「GONE」

25. モオルダアとTとヨシオ君とスケアリー

 ヨシオ君のところへモオルダアがやって来た。モオルダアはどこかで見たような部屋だと思ったが、すぐにどこだか思い出した。ここはヨシオ君の部屋だ。まあ当たり前といえば当たり前だが、この部屋は全てがかなり鮮明だ。

「キミはずいぶんと記憶力が良いようだねえ」

「そうじゃなくてボクが作り直したんですよ」

ヨシオ君のこの言葉にモオルダアは軽いショックを受けていた。しかし、そんなふうに混乱させられるためにここへ来たわけではなかった。

「そんなことよりも、ボクはすごいことに気付いたぞ。キミにいわれていろいろ考えていたんだけど、もしかするとボクらはまだ現実世界にいるのかも知れないぞ」

「そんな事はありませんよ、何を根拠にそんなことを言うんですか?」

「思考が勝手に文章になっているというところだよ。キミがどうやって考えるか知らないが、ボクはものを考えるのに言葉は使うけど、文章は使わないんだ。ボクの思考は言葉の羅列から始まる。そこから結論を導き出すということなんなんだけど、そんなものは文章になりえないだろ?もしかするとボクらは無意識のうちにキーボードを叩いて文章を書いているのかも知れないんだよ」

ヨシオ君にとっては興味深い話ではあったが、少し難し過ぎたかのかも知れない。しばらく黙って考えたあとにヨシオ君は言った。

「でも現実世界じゃこれは出来ないでしょ?」

彼らの間に質感のない球体が現れた。モオルダアは驚いてそれを見ている。

「なんだこれは?」

「今ボクがこの部屋のコードを書き換えて出現させたんです。ボクの実力じゃそれが限界ですけど」

「コード?!」

「そうですよ。慣れてくればブログの見た目は自分で変更することが可能です、って説明に書いてありましたよ。読まなかったんですか?」

「…読んだけどなんだか意味がわかんなくて。これ、ボクにも出来るのか?」

「ええ慣れてきたら出来ますよ」

モオルダアは変なところに興味を示している。そこへTが現れた。

「なんだこの球は?影ぐらいつけないと不自然で気持ち悪いよ」

「すいません。オルダモアさんが変なことを言うから、その球で説明してたんです」

モオルダアはそんな事を言ったかどうかなどすっかり忘れて部屋の真ん中に現れた不自然な球体を眺めていた。

「これ、どうやるのかボクに教えてくれないかなあ?」

「そんな難しいことでもないよ。設定ファイルの開き方さえ解れば後は考えるだけだからね」

Tは設定ファイルの開き方というのを説明し始めた。モオルダアとまだ初心者であるヨシオ君はその説明を聞き入っていた。すると突然モオルダアの口が開いた。

「ちょいとみなさま!お話の途中で割り込んで失礼ですけど、助けにまいりましたわ!」

Tとヨシオ君は驚いてモオルダアの方を見た。モオルダアの口からスケアリーの声がしたのだ。

「なんだこれは?」

同じ口でモオルダアが言った。

「なんですか?」

「なんなんだよそれは?」

続いて二人も似たような事を繰り返した。しばらく沈黙が続いたあとにまたモオルダアの口が開いた。

「みなさま、あたくしはキーボードを使っているんですから、もっとゆっくり話してくれないと追いつけませんわよ」

「これってもしかしてオルダモアさんのIDを使って誰かがログインしているって事か?これは完全な規約違反だ」

そう言ってTがモオルダアを睨んだ。モオルダアは自分のせいじゃないと言おうとしたがまたスケアリーがモオルダアの口で話し出した。

「それでは説明しますわね。あたくしの名前はスケアリー。これからあたくしがある操作をするとあなた方のいるシステムは壊れてあなた方はそこから追い出されますわ」

口を使われているモオルダアは困った顔をしながらスケアリーに代わって話している。それが終わるとすぐに言い返した。

「システムが壊れるってどういう事だ?それに追い出されたらボクらはどうなるんだ?……残念ですけど、あなた方が書いた全ての記事は消えてなくなりますわ。それであなた達はこちらに戻ってくることが出来るんですのよ。ただし、確実に安全なのはヨシオ君だけですけど。……それどういう事?……そりゃ子供が最優先に決まってるじゃありませんか。ですからあたくし達はヨシオ君の部屋でこの作業をしているんですの」

