「多利佐久美」

13. 都内の刑務所

 モオルダア達が官庁街にある建物でジエイレマイを見失って慌てていた頃、この刑務所の独房にはまたウィスキー男が現れた。そして、例の独房には官庁街にあるビルにいたはずのジエイレマイが全身を拘束されて座っていた。どう考えてもジエイレマイが二人いるということなのだが、二人とも自由に顔を変えたりできるようで、今のジエイレマイの顔が本物なのかどうかもよく解らない。恐らくウィスキー男ぐらいなら、その辺のことは知っているのだろう。

 そして、ウィスキー男はまた独房にやってきてジエイレマイを説得しようと試みるようだった。何を説得するのかもよく解らないが、彼の言っていた「偉大なる目的」に関係しているのだろう。独房の扉が開くと、いつものようにウィスキーのビンを持ったウィスキー男がその中に入った。

「もう時間の問題だぞ」

ウィスキー男が言ったが、ジエイレマイはそれについては何とも思っていない様子だった。

「あなたは私をここに閉じ込めた。牢屋の中の牢屋という感じだな。どうしてこんなに私を恐れるのかな?」

「恐れてはいない」

「そうかな?あなたはいつも恐れている。恐れるのがあなたの生き方だ」

「キサマに私の何が解るというのかね?」

「全部知っているよ。あなたは私の行った奇跡が私の力だと思っているね」

「自分が神だとでも思っているのか。キサマは使い捨ての量産品の奴隷にすぎないんだぞ!」

ウィスキー男が強い口調になってもジエイレマイは静かに話し続けた。

「あなたが恐れているのは、人々が私を神だと思うことですね」

「そんなことは何とも思っていない。今時神を信じる人はいないんだよ」

「なぜ?」

ウィスキー男はここで一口飲んで多少の落ち着きを取り戻した。

「なぜって、神は人々に信仰されるに足る奇跡を起こさなくなったからな」

「あなたは人が奇跡を信じなくなった時に神を否定すると思っているのですね」

「もちろん」

「だが、あなたは神の名をかたって人々を支配している」

ウィスキー男は一本取られたかなと思ったが、これだけで調子を乱したりはしない。

「ヤツらは神を信じないかも知れんが、いまだに恐れてはいるんだよ。ヤツらがそうするのはヤツらの自由への恐れだ」

「それであなたが彼らを幸せにする」

「我々はヤツらの良心を満たせばいい。それが出来ればヤツらから自由を奪うことが出来る」

ウィスキー男は自信を持って言うとまた一口飲んだ。その一口でビンが空になって、彼はうつむいてそれを眺めたところだった。すると今までとは違う声がジエイレマイの方から聞こえて来た。

「もしそれが出来ないというのなら、キミは彼らを殺すんだろ。だが全員殺すなんて無理だぞ」

ウィスキー男はその声を聞きハッとしながら顔を上げるとさらに動揺した。今までジエイレマイがいた場所に降板したはずのモオルダアの父親がいたのだ。また何かのトリックに違いなかったが、ウィスキー男はこれをやられると無性に恐ろしい気分になるのだった。彼は慌ててウィスキーを飲もうと思ったのだが、すでに空になっている事を思い出して、上着のポケットに手を入れると非常用の小瓶を取り出してそれを一口飲むと、なんとか平静さを取り戻した。

「彼らの愛は殺すことは出来ない。それこそが彼らの存在の意義なのだからね。我々よりも、キミよりももっと意義のある存在のね」

モオルダアの父親の表情には、いきなり登場させられていきなり降板になった自分の役割に対する怒りが感じられるように思えたのだが、それは作者の気のせいだろう。モオルダアの父親はウィスキー男を睨み付けながら話していた。こうなるとウィスキー男もなかなか落ち着いているワケにはいかない。それでもうわべだけは何時もの冷静な態度を装ってはいた。

「何を言うか。私はキミらとは違うんだよ」

「違うね。キミはその一部になりたがっているんだよ。計画が始まった時に指導者でいたいんだろう?」

ここでモオルダアの父親の表情が不自然に歪んだように見えたが、次の瞬間にその顔は元のジエイレマイの顔に戻っていた。こうしてくれるとウィスキー男としては話しやすくなって助かるのだが。

