「隠れ家」

8. 応接室

「これは私の両親ではありません」

写真を見るなりキモエはきっぱりと否定した。

「でもここに書かれている名前はあなたの両親のものですわよねえ?」

「そうですけど、これは何かの間違いに決まっています」

キモエはまったく知らない人間の遺体を見せられて「これは両親か?」と聞かれたことに苛立っていた。そして、父親との思い出を汚されたような気がして涙がこみ上げてくるのを必死にこらえていた。

「ということは、キモエさんの両親の死は曖昧なものになってしまうんだよねえ」

少し遠くでキモエの屋敷の青写真を見ながらモオルダアが言うと、キモエの心はついに折れてしまったようだ。

「曖昧な死なんてありません。私の父は死んだんです。私を一人残して死んでしまったんです。目も当てられぬ姿になって戻ってきたというのに。曖昧だなんて、そんな言い方はひどすぎます。あなた達はいったい…」

モオルダアの何気ない一言でキモエがこの二年間耐えてきたいろいろな事が一気に吹き出して来てしまったようだ。キモエは顔を伏せたまま声をあげて泣いている。スケアリーはモオルダアを睨みつけていたが、こんな事になるとは少しも思っていなかったモオルダアには何もできない。

 スケアリーはキモエの隣に座ると、キモエの肩に手を掛けて軽く自分の方へ抱き寄せた。

「良いんですのよ。どうしても拭い去れないつらい事もあるんですから。あなたはこれまでよく頑張って来ましたわ。でも、今あなたは事件に関わっているんですから、ここはもう少し強くなっていただかないといけませんわよ」

キモエはスケアリーの言うことを聞いていたのかどうか解らないが、今度はスケアリーの太股の上に顔を埋めて泣いていた。子供のように声をあげてなくキモエを見てモオルダアはなんだかここに居づらい感じになってきたので、手にしていた青写真を持って部屋を出ることにした。

9. ペケファイルの部屋

 なんだか全然ワケが解らないなあ、と思いながらモオルダアは机の上に拡げた屋敷の青写真を眺めていた。あの謎の男はこんなものをモオルダアに渡してどうしろというのだろうか。

 モオルダアはしばらくの間青写真を見ながら、自分がその屋敷に住むことを想像して楽しんでいた。名士達を招いてディナーをとるモオルダア。ウィットに富んだ会話で場をなごませるモオルダア。葉巻を吸うモオルダア。そんな優雅な生活の中でも事件が起きると秘密の扉を開けて地下の秘密基地に降りていくモオルダア。「これじゃあまるでバットマンだな」と思って、何となく虚しくなるモオルダア。

 ここでモオルダアは変な想像をやめて事件に集中することにした。こんな良く解らない謎を解こうとするよりも前に、現実に起こっていることを調べるのが先である。モオルダアは警察に電話をかけてマサシタと新米の警官がどうなったのかを聞いてみた。

 だいたい予想はできていたのだが、二人ともまだ見つかっていないということである。それから、これも予想できていたが、警察署にあった例の液体は「化学兵器処理班みたいな人たち」が来て押収していってしまったそうだ。

 結局何も解らない。モオルダアが腕組みをして考え込んでいるとペケファイルの部屋の扉が開いた。

「おい、モオルダア!何をやっているんだ!」

突然やって来たのはスキヤナー副長官だったが、今回はこれでもう三度目なのでモオルダアはあまり驚いていない。

「途方に暮れているんですよ。それより、あなたこそ何をやっているんですか?こんな夜遅くに、もう帰っているかと思いましたよ」

「私は出番がありそうな時にはちゃんとここで待機しているんだよ。それはどうでも良いけど、なんか変なのが来てるからキミに知らせに来たんだよ」

「変なの、って?」

「良く知らないけど、モオルダアに会わせろと言っているらしいぞ。今ビルの入り口のところに待たせてある」

なんだかスキヤナー副長官は受付係みたいな事をしている。そんな事を思いながらモオルダアは入り口のところへ向かった。


 そこには風呂敷を持ったフロシキ君がそわそわしながら待っていた。

「こんなところに人を待たせるなんてエフ・ビー・エルもたいしたことないな」

モオルダアを見るなり悪態をついているフロシキ君はビルの中の方をチラチラと見ていた。どうやらフロシキ君はFBLビルディングの中がどうなっているのか見てみたかったようだが、このビルも一応は一般の人間は立ち入り出来ないようになっているので簡単には入ることが出来ない。

「キミが来てくれたおかげで、ボクがローン・ガマンのアジトに行ったことの意味が出てくるってワケだな」

二人の会話は全然会話になっていない。しかし、フロシキ君もローン・ガマンも今回は意味もなく登場したのではないというところは確かなようだ。きっと何かを発見したに違いないのだ。