「そんなの無茶苦茶だ!これまで苦労して書いてきた記事を消されるなんて」

Tが抵抗した。

「そうですよ。ボクらはみんなここが気に入っているんです。それに、球体や立方体も出せるようになったばかりなんです。まだまだやることは沢山あるんです。いずれ全ての思考を使い切って、ただのマシンになって…」

そこまで言ってヨシオ君はまずいと思ったのかTの方を見た。Tは少し気分が悪そうだ。ヨシオ君の言葉に興味を持ったモオルダアが何かを言おうとしたが、先にスケアリーがモオルダアの口を使った。

「ヨシオ君!あなたいったい何のおつもりですの?あなたがやることはそんなところにはありませんわよ。それに、あなたはお母様の事が心配じゃないんですの?」

「そんなの関係ないですよ」

ヨシオ君が思いきった調子で言い返した。

「悪ぶっても後悔するだけですのよ。あなたのお母様はあなたを心配するあまり気を失って入院しているんですのよ!」

それを聞いたヨシオ君は明らかに動揺して言葉を失った。Tはその様子をみてここにとどまることをあきらめかけていた。ここで抵抗しても、この様子じゃヨシオ君はこれ以上何も書かなくなるだろう。それに、規約違反のモオルダアはすぐに登録を取り消される。新しい誰かがここにやって来たら次に出て行かなくてはいけないのは自分なのだ。

「それじゃあ、残念だけどあきらめるしかないのかなあ」

しかしモオルダアにはまだ気になることがある。

「ねえ、さっきヨシオ君が言ってたマシンがどうのこうのって、アレはいったい…」

最後までいう前にモオルダアの口はスケアリーに乗っ取られた。

「それじゃあ、準備は良いですわね?エフ・ビー・エルの技術者が即席で作ったこのプログラムで、この面倒な失踪事件は見事……ちょっと待ってよ、スケアリー。それよりも先にもっと重要な話が聞けそうなんだよ。マシンがどうのこうのって、いったいどういう……きっとあなた方の脳みそがコンピューターの一部となってしまうということですわよ!そんなことより早くしないと、あなたは今規約違反中なんですから見つかったら接続が切られてしまいますわ!それにあたくしもう眠いんですから、何があろうとこれでみなさんはその世界とお別れですのよ!」

そう言うとモオルダアの動きが止まった。彼の口からはスケアリーの声も彼自身の声も聞こえてきそうにない。部屋の真ん中にある球体のように、モオルダアは不自然な気持ち悪さを醸し出している。存在するはずのないものが存在しているという感じだ。

「何が始まるんだ?」

モオルダアの姿を眺めながらTがつぶやいた。見ていると固まって動かないモオルダアの色が薄くなっていく。モオルダアから色が抜けていき、次第に白黒写真のようになっていった。そして、モオルダアの周囲にもそれは広がっていった。彼を中心にして部屋全体が白黒写真になっていく。驚いてモオルダアを眺めているだけだったTとヨシオ君もいつしか自分たちの体が白黒になっているのに気がついた。

「すげー!」

Tは自分の両手を顔の前に持ってきて感心していた。確かに「すげー」ことである。自分の肉体が消えていくのを体験出来るのは彼ら以外にいないだろう。そのころ、モオルダアの体はすでに半分消えかかっていた。全身が砂粒の固まりのようになり、それがどんどん崩れていった。崩れ落ちた粒は床に落ちる前にどこか知らない空間へ煙のように消えていくように見えた。

 モオルダアの体が消えてなくなるころには部屋全体が崩れかけていた。崩れた壁の向こうに何が見えるのか。Tは思わずそこを見てしまってから、見なければ良かったと後悔した。そこには終わりなく続く無の世界があるように思えたのだ。彼がその時に考えたことが記事になっていたらどんな問題作になっていたかを想像して、すこし惜しい気もしていた。しかし、もう全ては終わりかけていた。部屋のほとんどは消滅して形のあるものはほとんどなくなっていた。最後にTのニヤつく口が残っていたがそれもすぐに消えて、無が訪れた。