「多利佐久美」

16.

 その頃FBLのペケファイル課の部屋ではスケアリーがパソコンに向かって調べ物をしているところだった。普段ならばとっくに自宅に帰ってくつろいでいる時間なのであるが、今回は最初からこれと言った活躍もなく、そろそろ良いところを見せないといけませんわ、と思ったのかも知れない。あるいはジエイレマイが自分たちの目の前から消えたりしたことがどうしても納得出来なかったので、それを説明出来るような何かを探しているのだろうか。

 スケアリーはまずジエイレマイのことを調べようと、厚労省のデータにアクセスしてみた。そんなデータにアクセスすることが出来るのか?という感じだが、FBLからなら出来てしまうのだろう。彼女は職員や関係者の名簿からジエイレマイ・ヤスミツという名前を検索してみた。こんなヘンな名前の人が本当にいるのか?とも思ったのだが、検索を実行すると該当する人物が表示された。しかも驚いたことに同姓同名が何人もいるのだった。「こんなことって、あり得るのかしら?」と、スケアリーは表示された名前の一覧を眺めて驚いていた。

 まずは一人目のジエイレマイ・ヤスミツの詳細データを開いて表示させた。そこには顔写真も掲載されているのだが、それは彼女の知っているジエイレマイだった。「この方が問題のジエイレマイさんですのね」と思ったのだが、このヘンな名前の人がこんなにいるというのは気になる。そこでスケアリーは別のジエイレマイ・ヤスミツのデータも表示させてみた。

 二人目のジエイレマイ・ヤスミツを開くと、なぜかそれも同じ顔だった。「どういうことですの?」と思ってスケアリーは最初のジエイレマイのデータと比べてみた。同じ人物が二重に登録されている可能性もあり得るのだが、そこに表示されている情報によると、現在の勤務地も違えば、住所も異なっている。ますます解らなくなってきた。

 スケアリーはさらに他のジエイレマイ・ヤスミツのデータを次々に開いていった。画面上には違う個人情報を持つ全く同じ顔のジエイレマイ・ヤスミツがいくつも表示されていくだけだった。全ジエイレマイ・ヤスミツのデータを開いた後にジエイレマイだらけの画面を見つめて唖然としたスケアリーは、思わず電話に手を伸ばしてモオルダアに連絡しようとした。

 しかし、その時モオルダアは地下駐車場で格闘中だったので電話どころではなかったのだった。


 結局モオルダアとは連絡が取れないまま、しばらくはジエイレマイについての情報を探していたスケアリーが自宅に戻ったのは日付が変わった後だった。自分の部屋に入ると、もう一度モオルダアに連絡してみようと電話の受話器を手にしたのだが、その時に誰かが自分の部屋の扉をノックしているのが聞こえた。何かしら?と思ってスケアリーが受話器を置くと、ゆっくり扉の方へ向き直った。「どなたですの?」扉のまでは遠くなかったので、スケアリーはその場所から外に向かって聞いた。

「ジエイレマイ・ヤスミツでございます…」

周りの住民に気を使ったのか、ミョーに声を潜めて言う男の声が聞こえて来た。それにしても「ございます」とはずいぶんと丁寧な喋り方なのだが。

「どうか、中に入れてくださいませ…」

今度も静かな声が聞こえて来た。しかし、どうして外にいるジエイレマイ・ヤスミツを名乗る男もスケアリーみたいな上品な喋り方なのだろうか?「まさかあたくしを油断させるための作戦なのかしら?」と思ったスケアリーは少し恐ろしい気がして、腰に付けたホルスターから銃を取り出した。何しろ同じ名前で同じ顔のジエイレマイ・ヤスミツが何人もいるのだ。この事実を知られた事が、どこかの誰かにとって都合の悪いことだとすると、スケアリーとしても気が気ではない。本来ならモオルダアが考えそうなことなのだが、彼女にも何か感じるところがあるのだろう。モオルダアほどではないのだが、彼女も世の中に知らされていない、何か大きな秘密があるのをこれまでの経験から薄々感づいているのだ。そんな感じの怪しい人物が今扉の外にいる。少なくとも外にいる男は自分がジエイレマイ・ヤスミツだと言っている。