「アンタが喜びそうなものを持ってきたよ」

フロシキ君は人のことを「アンタ」と呼ぶタイプの人間のようだ。モオルダアはそう思っていたがそこには特に意味がない。

「やっぱりあれは霊的エネルギーが関わっていたということか?」

「そんなものよりもここにあるのはもっとリアルなものだぜ」

そう言ってフロシキ君は風呂敷の中からポリ袋を取り出した。食品を保存する時などに使う簡単に密閉できたり開けたり出来るあのポリ袋である。フロシキ君がそのポリ袋をモオルダアの前に持ってきて開くと、リアルな臭いがモオルダアの鼻を突いた。

「クサッ!臭いなあ、それ」

思わず鼻をつまんだモオルダアだったが、悪臭が今回の事件には良く登場していることを思い出した。警察署も臭かったし、FBLビルディングもモオルダアがいない間に臭くなっていたということだ。そして、その臭いの元は「化学兵器処理班みたいな人たち」が持ち去って行ったという事だから、それは重要なものに違いない。

「そんなものをどこで手に入れたんだ?」

「どうやら世間はエフ・ビー・エルよりもローン・ガマンに期待しているらしいぜ」

フロシキ君は何故か得意げである。

「怪しい人が現れてこれを置いていったっんだよ」

怪しい人というのはモオルダアからノートパソコンを奪っていった謎の男と同じ人物だろうか?

「その人って無表情だけど妙に威圧的な人じゃなかった?」

「そんなことはなかったけどねえ。フードを被って顔は良く解らなかったし、一言も喋らなかったぜ」

それじゃあ、あの謎の男とは別の人間に違いない。だいたい、あの謎の男がモオルダアではなくてローン・ガマンに重要なものを渡すワケがない。

「今ヌリカベのやつが詳しくこの物質を分析中だから、すぐに来てくれ。ヌリカベのやつはモオルダアさんじゃ理解できないだろうからスケアリーさんと一緒に来て欲しいって言ってたぜ」

ヌリカベ君がもう少し分かり易く説明してくれたら、自分にも理解できる!とモオルダアは思っていたが、フロシキ君にそれを言っても仕方がないので、何となくモヤモヤしてしまうだけだった。それよりも、今すぐにローン・ガマンのアジトへ行けるわけではない事を思い出した。あれからキモエはどうなったのだろうか?

「ボクらにもいろいろやることがあるから、キミは先に戻っていてくれないか。後で必ず行くから」

「それなら、オレは中で待っているけど」

フロシキ君はどうしてもFBLビルディングの中が気になるらしい。

「こんな重要な手掛かりを持っているオレは今では一般人ではなくて関係者という事だからね。中に入ってもいいだろ?」

「いやあ、キミはダメなんじゃないか?見た目が怪しすぎるから」

「どういうこと?」

「キミが中にいるときっと逮捕されるから、帰った方が良いよ。中が見たかったら今度内緒で入れてあげるから」

「約束だぞ!」

フロシキ君はモオルダアの前に右手の小指を差し出した。指切りをしようと言うのだろうが、モオルダアはフロシキ君と指切りをする気にはなれなかったので、人差し指で軽くフロシキ君の小指の先をたたいてごまかした。


 ペケファイルの部屋に戻るとスケアリーが待っていた。

「ちょいとモオルダア!どこに行ってらしたんですの?」

「ちょっと、来客でね。なんだか今回はボクの知らないところでいろいろと話が進んでいるからまいっちゃうよ、ところでキモエさんは?」

「あの方なら応接室にいますわよ。あれからいろいろ聞いてみたんですけれど、キモエさんは何も知らないみたいですわ。あれが演技だとしたら大したものですけれど。あなたもさっき見たでしょう?それと、キモエさんが先ほどは泣いたりして失礼しました、って言っていましたわよ」

それを聞いてモオルダアは少し安心した。何気なく言ったことで人を傷つけるのはモオルダアの得意とするところだが、そう言うことがあるとモオルダアもけっこう傷つくのだ。

「それから、今夜はキモエさんはあたくしの家に泊まることになりましたわ。あの家はちょっと危険な感じでございましょ?」

「それはそうだね。確かに危険だよ。交通事故の報告書と一緒にあの屋敷の青写真が入っていたんだから、きっとあの屋敷自体に何かがあるに違いないんだ。だけど、今夜は帰れそうにないよ」

「何でですの?あたくしはもう疲れたから帰ろうかと思っていたんですけど」

「でも、もう手に入らないと思っていた事件の証拠があるなら、帰って寝るわけにもいかないよ」

「あら、それはどういう事ですの」

疲れ切っていたスケアリーの瞳に輝きが戻ってきたような感じがした。