「だが、あなたは間違っている」

元の顔に戻ったジエイレマイが言った。

「ほう。何がかな?」

ウィスキー男も元のように余裕の表情に戻っていた。

「間違っているんですよ。その頃にあなたは肝硬変が原因で体がボロボロになって死んでいます」

余裕を取り戻したのもつかの間だった。ウィスキー男はジエイレマイのこの一言で「ガーン…」となりビンを落とすところだった。ジエイレマイは重傷者を手のひらで癒したり、いろんな人の顔になったりスゴいことが出来る。そういう人に自分の未来を予言されるとこれほど恐ろしい事はない。

「ウソに決まってる」

「そう思うのですか?」

「キサマは生き延びたいだけだ」

「あなたはどうなんです?」

生きていたいに決まっているが、そんなことを言うわけはない。二人の会話はここで終わりになった。


 そのしばらく後、刑務所の外の通りに一人の男がやって来た。この男はどこかで見たような感じがするのだが、平凡なスーツに平凡な中年男性の顔のこの男のことを思い出すのは大変かも知れない。しかし、そんな人なのに「どこかで見たような感じ」がするのは逆に特殊な場合に違いなかったりもするのだ。彼はFBLの二人からジエイレマイが逃げ出した騒ぎの時に、最初にモオルダアが首根っこを掴んだあの男だった。

 そして、その男がこの刑務所の前にいるということは、何か理由がないわけはない。そんなことを思っていると、平凡な中年男性の顔が不自然に動き出した。そして独房の中のジエイレマイがやっていたように不自然に歪んだ顔のパーツがまた元のようになると、そこにいた中年男性は別の人になっていた。

 無駄な脂肪の全くついていない引き締まった顔にギラギラした眼が光っている。そして、彼の首の太さからしても、脱いだらムキムキの肉体なのはよく解る。こんな男が用心棒なら心強いのだが、それ以外ではあまり近づきたくないような外見だ。

 その男は手に持っていた大きなペンのような物を握りしめた。するとその先から尖ったものがシュッと飛び出してきた。それはまさしく、モオルダアが古野方区の家で見つけた道具と同じ物だった。男は道具が正常に動くことを確認すると、また尖ったものを元に戻す操作をして、その道具を手の中に隠すと刑務所へと入っていった。

 この男はとある指令によってやって来た。そしてその指令とは「運命」によって最後を迎えることになるジエイレマイを亡き者にすることだった。解り易く言うと、ウィスキー男(あるいは彼に近い人物)からの指令でジエイレマイを暗殺しに来たのだ。ウィスキー男達がなぜこんな面倒な方法でジエイレマイを暗殺しないといけないのかというと、やはりジエイレマイは特別な存在であるので、まともな方法で殺害することが出来ないようなのだ。手のひらで瀕死の人間を蘇らせるジエイレマイなのだから、それもおかしなことではない。だが、この男はジエイレマイを暗殺するための道具を持っていた。それはモオルダアも持っている、あの尖ったものの飛び出す道具である。

 男は看守に連れられてあの独房までやって来た。恐らくこの辺にいる人間はウィスキー男達の息がかかっているので、この男も怪しまれることなく独房までやってこられたのだろう。ともかく、この男は独房の中で拘束されて動けないジエイレマイに、例の道具でとどめを刺して帰るはずだった。それは何でもない仕事だったに違いないが、そういうことでもないようだ。

 独房の扉が開くと、そこにいるはずのジエイレマイの姿がなかった。彼が座っていた、というよりも固定されていた拘束ベルトだらけの椅子が暗い独房の中に置かれていただけだった。この様子をみて、恐らくムキムキであるこの男はスーツの下で筋肉をプルプルさせていたに違いない。一応辺りを見回してみたりもしたのだが、もうすでにジエイレマイはどこかに逃げてしまったのだろう。彼の能力を持ってすればそれくらいは可能なのかも知れない。