13. もう一つの車中
薄暗い狭い道でスピードを出して走っている車の中でキモエは怯えていた。運転しているのは付け髭をつけたクライチ君だ。
「本当にこの道で良いんですか?」
後部座席から身を乗り出してキモエが聞いた。
「ダイジョブっすよ。あなたに危害が加わるとこっちも面倒な感じですしね」
クライチ君の言うことを聞いてキモエはさらに不安になっていた。
その時クライチ君がバックミラーにこちらを追いかけてくる物影を発見した。
「マジっすか?もうっすか!?」
意味の解らない独り言を言ってクライチ君は車をさらに加速させた。クライチ君の様子を見てキモエも振り返って車の後ろを確認した。
それは猛スピードで走る車にどんどん近づいて来てすぐにそれが何か解るぐらいの距離まで近づいてきた。あの怪物がこの車を追いかけてきているのである。獲物を追いかける肉食動物のように四本足で走っている。キモエは近づいてくる怪物を目を凝らして見つめていた。そしてそれが車に飛びかかって来る瞬間にキモエはその怪物と目を合わせた。その時キモエは何かに気付いてハッとした。
車に飛びかかって来た怪物の足が後方のトランクの上に乗った時、クライチ君は急ブレーキをかけた。怪物はそのままの勢いで車の前方に投げ出されたが、地面にたたきつきられる直前に体勢を立て直して、見事に着地した。今度は前方からこちらに向かって突進してこようと身構えている。
クライチ君は素早く車を降りて怪物に相対していた。手には球状のものが握られている。クライチ君は怪物から注意をそらさないように、辺りを見回すと、すぐ近くにこの道路と垂直に交わる路地を見つけた。
クライチ君が持っていた球状のものを怪物の方にかざすと、怪物はクライチ君目がけて突進してきた。それを見たクライチ君は怪物との距離が半分ぐらいに縮まったところで持っていた球状のものを路地に向かって投げた。それを見た怪物はスリップしながら向きを変えて勢いよく路地を転がる球を追いかけていった。
クライチ君はホッとして車に戻ってきた。
「あれは一体何なんですか?」
何が起きたのか理解できていないキモエが聞いた。
「なんて言うか、マタタビボールっすよ」
なんの説明にもなっていないが、クライチ君はここで緊張の糸が切れたのか、思わず付け髭をとってしまった。
「あっ、あなたは!」
キモエはようやく自分が騙されて連れ出されたことに気付いた。
「あっ、やべぇ!」
クライチ君は慌てて車内のドアの全てにロックをかけた。もう少しのところでキモエはドアを開けて逃げ出せたのだが、クライチ君の方が少しだけついていたようだ。
車が走り出してもキモエはなんとか外に出ようと車のドアのレバーをいじっていたのだが、開けることは出来なかった。開いたとしてもこのスピードで走る車から降りることは無理だったに違いない。
「心配ないですよ。家まで安全に送ってあげるだけですから」
そんなことは信じられないが、キモエはあきらめておとなしく後部座席に落ち着くことにした。「きっとまたあの絵が助けてくれるに違いない」と、そう信じながら。
14. キモエの屋敷
モオルダアは塀をよじ登って裏庭に侵入しようとしたが、やっぱり今回も塀の上でバランスを崩してみっともない感じで庭に落ちてきた。起きあがったモオルダアの前にはスケアリーがいた。
「あれ?いつの間に入ってたんだ?」
「あなたこそ、どうして表の門から入ってこないんですの?あたくしはただ用心のために車を裏に止めただけなんですけど」
「まあ、それはどうでも良いことだよ。それよりも、ここへ来たのはやっぱりキミもあの青写真が気になっているからだろ?」
「違いますわよ。あなたと一緒にここへ来れば、あたくしを襲ったあの何かが今度はあなたを襲うんじゃないかと思って、そうすればあたくしはあれが何だったのか確認できますでしょ」
どうやらモオルダアはおとりとして連れてこられたみたいだ。どうしてスケアリーは自分ではなくモオルダアが襲われると確信しているのか解らないが。
