「多利佐久美」

まえがき

 シーズン終盤恒例ということで今回は本物の方の「the X-Files」とよく似た話が語られます。まだ本物の方を見ていなくてネタバレが気になる方は、注意が必要です。

01. 都内、国道沿いのファミレス

 都心というほどでもないし、田舎というほどでもない、東京の街と街の間にあるファミレスにはいつものランチタイムを迎えて次第に人が集まり始めていた。景気が良いとか悪いとかに関係なく、こういう場所にくる人間は、一緒に座った同僚などと世間に対する一通りの不平不満を語ったりするのものだが、それでいて彼らが不幸かというとそうでもなかった。食事で満腹になったらそれである程度満足して、最後には昨日テレビで見たドラマの話や、嫌いな上司の頭髪に関する話をして盛り上がったりして、またいつもの生活に戻っていくのである。不幸ではないという意味で彼らは幸せなのかも知れない。

 しかし、そんな人々の中で明らかに違和感のあるその男だけは違っていた。彼は不幸で悲しく孤独で、そしてその心はどうにもならない怒りに満ちていた。そういう穏やかでない感情が爆発する予兆なのか、先程から男は一人で話していた。つぶやくというほど静かではなく、誰かに語りかけるというほどの声でもなかったが、それを人に聞かせたいのはよく解った。そして、周りにいる客達も次第にその声に気づき、客の中に面倒な人間が混じっている事に顔をしかめていた。

「…そうなんだよ。ヤツらはオレのことをまともに扱ってくれないんだよ。こんなに頑張ってるのに『良くやってくれた』って褒められることすらないんだ」

話ながら、男は次第に興奮してきているようだった。始めは「そんなことは知ったことではない」と思って聞こえないふりをしていた客達だったが、中には危険を感じて席を立って彼から離れる者もいた。男の言うとおり、彼は理解されていなかった。それは職場の人間からだけではなく、彼の家族も友人も。誰も彼のことを正当に評価していないと思っていた。自分はこんな負け犬の人生を送る人間ではないし、そういうことを世間に知らせなければいけないのだ。

 男の怒りは頂点に達して、それと同時にその計画を実行に移す時が来た。それをやれば何かが良くなるとは思っていないが、彼をこんな状態にした何かへの復讐になるとは思っていた。しかし、そんなことをしたところで彼は余計に不幸になるだけだとは気づいていない。

 男は銃を取り出して立ち上がり「動くな!」と怒鳴りながらファミレスの店内に視線と共に銃口をぐるりと巡らせた。

「騒ぐな!動くな!…騒ぐな!」

男がそう言ったが、最初に何人かが悲鳴を上げただけで、一番うるさいのはその男でもあった。それはともかく、店内にいた客達は驚いて怒り狂う男を見つめていた。そして、その手に持っている銃は本物なのか、どうなのか。そんなことも気になっていたが、もしもの事を考えると黙って男の言うことを聞いていた方が良いと思っていた。

 店の奥でこの騒ぎに気づいた店員が冷静に警察に通報した。都心と言うほどでもないがそれなりの緊張感は保っている地域なので、この緊急の通報で警察はすぐに駆けつけるに違いなかった。そういうことをこの男が考えているのかは解らないが、怒りにまかせて銃を乱射したりしないということはそれなりに考えがあるのだろう。彼は自分に気づいて欲しい。誰に、という感じではなくて、自分の孤独と不幸を誰かに気づいて欲しい。本当はそれだけの理由なのかも知れない。

 男は店内から子供だけを外に出すように命じた。何が起きているのか理解しきっていない様子の子供達は母親に言われるがままに店の外へ出て行った。

 そんな中で、先程から冷静に男のことを見つめていた品の良い初老の紳士という感じの男が、ファミレスの隅の方の席からゆっくりと立ち上がった。彼は銃を持った男の瞳に浮かぶやり場のない怒りや悲しみに多少ウンザリするようなところもあった。

「やめなさい」

紳士に優しくそう言われると、男は慌てて振り返りその紳士の方へ銃口を向けた。紳士は銃を向けられても落ち着いた様子で、静かに男の方へ近づいて来た。男はこんなふうに冷静な反応をされるとは思ってもいなかったのか、うろたえたような表情を見せたりもした。

