3. モオルダアと社会の屑と妖怪ポスト
モオルダアの言っていた「メールチェック」とはもちろん彼の家の前に設置された「妖怪ポスト」へのメールをチェックすることだった。駅から彼の家に向かって歩き、ポストが見える場所まで来た時にモオルダアの胸は予想以上に高鳴っていた。遠くからポストを見るとポストに入りきらない大量の手紙がポストの口からあふれ出しているのだ。「やっぱりボクぐらいになると違うなあ。何の告知もなしに設置した妖怪ポストに、もうあんなに沢山手紙が来てるよ!」この喜びがそう長くは続かないと解っていないのはモオルダアだけかも知れない。
ポストの前まで来た時にモオルダアは怒りのような落胆のような、或いはなぜか笑いがこみ上げてくるようなバカバカしい悔しさといったような、変な気分になっていた。ポストの中には通行人が捨てていった雑誌やタバコの空き箱、あんパンの袋。そんなものばかりが入っていた。もちろん手紙らしきものがないわけでもなかった。ポスティングのバイトが適当に突っ込んでいったであろう消費者金融のチラシが十枚ほど、どれも同じものだった。
モオルダアがボンヤリポストの中を眺めていると、ふとイヤなことを思いついてしまった。もしも、スケアリーの家の前に置いてあるポストもこんなことになっているとしたら?そんなことになっていたらタダでは済まない。それでなくとも今日の彼女はかなり機嫌が悪かったのだから。しかし、どうしたら良いのだろうか?今からスケアリーの家に行って密かにポストを撤去することは不可能だろう。きっとスケアリーはもう家についているはずだ。
モオルダアはしばらく考えた末にスケアリーに電話することにした。彼女の怒りが爆発する前にとりあえず謝っておこう、と良く解らない結論に達したようである。
モオルダアが携帯電話を取り出したちょうどその時、電話がけたたましく鳴り出した。本当はいつもと同じ音量でなっていたのだが、モオルダアには「けたたましい」音に聞こえたのである。携帯電話のディスプレイにはスケアリーの名前が表示されていたからである。「遅かったかあ!」モオルダアはため息混じりにつぶやくと、しばらく躊躇した末に電話にでた。
「どうもすいませんでしたあ」
モオルダアはどうしても先に謝りたかったようである。スケアリーが何かを言う前に卑屈さ満載で謝った。
「ちょいと何なんですの、モオルダア?」
スケアリーは驚いた様子だったが、その口調に怒っている感じはなかった。モオルダアは少し決まりが悪い。
「いやあ、何でもないんだけどね。ちょっとしたユーモアさ」
何がユーモアか解らないが、そこを気にしても仕方がない。スケアリーもその辺はちゃんと解っている。
「それよりもモオルダア。事件ですのよ。警察にも解決できないような不思議な事件が起きたんですの。ですからちょっとあたくしの家まで来てくださらないかしら?」
「何でキミの家なんだ?キミの家で事件なの?…あ、もしかして妖怪ポストに?」
「そうですのよ。だからわざわざ警察にも解決できないような不思議な事件、っていってさしあげたのに。まったく鈍いですわ!とにかく今すぐに来るんですのよ!」
モオルダアはニヤニヤしながら携帯をしまうと、ゴミだらけの彼の家の前から急いで彼女の家へと向かった。
4. 少年達とスケアリーとヨシオ君の部屋
スケアリーの家の前に設置された妖怪ポストは周囲の環境に合わせてステンレス製だった。新築の家の玄関先に置いてありそうな郵便受けのようではあったが、ポストの正面にはモオルダアが書いたと思われる「妖怪ポスト」の文字が刻まれていた。それさえなければ、この妖怪ポストは郵便受けとして使われることもあったかも知れないのだが、この出来たての妖怪ポストが役に立ったのは一度きりとなってしまった。
「これ、本当に捨てるんですか?」
廃品回収業者はまだピカピカの妖怪ポストを持ち上げながらスケアリーに聞いた。
「当たり前ですわ!」
