「隠れ家」

10. ローン・ガマンのアジト

 ローン・ガマンのアジトには正式メンバーのヌリカベ君とその他の二人と、ペケファイルの二人が集まっていた。全員防毒マスクをつけているのでモゴモゴと喋っている。

「一体この臭いはなんなんですの?」

防毒マスク越しにスケアリーが聞いた。今のところ臭いの元は密封されていて、この部屋に悪臭は漂っていないのだが、いつ何時あの臭いが漏れてくるか解らないと言うことで全員防毒マスクをつけているのだ。

「突然変異したバクテリアが人間の皮膚を少しずつ分解している時に発生する臭いだと思います」

憧れのスケアリーに聞かれたのでヌリカベ君はいつもよりも多めに喋っている。

「突然変異する前には普通のバクテリアだったってこと?」

「普通のバクテリアという種類はありません」

モオルダアの質問だとヌリカベ君はいつものように答える。

「バクテリアといえばあたくしは事件現場で採取した液体におかしなものを見つけたんですのよ。あの液体が人間が溶けて出来たものだとしたら、バクテリアが見つかってもおかしな事ではないんですけれど、人間の体内にいるようなバクテリアとは思えない特徴がありましたわ」

「それが、つまり突然変異したバクテリアってこと?」

モオルダアは自分にも少しは解るということを知ってもらいたくていちいち口を挟んでくるが、あまり意味がない。

「変異するのは人間の皮膚に触れて何時間か経ってからなんですよ。だから時間が経つとその皮膚は少しずつ溶けだして、凄く臭くなるんです。もしかすると、スケアリーさんが見つけたそれが突然変異する前の状態かも知れません。元の状態では皮膚を溶かすような性質はないのですが、変異してから皮膚を分解し始めるんです。ボクらが手に入れた皮膚にも始めは元の状態のバクテリアが見つかったんですが、性質が変わるなんて気付かなかったんで、サンプルはとってないんです」

今度は少し長すぎなのでヌリカベ君の代わりに元部長が説明した。

「そんなものはなくて良かったのかも知れないぜ。あれは絶対に人間を瞬時に溶かしてしまう強力な化学兵器に違いないんだから」

せっかくなのでフロシキ君も話しに加わった。

 この時すでにモオルダアの頭の中では変な想像が始まっていた。そしてそれは証明できないいくつもの事柄を除けば完璧な理論であった。

「人間を溶かすのは人間を殺すことが目的ではないと思うけどね。仮に、人間とは似てもにつかぬ何かが地球にやってきて人間の中に紛れ込もうとしたとするでしょ。そう言う時に彼らは体の色や形を変えて人間になりすますのかなあ?それは違うと思うよね。いくらなんでも、それは現実的じゃない。そうじゃないとしたら、どうやって人間の姿に化けるのかということだけど、それは意外と簡単なことなんだよ。ヤツらは自らの体に人間の皮膚を被って人間になりすますんだ。それで彼らには人間の皮が必要になるから、特殊なバクテリアを使って人間の体の内側だけを溶かして皮膚を手に入れるんだ。それでも、しばらく経つと皮も溶け出すのは、まだ彼らの技術も完璧ではないということだと思うけど。もしかすると今回はそのバクテリアの試験の段階なのかも知れないしね」

得意げに話したモオルダアであったが、誰もモオルダアの話を最後まで聞いていなかった。始めからモオルダアの言うことを聞く気のなかったスケアリーが別の質問をしたので話がそちらに移っていたようだ。

「ホントにそれが新種のバクテリアで人間を溶かすことがあるのなら一大事ですわ」

「それはそうですけど、このバクテリアは人間の体内に侵入することがほとんどないからそれほど危険ではないんです。それに皮膚に付着すると性質が変わってしまい、少しは皮膚を分解しますが、それが致命的になる前に変異したバクテリアは死滅してしまうんです。もし体内に入ったとしても変異しているために体内の組織を分解することはないんです。でも悪臭は問題ですけどね」

元部長はあたかも自分が調べたことのように言っているが、これは全部ヌリカベ君から聞いたことである。

「でも人間が溶解して出来たと思われる液体が短い間に二度も発見されたんですのよ。それに二人の人間が行方不明ですわ。これはどうやって説明したらいいんですの?もしかしてそのバクテリアがまた別の性質に変異したということがあってもおかしくありませんわ」

「誰かが直接人間の体内にバクテリアを注入したんだと思うけどね。どんな理由であれ、その必要のある誰かがそれを実行したんだよ。それに今回の事件で行方不明なのは四人だよ。キモエさんの両親のことはまだ確認できてないんだからね」

今度は自分の推理にうっとりすることなく最後まで皆が話を聞いていることを確認しながらモオルダアは言った。

「それじゃああなたはキモエさんの両親がまだ生きていて、この騒動に関わっているとおっしゃるの?」

「生きているかどうかは別として、誰にも予期できないような誰かが関わっているような気はするよね。だいたいそのバクテリア付きの人間の皮膚をここへ持ってきたのは誰なんだ?」

モオルダアの言うことは先ほどの地球外生物の話よりはまともなのでみんなもまともに反応している。

「あれは幽霊みたいに気味の悪いやつだったぜ。顔はフードに隠れててほとんど見えなかったけど、妙に目がギラギラしてて。それでいて一言も喋らずにオレにそれを手渡すとそのまま煙のようにいなくなっちまったんだから」

煙のように、とはフロシキ君の大げさな言い回しである。本当は気の小さいフロシキ君は、その誰かの不気味さにしばらく唖然としていたので、去っていくところまでは覚えていなかっただけだが。

 幽霊みたい、と聞いてモオルダアはまた「エクトプラズム」を持ち出してきたくなったが、もうそろそろ「それはないなあ」という感じがしていたので我慢した。スケアリーは今回の事件で幽霊みたいなものには敏感に反応してしまう。キモエの屋敷の印象とか、そういうもののせいでもあるが、なによりもキモエの屋敷で遭遇した得体の知れない何かの姿が鮮明に彼女の頭に甦ってきてしまうのだ。あの怪物の目もギラギラしていた。それからキモエの屋敷の部屋に飾ってあったあの絵に描かれた怪物の目もギラギラしていた。全ての終わりを知らせているかのようなあの目。出来ればもう二度と見たくないものであった。

「話が済んだのならもう行きますわよ、モオルダア」

「あれ、もう帰るの?せっかく盛り上がってきたのに」

と言っても、スケアリーはすでに玄関へ向かって歩いていた。モオルダアは一度振り返ってローン・ガマンの正式メンバーとその他の二人に黙って手を振ってからアジトを後にした。


 モオルダアが玄関を出るとスケアリーはもうすでに自分の車の近くまで歩いていた。

「ちょっと、今日はなんだか変だけど大丈夫なの?」

小走りにスケアリーを追いかけてきたモオルダアが聞いた。

「大丈夫に決まっているでしょ。朝早くから起こされて変な事件の捜査をさせられて、大事なパソコンをなくして、最後には変な話を聞かされて。全然大丈夫ですわよ!ですからあなたはまた鼻血を出したくなければ一人で歩いて帰りなさい」

なんだか猛烈に怒っている。モオルダアにはどうしてスケアリーがこんなに怒っているのか良く解らなかったが、これではどう考えてもスケアリーの車で送ってもらうのは無理なような気がしたので、車に乗るのはあきらめた。


 スケアリーは車を発進させると、何ブロックか進んで、何度か角を曲がってそこでなぜか泣きそうになって車を止めた。そしてそのままうつむいて黙っていた。