「多利佐久美」

09. 古野方区・旧モオルダア邸(借家)

 日が暮れたあと、モオルダアは再びあの家に戻ってきた。わざわざ時間を空けたのは、さっきはまだ外にミスター・ペケがいたこともあったし、彼はモオルダアの母親が何かを隠し持っていると睨んでいるようだったので、彼がいなくなるのを待つ必要があったのだ。都会のすぐ近くにあるはずなのに、交通の便が悪すぎるこの周辺には暇を潰す場所もほとんどなくて、色あせた感じの中華料理屋を出た後はずっと川を眺めて小石を川に投げ続けていたモオルダアであった。

 ようやくのことで日が暮れると、家に戻ってきたモオルダアはそこに誰もいないことを確認した。そしてミスター・ペケのような人間が同じ場所に何時間もとどまるようなことはしないと気づいて、無駄なことをしたような気もした。ここはモオルダアの母とウィスキー男が密会をしていた場所で、それをカメラで隠し撮りしたミスター・ペケがここに長居することは危険なはずである。

 それでも、日が暮れていた方がこういう場所で捜し物をするのには雰囲気が出て良いともモオルダアは思っていた。彼は普段あまり使う事のない小さめの懐中電灯をポケットから取り出して床を照らしながら家の中へと進んでいった。

 この家に何かを隠すといっても、それはそれほど大きいものではないに違いない。二階建てで部屋は台所や風呂トイレも含めて10部屋ほどあるが、特別広い家ではない。何かがあればすぐに見つかるような気もしたのだが、モオルダアは部屋に入ってすぐのところにあったタンスを開けて「あれ?」と思った。全ての荷物は引っ越しの時に実家に持ち帰ったと思っていたのだが、タンスの中にはまだ衣類などが残されていた。「この家はまた使うつもりだったのだろうか?」とモオルダアは考えた。そして、その後に「あるいは隠された何かのために、またすぐに使うような感じにしてあるのかも知れない」とも考えた。さらにその後に「家賃は誰が払ってるんだ?」とも思った。でも少なくと自分の口座から引かれているワケではないので、それはどうでも良かった。

 そして、もしかすると…と思って部屋の電気のスイッチを入れてみたら、部屋の明かりがついた。電気代も払っているようである。これはますます何かがありそうだと思ったモオルダアは懐中電灯をしまうと、部屋にある押し入れやタンスを手当たり次第に調べ始めた。

 しばらくしそうしていたのだが、出てくるのは両親の使っていた衣類や小物ばかりだった。ここで自分の遊んでいたオモチャとか出てくると懐かしかったりするのだが、この家に戻ってくるはずは無いと思っていたモオルダアがオモチャを置いていくはずがない。

 何も見つからないので、考えがおかしな方へ進んでいたのに気づいて、モオルダアは一度手を休めた。そして近くにあったソファに座り込んだ。考えても見れば、そんな重要な物を隠しているのなら、タンスや押し入れに入れたりはしないはずである。しかし、一体どこに隠したのか。この空き家には物がありすぎて、そういうものを探すのが困難だと気づいて、モオルダアはちょっと面倒に思えてきた。

 「いったい何だというのだ?」とモオルダアにしては珍しくウンザリした気分になっていた。闇組織が絡んでいそうな謎の事件が目の前で起き、これはモオルダアにとっては盛り上がらないわけにはいかない捜査なのだが。しかし、この家のことや、病院に横たわっていた母親のことを考えると、そこには何か触れてはいけない事柄があるのではないか、と考えてしまうのだ。

 モオルダアは上着のポケットに手を入れると、そこから病院で母親の書いたメモを取り出した。それを見ると「ひら」と書かれていたが、それが何を意味しているのかは解らない。ひら。逆から読んだら「らひ」…。やっぱり意味が無い。「ひら」の後に文字を足してみると?「ひらい」…。モオルダアの頭には濃いめの顔をした男性シンガーが思い浮かんだが、すぐにそれは頭から消し去った。だいたい人の名前は今は関係ないはずだ。ただ、母親が朦朧としている意識の中で最後までメモを書ききれなかったとすると、このやり方は正しいような気がした。

 モオルダアは今度は「ひら」のあとに「き」を付けてみた。「ひらき」とは開き戸のことのように思える。しかし、さっきから家中の収納は全て確認して、開けられる開き戸は全て開けたはずだ。他に何か無いだろうか?

