16. スケアリーと技術者とペケファイルの部屋
スケアリーは先程まで依頼人の男に渡された資料を分析していたが今は困った顔をして電話で話している。
「それはあなたがヨシオ君を心配するのは解りますけど、そんな事はあり得ないことなんですのよ」
スケアリーに優しい口調で言われると彼女の持っていた電話はモジモジした。それはモオルダアのところに電話をかけて失敗したヤスオ君からの電話に違いない。
「確かにモオルダアは何をやっているか理解出来ませんが、あれはいつもの事ですから心配はいらないんですのよ。あれは絶対に妖怪のせいなんかではないんですから。お解りになった?」
電話の向こうではモジモジとした沈黙の後「はい」と小さな声が聞こえてきた。しかし、そのすぐ後にモジモジとした勇気を振り絞ったような声でヤスオ君が言った。
「でもヨシオの使っているブログのサービスがどんなものだったかは調べてくれませんか?」
スケアリーはそろそろ機嫌が悪くなりそうだ。これもきっと少年達の間で流行っている都市伝説か何かに違いないと思っていた。彼女には本当にそうする気があったのかどうか知らないが「解りましたわ」とだけ答えた。そうするとヤスオ君もモジモジと安心して電話を切った。
スケアリーが電話を置いたすぐ後にペケファイルの部屋のドアが開いた。スケアリーは反射的にドアの方に向かって言った。
「ちょいと、モオルダア!何なんですの!」
驚いた顔をして入ってきたのはモオルダアではなくコンピューターの技術者だった。
「ああ、ビックリした。てっきりここにはモオルダアさんがいると思って…」
技術者が部屋に入ってくるとドアが入り口脇の妖怪ポストに当たり危うく倒れそうになったが、ギリギリの所で持ち直して元の状態に戻った。
この技術者はモオルダアと同様に時給のアルバイトなので夜遅くまでエフ・ビー・エルに居座って時給を稼いでいる。そこは同じバイト仲間のモオルダアも同じである。だから彼はモオルダアがいつも遅くまで用もないのにエフ・ビー・エルにいることを知っていたのだ。
技術者は少しガッカリしたようにスケアリーを見ていた。昼間のことで彼はあまりスケアリーに好感を持っていないようだ。「どうせまたボクの仕事はあまり評価もされないばかりか、感謝もされないに決まっている」と技術者は内心で思っていた。せめてモオルダアならもう少しは自分の仕事に感心してくれるはずだ。
「それで、何の用なんですの?」
スケアリーは先程ドアに向かって怒鳴った事など忘れているのか、或いは忘れようとしているのか知らないが、すました感じで技術者に聞いた。
「ヨシオ君の使っていたレンタルブログのサービスですけど、そのサービスを提供していた会社か個人か知りませんが、もしかするとこの世に存在していないみたいなんです」
それを聞いてスケアリーは「いい加減にしてくださらないかしら?」と言わんばかりに眉をひくつかせていた。
「あなたまでそんなことをおっしゃって。それにどうしてあなたがそんな出過ぎたマネをするんですの?この事件はあたくし達が扱っているんですから、よけいなことはしてくれなくても結構ですのよ」
「そういわれても、私はモオルダアさんに頼まれて調べていたんですから」
「でもモオルダアはそのこの世に存在していないブログサービスで楽しくブログを書いているそうですわよ」
そう言ってから、さっきモオルダアがメールにURLを書いて送ったと言っていたことを思い出した。スケアリーはパソコンに向かって必要な操作をしてモオルダアのブログを画面上に表示させた。(そこにはスケアリーを苛立たせるには十分すぎる内容が書かれていたが、きりがないのでそこに触れるのはやめておく。)
「確かにそのサービス自体は存在しているんですけど」
技術者はめんどくさそうに言った。彼の言わんとしていることを解りやすくスケアリーに伝えるのは面倒な事なのだ。ある物事に精通している人間が普通の人間に解りやすく専門的な事を伝えるのには普通の人が普通の人に伝えるよりもはるかに多くの労力を使うのである。これまで何度もそんな事を感じてきた技術者は大きく息をついてから続きを話し始めた。