「なんだか言ってることの意味が良く解らないけど。でもせっかくここに来たんだからボクはボクの調べたいことを調べるよ」
モオルダアは屋敷の周りを歩いてどこかに中に侵入できる場所はないかと探していた。歩きながら窓を見つけるとモオルダアはその窓が開くかどうか確かめていたが、それらは全て閉まっていた。灯りを消した屋敷の中は外からはほとんど見ることが出来ない。モオルダアの後ろで窓の中を覗いていたスケアリーは、そのむこうの闇の中にあの怪物が潜んでいるのではないかと思うと手に汗がにじんでくるのを感じていた。
「モオルダア、やっぱりこういうことは朝になってからいたしませんこと?」
「そんなことを言っても、ここへ連れてきたのはキミの方じゃないか」
「あたくしはお屋敷の中に入ろうなんてことは思っていませんでしたわよ。ここに居るだけであれは必ず現れると思っていますから。それに、あんな真っ暗な中で何かがあなたを襲ったとしてもあたくしはあなたを助けることが出来ないですわよ」
「そうかも知れないけど、もしもお腹を空かせた猛獣がいるとしたら、ボクらはすでに襲われていると思うけどね」
鍵の掛かった窓をガタガタとゆらしながらモオルダアが言っている。何かに気付くと子供みたいに夢中になるモオルダアを、いつもなら「勝手にしなさい」という感じで放っておくスケアリーであったが、この場所で一人になることは危険であると思っていた。
「そんなにお屋敷の中を調べたいのなら、そうすれば良いんですわ。こっちに来なさい」
スケアリーはモオルダアを連れて勝手口まで来た。ここを通ったのはスケアリーとキモエが最後なので、誰かが鍵を掛けない限り中に入れるはずである。
勝手口の扉を開けるとモオルダアはモデルガンと小さな懐中電灯を取り出して中に入っていった。
「いい加減にオモチャの銃はやめたらどうなんですの?」
スケアリーはモオルダアの後から本物の銃と懐中電灯を構えて入ってきた。そして自分の手にしている銃を見ながらスケアリーは忘れていたことを思い出した。
「あらいやだ。モオルダア、あたくし何でこんなことに気付かなかったのかしら」
こんなふうに自分の誤りを認めるスケアリーはめずらしい。
「この扉の外にあたくしを襲った何かの足跡があるはずですわ」
モオルダアは屋敷に侵入して気分が盛り上がっていたところに水を差された感じだったが、スケアリーと一緒に再び庭に戻った。
「おかしいですわ」
スケアリーは自分が襲われた辺りから、怪物が逃げていった塀の方まで懐中電灯で照らしていったが、そこに足跡はなかった。
「誰かが故意に消したとしか思えないね」
モオルダアの言うとおり、スケアリーが照らしている場所には人間が靴で地面をならした跡があった。
「どういうことですの?」
地面を見ながら、スケアリーはほとんど独り言のように聞いた。
「何かの存在を隠したがっている誰かがいるってことだよ」
モオルダアも地面を見ながら、ほとんど独り言のように答えた。
優秀な捜査官になりきっているモオルダアは暗い屋敷の中を怖がることもなく進んでいく。彼は各部屋の扉を開けて中を調べていた。スケアリーはモオルダアが部屋の扉を開けるたびに何かが飛び出して来るのではないかとヒヤヒヤしながら銃を構えるのだったが、屋敷の中はいたって静かである。
「ちょいとモオルダア、一体何を探しているというんですの?」
いちいちヒヤヒヤするのが面倒になったスケアリーが聞いてみた。
「ボクの推理が正しければこの家には隠された部屋があるはずなんだよ」
その隠された部屋というのは、さっきモオルダアの妄想の中に登場した地下の秘密基地のことだろうか。
「そんなことはあなたの持っている青写真を見れば解ること何じゃございませんの?」
「そうなんだけどね。あれは部屋に置いて来ちゃったし…。あれ?そういえばキモエさんはどうなったんだ?」
「あらいやだ、あたくしったら…」
キモエのことをすっかり忘れていたスケアリーは慌てて外に出ようと屋敷の廊下を後戻りし始めた。するとその時、屋敷の外に大勢の人間が入ってくる気配を感じて二人は廊下の窓の横に身を潜めた。