 スケアリーは銃口を上に向けた銃を胸の前に構えて静かにドアのところに向かった。そしてドアの覗き穴からそっと外を窺ってみた。夜でも明るい高級アパートメントの廊下なので、そこにいる人物の顔も良く見える。そして、そこにいたのはこれまでに何度も見たあのジエイレマイ・ヤスミツだった。

「良いですこと?あたくしに見えるように両手を挙げておいてくださいな」

スケアリーはこう言ってから、ドアが閉まっているのに、こんな言い方で通じたかしら?とちょっと思ってしまった。そして、もう一度静かに覗き穴から覗いてみると、外ではジエイレマイが両手の平を前に向けて肩の高さまで挙げているのが見えた。覗き穴から良く見える位置に立っていたし、一応スケアリーの言いたいことは通じていたようだ。

「良いですわ。鍵を開けますから、そのまま手を挙げていてくださいな。鍵が開いたら五秒数えるんですのよ。そうしたら入室・ドアを閉めて・鍵をかける。良いですわね!」

覗き穴の向こうではジエイレマイが頷いているのが見えた。スケアリーは鍵を開けると何が起きても大丈夫なように急いでドアから離れた。

 ジエイレマイは言われたとおり五秒数えているようだった。そして五秒ぐらい経つとドアが開きジエイレマイが部屋に入ってきて、言われたとおりにドアを閉めて鍵をかけた。スケアリーが部屋の明かりを消してあったので、ドアを閉めると中は暗くなって、物が良く見えない状態だった。ドアのところからではスケアリーがどこにいるのかもよく解らないがジエイレマイが鍵を掛けたのを確認すると、暗闇からスケアリーの声がした。

「手を挙げているんですのよ」

ジエイレマイが声のした方を見ると、暗闇の中に銃を構えているスケアリーの影が確認できた。

「私は重要な情報を持っておるのです。それは、あなたのパートナーが調べていることです。それはとても緻密に練られた計画、策略、そして彼の兄に関することなのです」

「どうして前に言わなかったんですの?」

「あなたと話すのはこれが初めてです。あなたが話したというのは偽ジエイレマイです。そして、彼は私を暗殺するために雇われたんです」

何だかおかしな事になってきましたわ、とスケアリーは思っていた。

「それじゃあ、あなたは誰なんですの?」

「私が全て説明します…」

彼が何を説明するのか?というところで電話が鳴り出した。スケアリーは視線と銃口をジエイレマイに向けたまま受話器を取った。

「どなた?」

「スケアリー。ボクだけど」

ボクだけど、って何なんですの?!と一瞬思ったが、それは今関係ないことだった。あれからかなり時間が経っていたのだが、モオルダアはモオルダアで殴られたり蹴られたりの格闘の後で、軽く放心状態だったりしたので、しばらく落ち着く時間が必要だったのだろう。

「一体何をしていたんですの?」

「母さんのところに行ったりとか、まあ色々と。それよりもスゴいことがあるんだけど…」

「そんなことはどうでもイイですわ!こちらはもっとスゴいことが起きているんですのよ!良いですこと、ここにあなたが話すべき人物がいますわ」

「誰?」

「ジエイレマイ・ヤスミツよ」

それはホントにスゴいことだったが、モオルダアは同時に何かヤバい感じもした。

「スケアリー、今すぐそこを出た方が良いよ。ヤツらは彼を捜しているはずだから。どこか別の場所で会おう」

「何処にしますの?」

「産業道路と呑川の交わるところにいるよ」

「なんですのそれ?何川ですって?」

「大田区の。羽田に近いかな」

スケアリーはなんでそんな所なんですの?と思っていた。実はモオルダアはあれから家に帰ろうと思ったのだが、終電がなくなった事に気づいて、川崎の方から歩いて都内の家に向かっていた途中だったのだ。しかし、なかなか家に着かないので、もしかしたらスケアリーが助けてくれるかな、とか思って電話したというのがホントのところだった。彼の指示した場所は今彼がいる場所のすぐ近くなのだ。

 しかし、こうなってくるとモオルダアは家に帰るどころではなくなってきそうである。