 彼の持っている銃は本物だった。男に近づけば、例え本物を見たことがなくても、それがオモチャに見えるような事はなかっただろう。それでも紳士は顔色を変えずにとこの目の前までやって来た。

「人を傷つけてはいけません。みんな怖がっているじゃなですか」

「オレはやるんだ!やるんだよ」

「この人達がキミに何をしたって言うんですか?」

この状況でこの紳士は有り得ないほどの穏やかさで話す。そこに面食らって男は一瞬だけ後悔したくなるような気分になったのだが、ここで簡単に銃を下ろすことはできなかった。

「あんたは何も解っていないんだ」

そうは言ったものの、男は紳士の冷静さに対して次第に最初の勢いを失っていた。

「オレは負け犬じゃない」

「そのとおりだとも」

「でもオレがやりたいんじゃない。ヤツらがそうさせるんだ!」

そう言いながら男は銃口を小刻みに動かして、いつでも撃つぞという意志を示しているようだった。そうしている間に店の外には警察の車両が到着して狙撃犯のような人達が大急ぎで配置についていた。紳士の方は相変わらず冷静に喋った。

「でもあなたはやらない。そうじゃないですか…?」

ここで男の「何か」に対する復讐は失敗に終わるように思われた。男は相変わらず銃を紳士の方に向けてはいたが、その目からは怒りは消え、そして次第に弱々しく潤んで行くようだった。

「みんなも解っている。あなたはやらないですよね」

紳士はそう言いながら目の前の銃を両手で包み込むようにして押さえると、それをゆっくりと下に降ろしていった。そして、男も抵抗することなく銃を下ろすようだった。紳士の優しい眼差しに腕の力が抜けていくような、そんな感じにも思えた。

 しかし、この奇跡のような展開を目の当たりにしたにもかかわらず、自分勝手な人間はどこにでも存在する。男がもう諦めたと思ったのか、ドアの近くにいた客がいち早く外の出ようとしてドアを開けたのだ。その瞬間、外に集まっていた大量のパトカーや警察の無線による交信の音が店内にも聞こえて来たのだった。それを聞いた男はハッとして自分の目的を思い出してしまった。そして、目の前の紳士を押しのけると、まずはドアのところにいた客を撃った。そして次々に自分の周りにいる客を撃ち始めた。

 銃声と共に客達が倒れていく。周りにいた客は驚いて頭を抱えてしゃがんだり床に伏せたりした。だがそれでは銃に対しては無防備で、男の視界に入った人間は撃たれていく。しかし、男の銃に込められた弾丸がなくなる前に今度は男が倒れた。外にいた狙撃手によって男は胸を撃たれて倒れたのだった。

 ほんの一瞬の間に状況は一転して最悪の状態になってしまった。店内ではパニック状態の人もいれば、動くことも出来ず撃たれた人達を心配そうに見つめる冷静な客達もいた。その冷静さは例の紳士のそれに影響されたものかも知れない。紳士は倒れた男を覗き込んだ。男はまだ意識がはっきりしていたが左胸からの出血を見る限り致命傷を負っているのは間違いなかった。

「オレは死ぬのか…?」

男はまだ状況が飲み込めないような感じであったが、自分の胸から背中に弾丸が貫通して、そこから血が流れでているという体験したことのない感覚に、自分の命が危険だということは理解していたようである。

「誰も死ぬことはないのですよ」

紳士は相変わらず静かな口調で言った。そして、そこで紳士はこれまで以上の奇跡的なことをしたのであった。

 紳士は、まさしく「気も絶え絶え」という状態の男の胸に空いた傷口に手のひらをかざした。多くの人達がそれを目撃したが、多くの人達は何が起きているのか理解できないような事でもあった。男の胸の傷口から流れだして、シャツに染みを広げていた血が止まったようだった。それだけでなく、次第にその染みが小さくなって行ったのだった。まるでビデオを逆に再生しているように、血が傷口に戻っていくようにも見えたが、血で出来た染みが完全に消えると、最後には胸に空いた傷までふさがってしまったのだ。

 何食わぬ顔で男の傷を消してしまった紳士を、倒れていた男は驚嘆と畏怖とが入り交じった表情でただ見つめるしかなかった。