窓からそっと外の様子をうかがうと、庭にはライフルのような物を持った人が大勢やって来てそれぞれ決められた配置へと迅速に移動していくようだった。これは先ほどのインチキ臭い「化学兵器処理班みたいな人たち」とは違う訓練された本物の特殊部隊のようだった。何の特殊部隊かは解らないが本物である。
配置についた特殊部隊はそれぞれ物影に隠れているので、庭は再び先程までの静寂を取り戻したように見える。そこへ一台の車が門から庭の中へと入ってきた。車が止まると運転席から降りてきたのはクライチ君だった。クライチ君は片手に銃を持って後部座席の扉を開けた。そして銃を車の中に向けて何かの指示をすると中からキモエが出てきた。クライチ君はキモエの背中に銃を突きつけて庭の中の方へと歩いて来た。
「どういたしましょう。あたくしがうっかりしていたせいでキモエさんが大変な事になっていますわ」
そう言ったもののこの状況で二人には外の様子をうかがう以外に出来ることはなかった。何かをしようとしたところで、次に起こったことはほんの僅かの間に方がついてしまったので何も出来ることはなかった。
モオルダアとスケアリーの頭上から幽かにドシンという音が聞こえてきた。音の大きさから判断するとそれは二階ではなく、さらにその上の屋根の上から聞こえてくる音のようだった。二人が「何だろう?(何かしら?)」と思う間もなく、屋根の上から何かが落ちてきて二人が覗いている窓の外に着地した。
モオルダアはこれを見て驚きの悲鳴とともにひっくり返ってしまうところだったが、彼が目の前に落ちてきた物を確認するよりも先に、それはキモエのいる方へと突進していった。
「あああぁ…」
モオルダアが何かを言おうとしたが言葉になっていない。スケアリーも心の中では同じ感じだったに違いない。勝手口の外でスケアリーを襲った何かの姿は錯覚でも幻覚でもなく、スケアリーの見たそのままの姿であることが今確認できたのだ。
キモエはクライチ君から離れようと掴まれている腕を必死に振りほどこうとしていたが、無駄な抵抗だったようだ。クライチ君は怪物が自分の方へ向かって来るのにもかかわらず平然と暴れるキモエを押さえつけている。
怪物とクライチ君達の距離が縮まっていくと再びモオルダアの「あああぁ…」という声が漏れた。するとその時、物影に隠れていた特殊部隊が一斉に飛び出してきて怪物に向かって発砲した。
何発もの弾が命中したはずだが怪物は痛がるだけでなかなか倒れない。もしかするとそれは麻酔銃のような物だったのかも知れない。しばらくの間、同じところで狂ったようにもがいていた怪物は次第に動きを鈍らせると最後には動かなくなってしまった。
するとそこへワンボックスカーが門を通って入って来た。中からは「化学兵器処理班みたいな人たち」と同じような格好をした人間が数名降りてきて怪物の周りを囲んだ。彼らは怪物の体を調べていたがすぐに怪物の体を持ち上げてワンボックスカーの荷台に押し込んだ。ワンボックスカーはすぐに外へ走っていった。
「モオルダア!どうするんですの」
頭の中はまだ「あああぁ…」という言葉で埋め尽くされていたモオルダアだったが、スケアリーの言葉に少しだけ我に返ることが出来た。スケアリーが「どうするんですの」と言ったのは、何かの特殊部隊が屋敷の中へ入って来ようと玄関を開けているのに気付いたからである。
「アワワワワ!これは大変な事になったよ!」
「そんな事は解っていますわよ!」
大変な事になった時にどうすれば良いのか。二人があんなすごい物を目撃してしたと知れたら、彼らに何をされるか解らない。大変な事になった時には逃げるしかない。
二人は慌てて勝手口から外に出た。そこにはまだ何かの特殊部隊の姿はなかったが、遠くからこちらへライフルを持って走ってくる数名の足音が聞こえていた。スケアリーは「なんだかデジャヴみたいですわ」と一瞬変な事を考えてから、塀の方へ向かおうとするモオルダアを引き留めた。
「こちらですわ!」
スケアリーはモオルダアの手を引いて先ほどの秘密の隠れ家へと向かった。