「GONE」

9. モオルダアとスケアリーとペケファイルの部屋

 スケアリーはペケファイルの部屋へとつづく廊下を大股で歩いていた。こういう時の彼女はモオルダアを怒鳴りつけたい衝動に駆られているか、何かに夢中になっているかのどちらかだ。書類の束をめくりながら、その書類に書かれいている内容を真剣に読んでいる彼女の様子からすると今回は後者の方に違いない。

 スケアリーはペケファイル部屋のドアを勢いよく開けた。中にいたモオルダアは例によって突然ドアが開いたことにビクついていた。一方のスケアリーもモオルダアがここにいるとは思っていなかったので多少驚いているようだった。

「あら、モオルダア。いったい何をしていらっしゃるの?返事次第ではどうなるか知れたものではないですわよ」

モオルダアはこう言われても、意外と冷静である。もうドアが突然開いたことへの驚きもやわらいでいたようである。

「そんなことより、キミはボクに報告することがあるんじゃない?キミの持っているのはヨシオ君のパソコンのモニターに表示されていた文字を日本語化した内容だろ?」

モオルダアのこの態度に多少ムカッとしたスケアリーだが、確かに報告することがあるのだ。

「そうなんですのよ。いったいどういうことなのか解らなくなりますわ。あそこに書かれていたのはヨシオ君の視点で書かれたヨシオ君自身のことだったんですのよ。…あら、これでは全然意味が解りませんわね。あのパソコンに表示されていたのはヨシオ君の日記ということになるんですのよ。つまり、ヨシオ君は行方不明になってもどこかで日記を書き続けているということになるんですの」

モオルダアは特に驚きもせずにこの話を聞いていた。

「ヨシオ君には新しい友達が出来て、彼らと趣味の話をして盛り上がっているんだろ?超常現象や都市伝説の話をして」

モオルダアが得意げに話すのにはいつも腹が立つのだが、今回は怒るに怒れない。それは全てスケアリーの持っていた書類に書かれていることだったのだ。

「モオルダア、いったいどこでそんな情報を仕入れたんですの?」

「そんなものはわざわざエフ・ビー・エルの力を使って日本語にしなくてもちゃんと一般に公開されていたんだよ」

そう言ってモオルダアは目の前にあったパソコンのモニターを回転させてスケアリーに見せようとしたが、モニターのコードが机の上の筆立てにぶつかって、筆立てはそのまま床に落ちてペンを床にばらまいた。モオルダアは格好良くいかなかったことに腹を立てながら、ペンを拾うために立ち上がった。その間にスケアリーはモオルダアの座っていた机の前まで来てモニターを覗き込んだ。

「ヨシオの日記?!」

スケアリーはこのタイトルを見てヨシオ君が最近夢中になって書いていたブログというのがこれなのだと解った。

「夢中になるにもほどがありますわ!こんなにたくさんの記事を書いて。これじゃあまるで自分の生活の実況中継じゃありませんこと?」

スケアリーはその内容に驚いて肝心な所を見失っていた。

「そんなことよりも、その記事が書かれた日付を見ると面白いぜ」

机の向こうに這いつくばってペンを拾っている姿の見えないモオルダアの声が聞こえた。スケアリーは言われたとおりに記事の書かれた日付を確認した。それは全て行方が解らなくなった今日の日付だ。それぞれの記事はほぼ一分刻みで更新されている。スケアリーは多少ためらったが、マウスを手にとって「ヨシオの日記」が表示されているページを再読込してみた。

 最新の状態に更新された「ヨシオの日記」を見てその不気味さに思わずスケアリーはマウスから手を離した。不気味なのはその内容ではない。内容は普通なのだが、どんなに早くタイピングしたとしても、短時間にこれだけの量の文字を入力出来る人間はいるはずがない。何画面分もスクロールしてやっとページの一番下までたどりつく量の文字を数分のうちに書いている。

