが動き出す音を聞いた。良く見るとジエイレマイが操縦するボートにモオルダアも乗っている。

「ちょいと、モオルダア!…モオルダア!一体何なんですの!?」

スケアリーは大きな声でボートの方に向かって言ったのだが、それは聞こえていないのか、或いは聞こえていても聞こえないフリをしているのか、彼らは無反応だった。そして、ボートは海の方へ向かって進んで見えなくなってしまった。

 「まったく、何なんですの!」とスケアリーが不機嫌な時の独り言を言いながら歩いて行くと、彼女は橋の向こう側に誰かが倒れているのを見つけた。「あら、いやだ」と思ってスケアリーがそこに近づいて行くと、それが例の暗殺者だと解った。首の付け根には尖った物が飛び出す棒状の武器が刺さっている。まさかモオルダアがこんなことをしたのだろうか?と思ってスケアリーは少し恐ろしい気がした。もしもこのムキムキの男が死んでいるのなら、そしてそれがモオルダアのしたことによるのだとしたら、FBLの捜査官としてはかなりの問題行為である。上手くいけば正当防衛という事にはできるが。

 スケアリーはまず倒れている男の首の横に手を当てて脈があるかどうかを確認してみた。正確な事は解らなかったが、心臓は動いていないか、ほぼ止まる寸前という事に違いない気がした。どちらにしろ、首の後ろにこんなものを刺されて、この男が元の状態になるのは難しいかも知れない。そう思ったスケアリーが今度は瞳孔を確認しようと、まぶたを上の方から引っ張って開けて見ようとした。「もう手遅れかも知れませんわね」と思いながら男の目を覗き込もうとした時だった。

 完全に不意を突かれたスケアリーは一瞬何が起きたのか解らないまま自分の首を掴んだ太い腕を両手で押さえていた。もう動かないと思っていた男が急に動き出して、その手でスケアリーの首を掴むとそのまま彼女の体を持ち上げたのである。

 さすがのスケアリーもコレには「何なんですの!?」と思うことも出来なかった。ほとんど息が出来ないばかりか、男が少し力を入れたら彼女の首がへし折られてしまうのではないか、という感じで、スケアリーが男の手を振りほどこうとしてもそれはビクともしなかった。

「ヤツらはどこへ行った?」

スケアリーの首を掴んだ男がそのままゆっくりと立ち上がりながらスケアリーに聞いた。

「し、知りませんわよ…」

首を締め上げられているスケアリーは声がほとんど出せない状態でなんとか答えた。

「知っているはずだ」

男は抑揚のない冷酷な声で言った。

「本当ですわ…。し、知らないんですのよ…」

男にそれが聞こえているのか解らなかったが、彼は首の後ろに刺さっている例の尖った物を自分で抜き取った。スケアリーはほとんど息が出来ず窒息しそうな状態だったのだが、それを見ながら「ちょいと、その尖った物で何をしようと言うんですの!?」と思って男の方を凝視していた。

 男はそのままスケアリーの方を睨み付けていたが、彼女が何も知らないと解ると彼女の首を掴んでいた手を放した。本当に知っていたら殺されないように行き先を教えていたに違いない、と思ったのだろう。そして、彼の携わっている計画の性質上、無闇に人を殺したりするのは避けるべき行為でもあるのだ。

 やっとのことで息が出来るようになったスケアリーは、まるで溺れているところを助けられた人のように、苦しそうにして息を吐くのか吸うのか解らないような感じでむせ返っていた。喉が詰まって声などほとんど出てこなかったのだが、良く聞くと苦しみながらも「な・ん・な・ん・で・す・の」と言っているようにも聞こえたが、それはどうでも良い。


 一方でジエイレマイとモオルダアはボードで川を更に下ると海に出て来た。ジエイレマイの操縦するボートがどこへ向かっているのか?とモオルダアが思っていると、ジエイレマイは少し進んだところで岸にボートを近づけた。海と言っても辺りは埋め立て地で、コンクリートの護岸のどこからでも容易に陸に上がることが出来るのだ。

 ボートを降りたモオルダアはこのまま母のいる病院へと向かうのだと思っていたが、ジエイレマイはそうしたくないようだった。

「彼らは私たちの行く場所を知っていて、そして待っているに決まってますよ」

ジエイレマイがそう言うと、大きな道を目指して先を進んでいたモオルダアが振り返った。

「彼らって?」

「あなたの言う政府の人間ってヤツですよ。まったく…。そんなことも解らないんですか?あなたのお母さんのところで待っているに違いないですよ。」

ジエイレマイはモオルダアがどうしてそんな事にも気づかないのか?とウンザリした様子だったが、モオルダアは夢中になると周りが見えなくなるどころか、全てのことを自分の都合の良いように解釈してしまう傾向があるのだ。

「そんなこと言っても、彼らには何も出来ないでしょ?後々辻褄が合わないような状況じゃ、そう簡単に危険を冒すわけないし」

「解ってないようですね。いずれにしろ私は消される。そうでないとしても降板ということになるだろうね。最後には辻褄が合うかどうかなんてことは取るに足らない事になるんだよ。大いなる計画のためならね」

「大いなる計画って?」

モオルダアは前回から時々登場するこういう意味ありげな言葉がなんなのかよく解っていない。だがジエイレマイやその他の重要な人物はモオルダアがそのことに気づいていると思っているらしい。

「入植計画のこと?!」

モオルダアは前回の話でこの言葉をミスター・ペケに言ったらちょっと動揺していたのを思い出したのだった。

「モオルダアさん。彼らの狙いは覇権ですよ。新しい種の」

「それって、何のこと?」

その前に「入植計画」とかも適当に言ったことだったので「新しい種」とか言われてもモオルダアには意味が解らなかった。

「私に説明させてください。そこに行けば解ります」

「でも、ボクの母が降板しそうなんですよ。あなたの力で回復させて退院させないと」

「今病院に行ったら私は消されて、あなたの努力は全て無駄になる。そんな結末なんですよ。もう…。それに私がいなくなったら誰があなたのお母さんを助けるんですか?」

ジエイレマイがモオルダアのわがままにはホトホトウンザリという感じで話していたのだが、モオルダアとしては、そこまでしなくても良いのに、という感じだった。しかし、ジエイレマイの言うことも正しいとも思える。

「良いですか。計画が実行される準備は着々と進んでいるんですよ。でも、もしかするとあなたがそれを止められるかも知れない。そういうことにも気付いてくださいよ、ホントに…」

モオルダアはそれはどういうことか?と思ったが、それはそれで面白そうだった。

「どうやって止めるって言うんですか?」

「私があなたをある場所に連れて行きます。そこで計画の準備が進んでいて、それにあなたの兄姉にも会えるんです」

「キョウダイ?」

口で言ったことなので「兄姉」という意味で言ったジエイレマイの言葉は半分しかモオルダアに伝わっていなかった。しかし、ペケファイル課で捜査を続けているうちに自分には「キョウダイ」がいることを父から伝えられたりしたこともあって、この「キョウダイ」という言葉はモオルダアの心を揺さぶるものであった。