「例えば、モオルダアさんがそのブログを書くためには自分のパソコンで書いたものを一度サーバーのプログラムに送って、そこでしかるべき処理をして今表示されているような形にするんです。でもそのサーバーがないんです」
技術者は普通の人ふうに説明したが少し簡単すぎたようだ。
「でもサーバーがなくてもちゃんとこうやって画面に表示されているのですから、サーバーのいらないブログなんですわ」
スケアリーの言うのを聞いて技術者はやはりもう少し詳しく話すべきだと思った。しかし、スケアリーはサーバーというのをなんとなく理解しているようなので多少は楽かも知れない。
「サーバーはなくてはいけないんです。いまそのパソコンで表示しているモオルダアさんのブログはサーバーにアクセスしているからこそ表示出来ているのだし、そこに書かれていることは本来サーバーに保存されているものなんです。ですから、サーバーがなくてはブログを公開するなんて事はできないのです。でも、そのサーバーの所在がどうしてもつかめないんです」
これで解ってくれただろうか?技術者はスケアリーをじっと見つめていた。スケアリーは「これは言葉のだまし絵ですわ」と思った後に、自分でも上手い例えだと思ってうかつにも笑みをこぼしそうになっていた。気を取り直して真面目に考えてみる。
「サーバーがなくては存在出来ないものが存在しているんですから、サーバーだって存在するはずですわ!」
スケアリーの精一杯の反論だったが、確かに的を射ている。
「そうなんですよ。それはそうなんです。でも本来ならどこの誰がサーバーを運営しているのかはすぐに解るはずなんです。巧妙な細工がしてあったとしても専門家が調べたらすぐに解るはずなんです。だから私もエフ・ビー・エルにある全ての機材と頭脳を集めて調べてみたんですけど、どうしてもそのサーバーがどこにあって誰が運営しているものなのか解らないんです。目の前にあったものを掴んだつもりがそれが幻だったというような感じですよ」
そう言って技術者は「最後の例えはまずまずだったな」と納得の表情だった。そんなことよりもスケアリーは理解してくれたのだろうか?
「何だ、そんなことでしたの。それだったら始めからそう言ってくれたらいいんですわ」
どうやら、スケアリーは技術者が思っていたよりも詳しかったらしい。しかし、スケアリーが最後に「まるで妖怪ですわね」と付け足したので技術者は多少不安になった。何で「妖怪」なんだ?という感じで。そんな不安もとりあえずスケアリーに状況を報告出来たという満足感がかき消していたのかどうか知らないが、技術者はそのまま部屋を出ていこうとしていた。
「ちょいとお待ちになって!」
呼び止められた技術者はまた面倒なことになりはしないかと思いながら振り返った。
「今の話はもしかするとすごく重要な事かも知れませんから、あたくしから連絡があったらいつでも行動を起こせるようにしておいていただけますかしら?」
「いいですよ。どうせボクは今日一晩中ここにいるつもりですから」
技術者は専門職の利点を最大限に生かして時給をもぎ取っているらしい。何をやっているのか周りからは解らないので、パソコンの前に座っていればそれで仕事をしていると思われているのだ。実際にはエフ・ビー・エルとは何の関係もないプログラムをしているのだが、そんな事は誰も知らない。それに、実際に彼がエフ・ビー・エルで任される仕事というのは、彼が即席のプログラムをして作ったソフトを使うとアッという間に終わってしまうものばかりなのだ。彼に仕事をまかせた人間からすると「こんな作業を良く一人で、しかもこんな短時間にやったねえ!」と驚いてしまう事なのだが、実はそれは彼が昼食を食べている間、或いは自動販売機まで行ってコーヒーを飲んでいる間に全て彼の作ったソフトが自動でやっていた事なのである。でも、あまり早く終わってしまうともっとたくさんの仕事を任されるのを知っているので、技術者は彼の作ったソフトが仕事を終えてもしばらくのあいだ別のことをしてわざと時間がかかったように見せかけている。
こういう感じの天才をエフ・ビー・エルはそうとは気付かずにいつまでもバイトあつかいしている。とはいってもこの技術者本人も自分の才能をどのように使えばいいのか自分でも解っていないので今のところはバイトで十分だと思っているようである。