 もしも「ひら」の後に何かの文字が来るとして、メモ用紙と文字の大きさから考えると恐らく書きたかったのは三文字から四文字に違いない。そして、この家と関係のありそうなものは。と、考えてもこういう時に限って言葉があまり出てこない。モオルダアは立ち上がって本棚の方へ向かった。そこに国語辞典があったのを思い出したのだ。モオルダアはとりあえず「ひら」から始まる言葉を見ていった。そこから何かヒントが得られるに違いない。

 しかし、国語辞典を見ても「ひら」から始まる言葉はあまりないようだった。さらにこの家に関係のありそうなものというと、さらに少ない。「平屋」というのが最後に「それらしいかな」と思った単語で、すぐに「ひら」から始まる言葉は尽きてしまった。

 平屋と言っても、この家は二階建てである。また振り出しに戻るのか、と思ってため息をついたモオルダアがなんとなく目の前の壁を見上げると、そこには額に入れられた写真があった。誰かの飼っていた犬を写した写真だったが、その犬の後ろには平屋建ての家が写っている。モオルダアは「まさか」とは思ったのだが、今の状況では思いついたら何でも確かめてみないと物事が前に進まない。

 モオルダアは額を壁から外して裏を確認してみた。特に異常はないようだったが、念のために裏側の板を外した。すると、写真の裏側に古い五千円札が入っていた。「…これはヘソクリだろうか?」モオルダアはこの古風すぎるヘソクリの隠し方に驚きつつも、何かの手応えを感じずにはいられなかった。モオルダアの母親は額縁の裏に色々と秘密を隠すクセがあるに違いない。

 モオルダアはとりあえず五千円札を自分のポケットに入れてから他の額縁を探した。特に人の気を惹くようなスゴい絵とかが飾られていない限り、以外と額縁の存在には気づかない物だが、この家にもいくつかの額縁が飾られていたようだ。いくつあったとしても「平屋」というヒントを元にして探すと、調べるべき額縁は一つしかないようだった。それは廊下の途中の誰にも気づかれないような場所に飾ってあった。モオルダアはこれに違いないと思い、それを取り外して、また中身を確認した。すると、中には半分に折られた紙が入っていた。

 今度はヘソクリじゃなかった!モオルダアはそう思いながら、その紙を開いた。するとそこには「ダルマ」と書かれていた。今度はダルマという謎なのか?モオルダアは頭を抱えて考え込む準備を始めたのだが、すぐに何かを閃いたようだ。モオルダアの母親は何も考えていないようで、実は物の隠し方を心得ているようだ。

 ダルマというのは(特に望みを叶えてくれなかったダルマというのは)どこにあっても気づかれない存在になってしまうのである。期待どおりに働けずタンスの上とかに置かれるダルマは全く存在感がなくなる。ついでに言うと、会話の中でなんとなく「あそこにダルマあったよね」と言うと、本当はなくても「ああ、あったかも知れない」という感じになる。

 モオルダアも、先程家の中を探し回っていた時にダルマを見たような気がしてきた。いや、確かにあった。それは玄関だったか、二階のタンスの上だったが、台所だったか。いや、さすがに台所には置かないかな。そう思ってとりあえずモオルダアは玄関からダルマ探しを始めることにした。玄関にはなかったので、二階に行き、その次に一階の部屋も調べた。確かにどこかで見たような気がするのに、どこにもない。モオルダアはさらに台所やトイレや風呂場まで調べたが何もなかった。

 おかしいと思って、さっきの額縁のある廊下にやって来た。廊下にやって来ると、さっきの場所に戻された額縁があり、そしてその突き当たりにはやはりダルマが置いてあった。…。

「アッ!」

恐るべきダルマの存在感である。すぐ近くにあったのに気づかないが、どこかにあるということは確かに解る。それはどうでもイイがモオルダアはこのダルマにすっかり感心しきった様子で近づいていった。高さが50センチ以上はある、それなりに大型のタイプだった。

 モオルダアがダルマを持ち上げた。どんなに大きくても中は空洞でミョーに軽いダルマ。モルダアは持ち上げたダルマを左右に動かしてみた。するとなかで何かがカタカタと音をたてた。何かが入っている。彼はさらにそのダルマを裏返しにすると、中でまた何かが動いて音をたてた。

 ダルマの裏側を見ると、誰かが一度穴を開けたようで、その場所が厚紙で塞がれていた。塞いだ後にダルマと同じ朱色に塗られているところを見ると、何かを隠そうとしたのに間違いない。モオルダアはポケットから滅多に使わないツールの一つである十徳ナイフを取り出すと、塞がれた穴を再び開いていった。そして、穴が開くとその穴を下にしてダルマを揺さぶってみた。すると、中から長さ20センチほどの棒状の何かが出てきた。

 「なんだこれ?」と思ってモオルダアがそれを拾い上げた。一瞬家具についている部品か何かに見えたのだが、良く見るとスイッチのような物がついている。それにわざわざ家具の部品をこんな所に隠す意味はない。これは何か重要な物に違いなかった。

 モオルダアはじっくりと観察してみたが、それが何なのかよく解らなかった。そして裏側などもよく観察しようと、手の中で回転させている時に、うっかり指がスイッチに触れてしまった。するとその瞬間に棒状の物体の先端からスッと尖ったものが飛び出してきて、それは千枚通しとかキリみたいな形状になった。

 モオルダアはチョービックリしていた。