11. FBLビルディング
応接室ではキモエが毛布にくるまってソファのうえで仮眠をとっていた。夜になってほとんど人のいないFBLビルディングの中ではあるが、一人で屋敷にいるよりは安心なのであろう。それにスケアリーはすぐに帰ってくるはずだから、その後はスケアリーの家へ行ってゆっくり休めるはずだ。
普段は屋敷に閉じこもって絵の勉強をしている「自称(女)ニート」の彼女にとって、今日は一日が長く感じられた。半分だけ目を開けて時計を見るともう深夜になっていた。スケアリーが帰ってくるまでは寝ないで待っていようと思っていたキモエだったが、目をつむるといつの間にか眠りに落ちていた。
浅い眠りの中でキモエは夢を見ていた。こんなふうに神経の高ぶっている時には普通の夢を見ることはあまりない。
広くて暗い場所にキモエは一人でたたずんでいた。始めから彼女は一人でそこにいたのだが、彼女は自分だけがそこに取り残されていることを知っている。どこに行くことも出来ず、不安な気持ちのままそこに一人でいなければいけないことは解っていた。辺りは真っ暗で何もない。
キモエは遠くから何かが近づいてくるのに気付いた。まだ視界には何もないのだがキモエにはそれが何であるかは解った。それはキモエの屋敷に飾ってあるあの怪物の絵にそっくりなのだが、それは絵に書かれた怪物とは違うものだ。
そう思ったとき、その怪物はいつの間にかキモエのすぐ近くまで近づいてきていた。「これは私の味方じゃない」と思ったキモエは恐ろしくなり逃げだそうとしていたのだが、足が棒のようになって動くことが出来ない。怪物はもうすでにキモエの前にやって来て鋭いかぎ爪でキモエにつかみかかって来るところだった。かぎ爪が目の前に迫って来た時、キモエは自分を呼ぶ父親の声を聞いて目を覚ました。
「キモエさん、起こしてしまってすいません」
応接室には一人の男が入って来ていた。キモエが夢の中で父の声だと思ったのは、この男が彼女を呼んだ声だったようだ。
「私はエフ・ビー・エルのイチクラです。あなたを安全な場所までお送りするためにやって来ました」
このイチクラと名乗る男は付け髭をつけて変装しているクライチ君である。これで変装とはひどいものだが、キモエはクライチ君の顔をハッキリとは見たことがないので気付いていない。
「でも、ここにはスケアリーさんがやって来るはずですが」
「ん!?ああ、そうでしたね。でも彼女は今夜は忙しくなるということですから、私が代わりにやって来たのです。さあ、急がないといけませんよ。ここだって安全とはいえませんからねえ。さあ、急いで」
変装したクライチ君は少し強引な感じでキモエの手を引いて起きあがらせた。キモエは少し心配だったが、ここへやってこられるということはエフ・ビー・エルの職員には違いないのだし、大丈夫だろうと思って変装したクライチ君についていくことにした。
12. 車中
そのころ、まだローン・ガマンのアジトの付近をトボトボと歩いていたモオルダアのところへ一台の車が近づいてきた。車はモオルダアのすぐ横に停止してモオルダアを驚かせた。別に驚くようなことでもなかったのだが、モオルダアは事件についてあれこれと推理のような妄想を頭の中で展開させていたので些細なことでも驚いてしまうようだ。
車の窓が開くと中からスケアリーが顔を出した。
「乗せていってあげてもいいんですのよ、モオルダア」
妙にスッキリした表情のスケアリーを見てモオルダアは不思議に思っていたが、これなら殴られることもなさそうだし、なによりも、このまま歩いていたのでは時間の浪費である。モオルダアはスケアリーの車に乗り込んだ。
「あなたはキモエさんのお父様がどうしてあの絵を描いたのだと思います?」
運転しながらスケアリーが聞いた。「あの絵」と聞いてモオルダアにはそれがあの怪物を描いた絵であることがすぐにわかった。
「さあねえ。あの絵が他の絵と違うのは、もしかすると作風を変えた後の一枚目だったからかも知れないしね。あれが最後の作品ということだから、今でも絵を描き続けていたとしたらあの家には恐ろしい絵が沢山飾られていたのかも知れないけどね」
モオルダアにしてはまともな意見にスケアリーは少し物足りない気がした。
「あの絵には何か特別な意味があるように思えるんですのよ。もちろん、あの怪物が絵から飛び出すなんてことはあり得ませんけれど。でもあの絵の印象が強烈で後で何かに襲われた時に、それがあの怪物に襲われているような錯覚に陥るということは考えられますでしょ?」
「ボクは危険な状況になるといつも君に怒られているような感覚になるけどね」
「ちょいと!真面目に聞かないのならどうなっても知りませんわよ!」
スケアリーが静かに話していたのでつい油断して冗談を言ってしまったモオルダアはやっと真面目になった。それと同時にやっとスケアリーの言っている意味を理解したような気がした。
「それって、キミが誰かに襲われたってこと?」
「誰かじゃなくて、何かですわ。でもあたくしはずっとあの絵の怪物に襲われたと思いこんでいたんですけど。でもそんなことはあり得ませんでしょ?あたくしはあのお屋敷に入ってあの絵を見た時からずっと不気味な気持ちでいましたから、だからとっさの出来事に錯覚を起こしたに違いありませんのよ。あたくしを襲ったのは大きなイヌとか、どこかから逃げ出した肉食動物とかそういうものだと思うんですのよ」
スケアリーはどうしても自分を襲ったのが得体の知れない怪物だということは認めたくないようだ。
「でも、そうだとするとまた話がややこしくなってくるけどねえ。謎の液体に行方不明の二人。それから写らないカメラとかバクテリアとか。それからキモエさんの両親のこともあるけど。そこに大きなイヌとか逃げ出した肉食動物まで出てきてしまうと話を一つの線で繋げるのは一苦労だよ」
「別に一つの線でつながらなくても、全てに納得のいく説明が出来れば良いことでございましょ?」
「ただしね、キミがあの絵の動物に襲われたとしたら、上手いこと話がつながるような気もするんだけどね。だって、あの絵の怪物は皮膚がなかったでしょ?」
スケアリーはブレーキをかけて車を止めた。モオルダアの話にゾッとしてはいたが、車を止めたのは目的地に着いたからであった。
「つきましたわ」
「あれ?ここはどこだ?」
てっきりFBLビルディングに向かっていると思ったモオルダアだったが、ここは違う場所のようだ。よく見ると窓の外にはキモエの屋敷の塀が見える。