スケアリーはそう言うと、業者の人が妖怪ポストをトラックに積み込むのを見届けてから彼女の家の向かいにあるマンションへと向かった。
マンションの部屋のベランダからはスケアリーの高級アパートメントの入り口が見える。スケアリーはそこへ出てみると、彼女の高級アパートメントの前でモオルダアがうろうろしているのが見えた。
「モオルダア!こちらですのよ!このマンションの402号室に来てくださいな!」
予想外のところから声をかけられたモオルダアは少し驚いて振り返った。モオルダアはそのことも不思議に思っていたのだが、スケアリーの高級アパートメントの前から妖怪ポストが消えていることも不思議だった。モオルダアは首をかしげながらマンションの方へと歩いてきた。
モオルダアが四階で止まったエレベーターを降りる時、緊張感のない警官二人と入れ違いになった。モオルダアは二人の様子から、それほどの事件が起きたわけではないと解ったような気がしたが、わざわざスケアリーが彼を呼び出すほどなのだから、もしかするとそれほどの事件かも知れないと思って402号室へ向かった。
モオルダアが402号室の扉を開けるとまずスケアリーの姿が目に入った。
「モオルダア、大変なことになりましたのよ!」
スケアリーにそういわれたモオルダアは部屋の中を見渡してみたが、少しも大変なことになった印象はなかった。血だらけの殺人現場でないのはモオルダアにとって良いことだが、これだけ緊張感のない事件現場もめずらしい。モオルダアには何が大変なことなのか少しも解らなかった。
モオルダアはスケアリーのあとについて部屋に入っていった。
「ヨシオ君が誘拐されたんですのよ」
スケアリーにそういわれてもモオルダアにはなんとも言い返せなかった。第一に誘拐事件ならもっと緊張感が漂っているし、ペケファイルの二人が捜査することでもないのだ。しかし、モオルダアはあえてそこに自分が呼ばれたことの理由があるのに違いないと思って軽く胸を躍らせていた。それよりもまず、ヨシオ君って誰なんだ?
「ヨシオ君というのはこの部屋を使っていた人の名前かな?なんとなく少年のような気がするけど」
「ああ、そうですわね。あたくし少し話を早く進めすぎてしまいましたわ。ここに住んでいたヨシオ君は先程突然姿を消してしまったんですのよ。でも状況から考えて事件性は低いということで警察は今のところ何もしてくれないんですけど。でもあたくしにはちょっと気になるところがあるんですの。この事件は、あのニコラス刑事があたくしのところへ依頼しに来た事件と少し似ているんですのよ」
スケアリーがこう言うのを聞いてモオルダアには少し腑に落ちないこともあった。スケアリーはニコラス刑事に頼まれて捜査に行ったがために機嫌を損ねたのだし。まあ、それはそれでいい。変な事件に関われるのならモオルダアは満足なのだから。
「それで、そのヨシオ君というのも直前まで誰かと一緒にいたのに、急に姿を消してしまった、というのか?」
「一緒にいたかどうかは知りませんが、ヨシオ君のお母さんから聞いたところによると今朝まで確かにここにいたはずだって言ってましたわよ」
「それで、ヨシオ君のお母さんは今どこに?」
「ヨシオ君がいなくなったショックで倒れてしまって、今は病院ですの。そんなことよりも、モオルダア。おかしな話があるんですのよ。ヨシオ君の友達が言うには、ヨシオ君は妖怪によってコンピューターの世界に閉じこめられたということなんですのよ。だから、あの二人はあたくしの家の前にあった妖怪ポストに手紙なんかを入れたんですわ!」
あの二人とは誰だ?と思ってモオルダアは部屋の中を見回した。すると部屋の隅にヨシオ君の友達がモジモジしながら二人の方を見ていた。
「うわ、ビックリした。ここにはキミ以外にも人がいたのか。それにしてもあの二人はどうしてあんなにモジモジしてるんだ?」
モオルダアはヨシオ君の友達には聞こえないようにスケアリーに聞いた。