「モオルダア!これは誘拐に違いありませんわ!それに、もしかするとヨシオ君は殺害されている可能性だってありますわよ!」

スケアリーの表情に緊張がみなぎってくる。

「何で?」

と机の向こうにいる姿の見えないモオルダアから気のない返事が返ってきた。

「何で、じゃありませんわよ。こんなにたくさんの文字を普通の人間が書けるワケがないじゃありません?これは明らかに誘拐犯の仕業ですのよ。ヨシオ君が生きていることを証明するためにブログにヨシオ君の名前で記事を書いたのが、何かの手違いで用意していた原稿を全部投稿してしまったに違いありませんわ!」

モオルダアはいまだに床に落ちたペンを探すために這いつくばっていた。床の方からモオルダアの声が聞こえてくる。

「でも、そんなことをしても意味はあるのか?まあ、身代金目当ての誘拐犯なら誘拐した人間が生きていることを証明するためにいろんな手段を使うけど、誘拐された少年が楽しいブログを書いてたんじゃ意味がないと思うけどね」

モオルダアはまだペンを探している。スケアリーは見えないモオルダアに向かって反論する。

「それだったら、このブログを詳しく調べて投稿したのが誰だかつきとめれば良いんですわ。巧妙な仕掛けで送信元をごまかそうとしていたりしていれば、それはきっと誘拐犯ですわ!」

「それなら、さっき調べてもらったよ。その投稿は全部ヨシオ君の家からだよ」

そういうとモオルダアはやっと最後の一本のペンを見つけて立ち上がった。手に持っていたペンを嬉しそうにスケアリーに見せた。大量のペンが床に落ちたが、ちゃんと書けるインクの残っているボールペンはその一本だけだったのだ。

 立ち上がったモオルダアがスケアリーの顔を見るとボールペンを持ったまま固まってしまった。スケアリーは今にもキレそうな表情でモオルダアを睨みつけている。

「それじゃあ、あなたはヨシオ君がまだあの家にいるとでもおっしゃるの?あたくし達が隅々まで調べたあの家に」

スケアリーがモオルダアにつかみかかる前に最後の質問をした。

「それについて調べるにはちょっと時間がかかるんだよ。だからボクはそれを調べなくちゃいけないんでね。それじゃあ」

そう言うとモオルダアは持っていたボールペンを机の上に置いて、そそくさと部屋を出ていった。

10. ボールペンとスケアリーとペケファイルの部屋

 スケアリーは机に座ったまま先程彼女が持ってきた書類の束をめくり始めた。それは何百枚あるか数える気にもならないほどの量があった。これは全て「ヨシオの日記」に書かれていることと同じ内容に違いない。ただし、実際の「ヨシオの日記」には今頃すでにこの倍以上の内容が書き込まれているかも知れない。

 「ヨシオの日記」の内容が書かれている書類は1番目のページが最新の記事、ページをめくるにしたがって古い記事になるように並んでいた。書類に記録されている記事のほとんどはヨシオ君が失踪した今日書かれたものとなっていたが、最後の何枚かは昨日の日付になっている。その何枚かを読んだ時にスケアリーある異変に気付いた。「ヨシオの日記」にはヨシオ君の他に二人の友人がしばしば登場する。そのほとんどが「T」「B」という名前で書かれているのだが、昨日の記事には「ヤスオ」「ユキオ」という名前で書かれているのだ。

 スケアリーはこの変化の意味することを考えながら、ここに書かれている名前をメモしようとさっきモオルダアが机の上に置いたボールペンを手に取った。メモ帳を開いて「ヤスオ」「ユキ…」というところまで書いたところでボールペンのインクがなくなって「オ」がフェードアウトしていった。

 スケアリーのイライラがちょうど頂点に達して来た悪いタイミングで部屋を扉をノックする音が聞こえた。

「今この部屋に入ってくる勇気があるのなら、どうぞ入っていらして!」

多少ドスをきかせたスケアリーの声が扉に突き刺さりそのまま外にまで聞こえてきた。ドアをノックした人は恐れをなして逃げ出したのか、少しの間ドアの外には何の反応もなかった。しかし、そのあとゆっくりとドアノブがまわって、少しだけドアを開けたものがいる。

