7. FBLビルディング
今回の液体人間事件(モオルダアはそう呼んでいる)の証拠品が全て何者かによって押収されてしまうと、もう化学兵器処理班みたいなことはどうでもよくなった、という感じでFBLビルディングはまたいつものけだるい落ち着きを取り戻していた。ペケファイルの二人に残されたものはモオルダアが手に入れた封筒の中にあるものだけである。
スケアリーはキモエと一緒に応接室にいる。このFBLビルディングにいる職員達はほとんどがエキストラなので夜になるとビルの中には人がほとんどいなくなり、どの部屋も使い放題なのである。それで、わざわざキモエを地下にある薄汚いペケファイルの部屋に入れるよりはきれいな応接室にいてもらおうということのようだ。(ペケファイルの二人の他に夜になってもFBLビルディングにいるのはスキヤナー副長官と時給を稼ぐために残っているバイトの技術者とかである。それからエキストラがどうのこうの、とかいう話はCAST参照。)
モオルダアは封筒の中のものを取り出しながら「これがスケアリーのノートパソコンよりも重要な手掛かりでありますように」と願っていた。先ほどキモエの屋敷の裏庭で何かに怯えるような感じだったスケアリーは、今のところノートパソコンの事は忘れているようだったが、すぐに思い出すに違いない。もしもこの封筒の中に重要な手掛かりが入っているのなら「あのパソコンはこれと引き替えに渡してしまった」とか、そんな事を言えばなんとかなるに違いないのだ。
「なんだこれ!?」
封筒の中身を取り出したモオルダアは落胆していた。一番上にあったのは、キモエの屋敷の青写真だった。始めはそれがなんだか解らなかったが、よく見てみると部屋の配置や階段の位置などが昼間に見て回ったキモエの屋敷と一緒であることが解った。しかし、こんなものを見せられても、もうすでにキモエの屋敷の中は十分に見て回ったので意味がない。
モオルダアは青写真をどけて次の書類に目を通した。それは二年前に起きた交通事故の報告書のようだった。モオルダアは、これはキモエの両親が巻き込まれた交通事故に違いないと思っていた。そうでなければ、こんな報告書に何かの意味を見いだすのは不可能だから。
モオルダアはさらに封筒の中に何か入っていないか確認してみたが、それ以外には何も入っていなかった。モオルダアは困っている。これではノートパソコンと引き替えにしたなんていう言い訳はどうしても通じそうにない。「ああ、どうしよう…」そう思ってモオルダアはドアの方に目をやった。そろそろスケアリーがノートパソコンの事を思い出してここへ向かって来ているに違いない。
モオルダアの予想どおりペケファイルの部屋のドアが勢いよく開いた。
「ちょいとモオルダア!あたくしのノートパソコンはどうしたんですの!」
謝るのか、ごまかすのか、モオルダアは心の中で葛藤していた。もし上手くごまかせたとしてもこのままではバレた時のスケアリーの怒りが倍増していくだけだ。謝ったとしても、この勢いではスケアリーの鉄拳制裁からは免れられそうにない。
「それよりもスケアリー。大変な事が解ったよ!」
モオルダアはごまかす方を選んだようだ。
「キモエさんの両親は生きているよ!」
何を根拠にそんなことをいうのか解らないが、スケアリーを驚かすのには十分な出任せだった。
「それって、どういう事ですの?」
理由を聞かれても出任せに根拠はない。一瞬戸惑ったモオルダアだったがとりあえず机の上にある交通事故の報告書をスケアリーに渡した。どんどん深みにはまっていくのが自分でも解っていたモオルダアだったが「これも人生さ」と意味もなくシブイ開き直り方をしていた。
「確かに、この報告書には不可解な点がありますわねえ」
スケアリーが思わぬ事を言ったのでモオルダアは「でしょ!?」と目を輝かせていた。
「これをキモエさんに確認していただいたら詳しいことが解るかも知れませんが、あの方は今回の事件でずいぶんとショックを受けていらっしゃいますから、どうしたものかしら?」
「そこを気にしていたらボクらの仕事は勤まらないぜ!」
「なんですの?その『だぜ!』って。ムカつきますわ!でもとりあえずキモエさんに確認してみないといけませんわね。ところでモオルダア。この報告書はどうやって手に入れたんですの?」
「それは、極秘のルートからだけど」
「それで、あたくしのノートパソコンはどうなったんですの?」
「それは…、極秘のところに…」
結局モオルダアは鉄拳制裁から逃れることは出来ないようだ。
モオルダアはちり紙で鼻血を抑えながらスケアリーの後について廊下を歩いていた。
「嘘なんかつくから、そんな目にあうんですのよ!」
スケアリーはまだ怒りが収まらないようではあったが、なんとかこらえてスタスタと歩いている。
「ホントの事を言ったってキミは…、まあいいか。それよりもその報告書のどこがおかしいんだ?」
スケアリーは立ち止まってモオルダアの方に振り向いた。また殴られると思ったモオルダアは怯えた目をスケアリーの方に向けて身構えた。
「あなたは、ただの出任せでキモエさんの両親が生きているなんて言ったんですの?まったくどういう神経をしているのかしら。おかしいのはこの写真ですのよ」
スケアリーは事故の報告書に添えられている遺体の写真をモオルダアに見せた。死体を見るのが恐いモオルダアだったが写真ならなんとか直視できる。それに、そこに写っていたのは青白いことを除けば生きている人間と変わらないきれいなものだった。
「とても交通事故で亡くなったとは思えないなあ」
「それだけじゃありませんのよ。あたくし、さっきキモエさんといろいろお話をしていたんですけれど、キモエさんが言うには事故で遺体の損傷がひどくて、二人の遺体はほとんど人間とは思えないような状態だったって事ですのよ。実際にキモエさんが見たわけではないそうですけど」
「それじゃあ、どこかに嘘があるということだね。キモエさんが嘘を言っているのか、その写真が嘘なのか、キモエさんに遺体の状況を伝えた人間が嘘をついたのか」
モオルダアは立ち止まったまま考え込んでしまっているが、スケアリーはこんなところで立ち止まっていても仕方がないと思いキモエさんのいる応接室へ向かおうとしていた。
「キモエさんの言うことを全部信じても良いものかなあ?」
モオルダアはスケアリーを引き止めるように聞いた。モオルダアのこの言葉にはスケアリーにも少し引っ掛かるところがあった。先ほどキモエの屋敷であの怪物に襲われた時の事が頭の中に甦ってくる。あの怪物はキモエを見てどこかへ行ってしまった。キモエはあれが絵から飛び出したなどと言っているが、本当は何かを知っているのに知らないフリをしているのだろうか。
あれは絵から飛び出して来たわけではない。しかし、実際に存在していてスケアリーに襲いかかってきたのだ。それとも、あれは怪物でもなんでもなくて、スケアリーの恐怖心が彼女に錯覚を起こさせただけかも知れない。スケアリーはまだあの怪物の事をモオルダアに話していない。少なくとも、あれが何か解るまで「あの怪物に襲われた」なんていう途方もない話をモオルダアにはしたくなかったのだ。
「誰が嘘をついているにしても、とにかくこの写真をキモエさんに見せてみないと何も始まりませんわ」
確かにそのとおりなので、モオルダアはまた歩き出したスケアリーを追いかけた。