「そりゃ、あの年頃ですから。美人を前にして緊張するのは当たり前ですわ!」
これを聞いたモオルダアは、ここにはまだ彼が存在を確認していない人間がいるのかと思って、その美人を探すべく周囲を見回した。誰もいないのを確認すると同時にスケアリーの言っていた「美人」とはスケアリー自身のことなのだ、ということに気付いた。モオルダアは、わざと冗談っぽく「ここに美人なんていないぞ!」と言ってみた。多少疑い深いものではあったが、スケアリーは笑顔でそれに答えた。モオルダアは慌てて話題を変える。
「キミ、もしかして妖怪がどうのとかいう話を本気にしてるの?」
「そんなことはありませんわ。ただ、この辺の高級住宅街に住んでいる子供はみんな正直ですから。何か事件が起きたことは確かですわ」
みんな正直とはスケアリーの思いこみである。
「もう少し詳しい話が聞けたら、何が起こっているのか解るのですけど、何しろあの子達は美人を前にして…」
「それじゃあ、美人に代わってボクが話を聞いてみるよ」
モオルダアは最後まで聞かずに少年達の方へ向かった。
モオルダアは部屋の隅にいる二人の少年に声をかけた。
「キミ達がここで見たことをもう一度話してくれないか?」
二人はお互い顔を見合わせてモジモジしていた。どうやらこの二人は誰に話しかけられようとモジモジしているのだ。きっとヨシオ君もこの友達と同様にモジモジしているのだろう。普段はモジモジ三人組で妖怪の話をしたりして遊んでいるに違いない。
モオルダアがどうでもいいことを推理していると少年のうちの一人が話し始めた。
「あれはブログのせいです。…あんな話はウソだと思っていたけど…でも本当になってしまったんです。ヨシオ君は夢中でブログを書いているうちにコンピューターに魂を吸い取られてしまったんです」
モオルダアには何のことだかまったく解らない。振り向いてスケアリーの方を見てみたが、彼女もモオルダアと同じようにきょとんとしている。
「それよりも、キミ達がここで見たことを話してくれないかな」
モオルダアがもう一度聞くと今度はもう一人の少年が答えた。
「ヨシオ君が学校に来ないからここに来てみたら、ヨシオ君がいなかったんです」
モオルダアは続きを期待したが、それ以上の話はないようだ。
「それだけ?」
少年達はいちど顔を見合わせてから同時にうなずいた。
モオルダアはスケアリーをつれて部屋の外に出た。
「これはイタズラじゃないか?」
モオルダアが小声でスケアリーに言った。
「そんなことはありませんわ。彼らは高級住宅街に住んでいるんですのよ!」
スケアリーも小声で返した。
「どこに住んでいようと、イタズラするヤツはイタズラするんだよ」
「でも、警察まで呼んでいるのに…。ちょいと!事件現場のものをむやみに触らないでくださるかしら!」
小声で喋っていたスケアリーがいきなり大きな声を出したのでモオルダアは思いっきりビビっていた。彼女の声はモオルダアの肩越しに見える部屋の中に向けられていた。モオルダアが振り返った時に、少年は事件現場のものをむやみに触ってしまった後だった。ちょっとすまなそうな顔をしていたが、彼には何か言いたいことがあるようだ。パソコンのモニターを指さしてモオルダア達に見せている。
「これが証拠です」
部屋の外にいた二人は中に入ってパソコンのモニターを見た。真っ黒い画面に白い文字がひとりでに次々と入力されていくようだった。ただそこに入力される文字は日本語でも英語でもない。おそらくどこの国の言語でもないだろう。意味不明の文字が次々と表示されていき、いつまでも止まりそうな気配がない。
「これがヨシオ君ってこと?」
モオルダアはモニターを凝視しながら聞いたので、隣で少年がうなずいたのに気付かなかった。しかし、モオルダアにはどうでもいいことだった。モニターに表示されていく文字を見ているとなんだか気味が悪くて何も考えていなかったのである。