「あのー、すいません。ここはペケファイルの部屋ですよねえ?」

少し開いたドアの向こうからどこかで聞いたような声が聞こえてきた。スケアリーはイヤな胸騒ぎがして姿勢を正すとドアの方に注意を向けた。外にいる人は中の様子をうかがうように喋っているが、どちらもお互いの姿までは見えないようだ。

「私はニコラス刑事と言います。覚えていますか?以前一緒に捜査をしたニコラスです」

これを聞いてスケアリーは頭から湯気が立ちそうなくらい顔を赤らめた。それから反射的にドアのところまで行き少し開いていたドアを体当たりするような感じで閉めた。

 スケアリーは体をドアに押しつけたままドアが開かないように押さえていたが、次第にどうしてこんなことをしているのか理解出来なくなってきていた。これではよけいに気まずくなる。本人は絶対にそのことを認めようとしないが「憧れのニコラス刑事」がこのドアの向こうにいる。ちょっと男前のニコラス刑事。運命の人と運命の再会かも知れないというのにスケアリーは必死でドアを押さえている。

 こんな時にはどうすれば良いのか?これまでこんな失態を演じたことは一度もないスケアリーにはどうすれば良いのか解らなかった。しかし、このままではニコラス刑事が帰ってしまうかも知れない。ドアの向こうでゆっくりと廊下を去っていく足音が聞こえてきた。スケアリーは夢中で部屋の中を見渡してどうすべきか考えていた。まだ何も思いつかったが、去っていく足音を聞いて反射的に行動に出てしまった。

 スケアリーは髪を振り乱して大きな音を立てながら部屋から飛び出してきた。

「まったく油断も隙もあったものではありませんわ!こんどくる時にはもっと慎重にやるんですのよ!」

何を言っているのか良く解らないが、スケアリーが廊下から部屋の中に向かってわめいている。廊下を半分ほど進んだところでニコラス刑事が驚いて振り返った。

「あら、あなたはあの時の…」

スケアリーはニコラス刑事と目が合うと、彼がいたことなど知らなかったという感じで声をかけた。

「あの、大丈夫ですか?」

ニコラス刑事は何が起きたのかまったく解らなかったが、とりあえず心配そうに言いながらスケアリーのいるほうへ戻ってきた。

「ええ、危ないところでしたけど、なんとかなりましたわ。あたくしみたいな仕事をしていると、いろいろなところから命を狙われてしまいますでしょう?今も刺客がやって来て大変なことになるところだったんですが、何とか追い払うことが出来ましたのよ」

「刺客ですか?」

ニコラス刑事はそう言いながらペケファイルの部屋の中を覗き込んだ。地下にあるその部屋には刺客が入って来れるようなところは全くない。

「どうやって逃げたんですか?」

ニコラス刑事刑事は何にも理解出来ないままだったが、そこは聞かずにはいられない。

「あの通気口から逃げたんですの」

スケアリーは絶対に人が入れそうにない小さな通気口を指さした。ニコラス刑事は本当にスケアリーのことが心配になって通気口とスケアリーを交互に見ていた。スケアリーはなんだか落ち着かない様子でキョロキョロしている。

「それよりも、ニコラス刑事さんはエフ・ビー・エルに何のご用ですの?」

ごまかし作戦が上手くいっていないと感じていたスケアリーは無理矢理話題を変えた。ニコラス刑事はいまだにここへやって来た(おそらくはもの凄く小さな)刺客のことが気になっていたのだが、これ以上この件について聞くのはよした方が良いと思った。それと同時にこのおかしな感じのスケアリーに捜査の依頼をしていいものか不安になっていた。しかし、以前もペケファイルの二人にはどこか異常なところが感じられた。それでもちゃんと事件の捜査はしてくれたのだから、今回もなんとかなるに違いないということにして、彼がここへ来た理由を話すことにした。

「実はボクはペケファイルに用があって来たんですよ」

ニコラス刑事が話し始めると彼を見つめるスケアリーの目がギラギラと輝きだした。やっぱり不気味な感じもなくはない、と思いながらニコラス刑事は恐る恐る話を続けた。